Thursday, November 19, 2015

ロバート・クラフト逝去(2015年11月10日)

 ストラヴィンスキーの晩年、深い信頼関係で結ばれた師弟であった、アメリカの指揮者・音楽評論家、ロバート・クラフト(Robert Craft)が、さる11月10日にフロリダ州ガルフストリームの自宅で逝去したとの報である。92歳。

The Telegraphの訃報

 天寿と言うべき御歳とは言え、痛惜の念は尽きない。
 謹んで哀悼の意を捧げたいと思う。

 Columbiaには未だCD化されていない、ストラヴィンスキー以外の音源(ドビュッシー『ビリティスの歌』など)も存在する。近日発売予定のユージン・イストミンや、先年亡くなったチャールズ・ローゼンの音源と同じように、ロバート・クラフトのColumbia音源集成ボックスの発売が実現すれば、せめてもの慰めになるのだが。

 このブログを御覧になっていて、未だロバート・クラフトに邂逅していない御方がいらっしゃるようであれば、ストラヴィンスキーの1962年のソヴィエト帰国公演に帯同したクラフトの指揮による「春の祭典」(Venezia)、ロンドン交響楽団を指揮してデジタル録音された「春の祭典」

だけでもまずはお聴きになることをお勧めしたい。これほど明晰でありながら暴力的な昂奮に満ちた「春の祭典」があったのかと、きっと愕かれることであろう。
 特に前者はVeneziaレーベルの廃盤が続々続いている状況なので、購入不可となる前にご関心の向きにはこの機会のご入手を今一度強くお勧めする。上質とは言えないソヴィエトのステレオ録音と、この類の楽曲に戸惑いながら臨むオーケストラの粗が随所に散見されるものの、それら全ての悪条件を超えて未だに生々しい血の滾りを喚起せしめる不朽の記録である。

 ストラヴィンスキー、親交のあったシェーンベルクをはじめ新ヴィーン楽派から、ヴァレーズまでを徹底的に明晰に演奏する一方で、モンテヴェルディやジェズアルド、バッハの合唱曲に目の覚めるが如き清新な解釈を見せた、実にユニークな指揮者であった。
 バーンスタインとはまた異なる、「アメリカの偉大な指揮者」の在りようを、私は常にロバート・クラフトに対して見ていた。
 
 暫くの間は、大きな喪失感と共に過ごすことになりそうだ。
 
 R.I.P Robert Craft(October 20, 1923 – November 10, 2015)

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Friday, February 20, 2015

ジブリ映画「風立ちぬ」と竹製の茶漉し

 本日、日テレ系列で21:00~ジブリ映画「風立ちぬ」がTV初放映となります。
 
 この映画は公開時に身内皆々うち連れて劇場まで観に行きました。
 
 思い返せば、家族で最初に観に行ったジブリ映画は1989年の「魔女の宅急便」でした。その頃僕は小学生で、亡くなった親父もまだまだ元気で、今やシネコンだけになってしまった京都新京極には幾つもの映画館があり、新作がかかる都度に手描き看板が架け替えられていました。
 宮崎監督が「長編引退作」と公開前に宣言した作品とだけあって、僕自身にとっての時間の変遷と交錯させながら感慨深く劇場まで足を運んだ次第です。

 この作品を総合的にどう評価するかは難しいところです。
 
 僕は荒井由実の「ひこうき雲」が流れるトレーラーを観ながら、全く手前勝手に感動的な内容を妄想たくましくしていたものです。
 戦間期の飛行機技術の飛躍的な発展の道程に対する、宮崎監督のフリーク的なこだわりの描写から、氏の普段の言行にも明白な反戦主義とが撚り合わされて、ニッポンの飛行機乗り達と飛行機技師達に捧げられる挽歌となろうことを期待していました。
 そんな映画の結びに荒井由実の「ひこうき雲」……、だとすればこれはもう涕泣不可避です。

 洗いたてのタオルチーフを携えて劇場に足を運んだ僕が、実際に「風立ちぬ」を最後まで鑑賞してそれを使ったか如何については書くだけ野暮な話であります。
 しんみりとさせられるシーンは幾つもあったんですが、我が国の戦間・戦中という、未だ脈打ち続ける血管、痛覚を伴う神経とで繋がった時代を舞台としている割に、感情の高揚というものが不思議なくらいありませんでした。
 ただ、緻密に作り込まれた、既に消尽して久しい「木造の生活」の描写の緻密さと血の通ったリアリティには瞠目させられました。そういう舞台の中で、専業声優じゃない演者各位が当てた淡々とした台詞に感覚を委ねていると、小津安二郎の映画と重なるものがあります。
 かかる趣旨の作品を荒井由実の「ひこうき雲」で締めくくっても、期待ほどの効果は上がらないのは当然なのかもしれません。
 まあはっきり言ってこの映画で一番泣かされたのは劇場公開前のトレーラーでした。

 良い所も勿論沢山ありました。
 先にも触れかけましたが、「戦前~戦中の日本」をあれだけ活き活きと、かつ職人的に描けるアニメーション作家はもう幾らもいないでしょう。そして言わずもがな宮崎駿監督は実績も技量も筆頭格でありましょう。その手際を堪能出来たのは得難い収穫でした。
 
 そして話は今回の本旨に移るのですが、堀越二郎が駄菓子屋で「シベリア」(カステラ生地に漉餡or羊羹を挟んだもの)を買って帰った後、自室で紅茶を淹れながら同僚の本庄季郎技師に「シベリアか。妙なもんを食うなぁ」と言われるシーンがあります。
 ここで僕の目を釘付けにしたのが、堀越が使っている茶漉し。
 これが、竹製なんですよね。
 ああ、昔は、金網茶漉しが普及する前は、茶漉しも竹製だったんだなあと、煎茶飲みの僕は一入感動したものでした。こういうプロップの質の高さはジブリアニメの真骨頂ですよね。

 煎茶は金気を嫌うとはよく言われますから、竹の茶漉しで淹れたら味が良くなるのではないか、と思いは巡ります。ただ、これは今でも製造されているのだろうか?

 そう思いながらインターネットで検索したところ、いともたやすくアマゾンに在庫がありました。いささか拍子抜けです。


 (注:リンク先商品は中国製とのことです)

 ただ、案外値が張るのと、これに送料を含めると価格増々で買い倦んだまま歳月を経てしまいました。
 
 ところが、先般偶々、大阪難波の日本工芸館に古陶磁展を観に行った際、館内の「民芸普及部」(日本の手工芸品の購買部門)を覗くと、この茶漉しが売られているではありませんか!
 価格もアマゾンのほぼ半値です。喜んで買い求めました。購買担当の方曰く、これは大分別府の竹細工なのだが、作り手が高齢で体調が余り芳しくなく産量が限られていて、いつ来ても買えるというものではない、とのことです。
 別府の名産竹細工はもう20年以上前から安価な中国産・東南アジア産に席巻されつつあると聞き及んでいましたが、今でも日本人の作り手が仕事を続けているのであれば嬉しい限りです。

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 さて、使い心地です。比較的目が荒いので、茶葉は濾し取りますが澱の通りは多いように感じます。しかし、金属製の茶漉しよりも風味が豊かでまろやかだと感じました。もう何服飲んだとも知れない煎茶ですから、錯覚ではないと思います。
 難しいのは手入れでしょうね。一度使うとすっかり湿気ってしまいますから、この乾燥を怠ると臭気で悲惨なことになりそうです。伝統工芸品を使うことは、愛着と背中合わせで手間暇とも付き合うことです。

 とりとめもなく書き連ねましたが、本日「風立ちぬ」もし御覧の折には、是非「シベリア」と「竹製の茶漉し」のシーンにも目を留めて頂ければ、と思います。

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Monday, August 25, 2014

「銀璧亭」10周年

 2004年の8月25日にこのココログ「銀璧亭」を始めてから、本日をもちまして10周年と相成ります。
 
 十年一昔と申しますが、確かにあまりにも多くのことが変わりました。
 
 久々に力を込めた記事を掲載したいところですが、見合うネタが咄嗟には思い付かないのと現状では記事をまとめる気力が続かないのとで、このまま静かに里程標を据えるにとどめようと思います。

 巷間、mixiやTwitter、Facebookと自己発信のツールが変遷していく中で、nifty「ココログ」はよくぞ旧状との大差もなく維持されているものだと敬服致します。
 そして10年の歳月の間、このココログ「銀璧亭」を通じての様々な御高誼に衷心より感謝申し上げたいと思います。

 本当にありがとうございます。

 開店休業状態が長く続いておりますが、更新の意欲まで尽きてはおりません。
 興が高じた折節に記事掲載を継続していく所存です。
 今後とも宜しくお願い致します。

 感謝とともに Tando

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Wednesday, January 15, 2014

「録音歴60年」を達成した演奏家たち

 ここでは特にクラシック音楽に趣旨を限定します。ジャンルの裾野を広げると際限がなくなってしまいまそうなので。

 先日久々に、ピアニストのヴィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus/1884-1969)のデッカ音源のCDを何枚か取り出して(……と言うか山積みの中から掘り出して)聴いていました。
 彼は契約したデッカが早くにステレオ録音技術を導入したこともあり、この世代のピアニストとしては異例と言える分量のステレオ音源を遺しています。
 その掉尾を飾るのが、1969年の6月26日と28日に録音されたライヴ録音「最後の演奏会」です。6月28日の演奏会を体調不良で短縮して終えた後、7月5日にバックハウスはピアニストとしての一生を全くして長逝しました。
 ここで私がふと思い起こしたのは、バックハウスの生涯初録音でした。これはG&Tのロンドンのスタジオで1908年の9月29日と10月19日に録音された10数面のSPレコードです。録音時、バックハウスは24歳でした。未発売音源を除いたその大半は現在CDに復刻されており、容易に鑑賞することが出来ます。
 1908年の初録音から1969年の生涯最後の演奏会まで、そのスパンは実に61年です。
 仮に「演奏歴」で60年という実績を誇る人があれば、既にそれは非凡なものです。
 しかし更に「録音歴60年」ともなると、運や巡り合わせにも左右されますから、益々稀有な記録であると言えるのではないでしょうか。
 特にバックハウスの場合は、年端も行かない神童としての1908年の初録音ではなく、既に少壮ピアニストとしてのそれなのですから、「録音歴60年」は一層凄みがあります。



 これに伍する大記録の保持者としては、生涯現役を貫徹した指揮者レオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski/1882-1977)の名を挙げぬ訳にはいきません。
 ストコフスキーの初録音は1917年、フィラデルフィア管弦楽団と共にVictorへ録音したブラームスのハンガリー舞曲第5番と第6盤のSP両面盤です。そして彼は1977年6月に生涯最後の録音、ビゼーの交響曲ハ長調とメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を遺し、同年9月13日に95歳で亡くなりました。
 言ってみれば独りでも演奏行為が成立する器楽奏者とは異なり、指揮者はタクトに従う楽団が無ければ用を成しません。指揮台に立つということは、希少な例外を除けばそれなりに音楽家としても人間としても成熟した年齢に達していることを意味しています。そういう職能で「録音歴60年」というストコフスキーの記録はまさに非凡なものと言えるでしょう。

 さすがにこの「録音歴60年」の記録、指揮者ではストコフスキーぐらいしか達成していないだろう、と心当たりを数え上げていくと、昨年生誕100年を迎えたジャン・フルネ(Jean Fournet/1913-2008)がその記録を超えていてビックリしました。
 フルネの初録音は、恐らく1943-44年録音とされる、ベルリオーズの「死者のためのミサ曲」(レクイエム)です。これは何故か録音期間が年を跨いでいますが、年末年始のセッションだったのでしょうか?
 そして彼の最後の録音は、文字通り「ラストコンサート」、東京都交響楽団との2005年12月20日と21日のライヴ録音。奇しくもここでもプログラムにベルリオーズの作品、序曲「ローマの謝肉祭」が含まれています。ベルリオーズに始まりベルリオーズに終わった訳ですか。初録音からのスパンは実に62年に達します。凄い!



 こうした記録樹立も録音媒体と機会の普及によって、時代が下がるほどハードルも下がるのかもしれません。
 それでも、たとえば近年活躍目覚ましき若獅子グスターボ・ドゥダメルの録音デビューが確か2005年だった筈ですから、1981年生まれの彼は少なくとも2065年、84歳までは現役かつ録音機会を維持しなければ「録音歴60年」を達成できない計算になります。比較的現実的な数字とは言え、絶対とも言い切れない含みがあります。

 録音歴60年。既に達成した演奏家もこれから達成する演奏家も少なからず数えることができるかと思います。
 ともあれ、当世においても尚稀有なる類の記録でしょうから、レコード会社も自社で演奏家が達成した折には” Diamond Jubilee”とジャケットに銘打って華々しく顕彰してもいいのではないかと思います。

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Monday, April 29, 2013

フレデリック・ストック指揮のブラームス・交響曲第3番

ブラームス:交響曲第3番
フレデリック・ストック指揮/シカゴ交響楽団
(1940年11月23日録音/Columbia 11505/9)
※DANTE-LYS112のCD復刻有、現在廃盤。

 フレデリック・ストック(Frederic Stock/1872-1942)という指揮者のことを私は非常に高く買っている。
 シカゴ交響楽団が未だに世界的水準のオーケストラとして通用している基盤は、彼がこの団体を率いた37年間に築かれたものだと言ってもいいだろう。

 ストックは元々、シカゴ交響楽団の創設者、セオドア・トーマス(Theodore Thomas/1835-1905)が楽団員としてドイツからスカウトしたヴァイオリン奏者だった。そのうちにトーマスのアシスタントとして指揮台に立つようになり、才覚を認められるようになる。
 ところがトーマスは1905年に急死してしまう。まだまだこれから、という時期だったようだ。
 楽団は後任に、何としてもネームバリューのある欧州系の指揮者を招聘しようと、フェリックス・モットルやカール・ムック、フェリックス・ワインガルトナーなどに打診をするが不首尾に終わる。
 それでも、誰かが楽団をまとめ続けなければならない。
 その役割を担ったのが、フレデリック・ストックだった。
 そうして、ストックが楽団を切り盛りしているうちに彼の努力は実を結んだ。「ストックのままでやっていこうじゃないか」と。
 叩き上げの下士官が、遂に総司令官に昇り詰めたかのような異例の事態だ。
 ストックの真骨頂は、ここで楽団を沈滞させること無く、超一流のアンサンブルに育て上げた所にある。
 彼こそが、アメリカから生え抜きで生まれた最初の一流指揮者だったのかも知れない。

 私はストックの録音を可能な限りかき集めて重宝しているのだが、そんな中で一際気にかかる音源が、冒頭に掲げたブラームスの交響曲第3番だ。
 この演目とストックとの取り合わせは、演奏史的な意味でもっと重んじられるべきではないかと思っている。

 ストックは、元々はドイツ人である。
 ケルン音楽院でヴァイオリンと作曲とを学んだ。
 1歳年長のメンゲルベルクが同時期に在籍していたという。
 一方、この頃の教壇には、作曲家のフンパーディンクの他、フランツ・ヴュルナー(Franz Wüllner/1832-1902)がいた。メンゲルベルクは、かのアントン・シンドラーの弟子だったヴュルナーの指導を仰いだことで「自分はベートーヴェンの直系弟子」と公言していた由。ストックもまた同じ事実が該当する訳である。
 1887年に卒業した後、ストックは地元ケルンのオーケストラにヴァイオリン奏者として入団した。
 様々な略歴では”Orchestra of the City of Cologne”などとざっくばらんに紹介されがちだが、このオーケストラこそ実はケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団なのである。彼は1895年までこの楽団に在籍する。この期間に彼はブラームスやチャイコフスキーの客演を経験している。
 のみならず、1892年までの音楽監督ヴュルナーと、1892年以降の後任、フリッツ・シュタインバッハ(Fritz Steinbach/1855-1916)の采配を楽団員として経験しているのだ。
 色々とストックにまつわる記録を洗っていて、このシュタインバッハとの接点を探り当てた時、私は思わず戦慄を覚えた。

 フリッツ・シュタインバッハ。
 とうとう録音を遺さなかったこの指揮者は、ブラームスの交響曲を愛聴する後世の者にとっては、殆ど呪縛のような存在だ。
 あのトスカニーニが「1909年にミュンヘンで聴いたシュタインバッハのように」ブラームスの交響曲第3番を未だ指揮することが未だに出来ない、と嘆いたのは1935年に英国BBCへ客演した時の事だという。
 シュタインバッハは一体、如何程見事にブラームスの交響曲を指揮したのだろう!?

 どうも、その解答が、ここで挙げたストック指揮の他ならぬ交響曲第3番の中に秘められているような気がしてならないのである。

 ブラームス自身の指揮も、シュタインバッハの指揮も共に経験したストックなのだ。

 この音源に聴かれるストック晩年の指揮は、楽団の練度共々、殆どパーフェクトに近い。
 例えば彼より丁度10歳年長のウォルター・ダムロッシュが、同じくブラームスの交響曲第2番の録音で呈したような、蕪雑で見通しの悪い演奏とはまるで次元が違う。
 全体像をしっかりと構築した上で、ストックは音楽を実に流麗に進行させていく。この点では、ブラームス自身が高く評価していたというワインガルトナーの同曲録音と共通する情趣がある。だが、両者を比較すると、ストックの演奏の方がなお手際に優れ、かつ音響に重厚さを持たせることに成功しているように聴こえる。そして、ストックの方がより意気軒昂であると感じさせる。
 それでいながら、総じて印象は自然体でしなやかなのだ。
 つまるところ、トスカニーニがモノに出来ないと嘆いたシュタインバッハのやり方とは、音楽の流れの自然さ、しなやかさを損なわないままに、豊かな感情表現を実現させること――、この命題に対するものだったのではないだろうか? 非常に際どいバランスを成り立たせる試みについての核心を捉えた発言だったのではないだろうか?
 私はこのストックの演奏を検分し直して「シュタインバッハの呪縛」からの突破口を遂に見出したような気がする。
 誰の録音が「そうだ」とまでは言い切らないが、シュタインバッハの衣鉢を継いだ名演奏はHi-Fi以降の録音の中にも見出すことが出来るような、そういう手応えをストックの演奏は私にもたらしてくれた。
 
 当時から玄人好みの演目であったろうに、アメリカでよくぞこの録音が実施されたものだと、歴史の巡り合わせに感謝したい。

 繰り返すが、フレデリック・ストックは今なお傾聴に値する指揮者である。


Pay a tribute to the memory of János Starker,
The Great Cellist,
And was a principal cellist of the Chicago Symphony Orchestra.

April 29, 2013

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Saturday, December 29, 2012

2012年NHK大河ドラマ「平清盛」-全話見終えて

 NHK大河ドラマ「平清盛」、最終話の視聴率は9.5%だったそうです。放送を終えての平均視聴率は12%歴代最下位、これは大惨敗だと言わざるを得ません。
 私は年初の記事でこの作品を非常に大きな期待を抱きながら当ブログで大絶賛しました。
 そして全話の視聴を終えた今、その時の感情は完全に冷え切り縮み硬直してしまいました。
 私は「ゴールまで好意的視聴者としての節義は通したい」という気持ちで、作話や考証、表現、演出等々、マイナスの面に対しても随分頑張って堪え呑み込んだつもりです。それだけに非常に残念な結果に甚だ落胆しています。
 
 初回から序盤は本当に良かったと、録画を見返しながらも未だに考えているんですよ、私は。
 良くない兆しは早くも海賊討伐のあたりからあったのですが、それでも保元・平治の乱までは許容範囲だと思っています。ただ、鳥羽院、美福門院、そして崇徳上皇や悪左府といったキーパーソンが繰り広げた高度に知的で陰惨な暗闘は、もっともっとえげつなく描かれるべきでした。キャスティングはそれを成しうる起用ばかりだっただけに尚更口惜しいことです。「保元物語」に詳述された悪左府が凄惨に朽ち果ててゆく姿や、よく知られる崇徳帝の怨霊伝説など、みんな綺麗事に陥った描写で肩透かしそのものです。
 「映像が汚い」と言われた割には人間の本質的な汚さ、生々しさは放送回を追う毎に疎かなものとなっていったのではないでしょうか。

 「壇ノ浦まで描く」という当初の触れ込みは結果的に最悪の形で裏切られてしまったので、中盤から終盤まではあたら字数を連ねるまでもありません。
 ホンマ、海賊出さなかったらもっと掘り下げられたんとちゃいますか?
 「平清盛」は、総じて言えばペース配分を誤り、竜頭蛇尾に終わった作品だと私は考えます。
 また、世に広く知られたこの時代の逸話、―「日本国の大魔縁」や「俊寛足摺」「清盛の医者は裸で脈をとり」等々―は視聴者が期待している場面なんですから、力を入れて描かれるべきでした。これをやらなかったことが大惨敗の重要な一因となった筈です。制作陣による薄っぺらな新挿話なんてフィルアップ程度の扱いで相応なのです。

 それでも、最後まで頑張ったキャスト各位の努力には心からの賛意を贈りたいと思います。
 松山ケンイチさん、あなたは最後までホンマによう頑張らはった、偉い!!

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Friday, November 30, 2012

ジョルジュ・ドン/没後20年-1992-2012

 モーリス・ベジャールという不世出の創造者且つ強大なカリスマを2007年に喪い、そこからのベジャール・バレエ・ローザンヌの新たな歩みを記録した「ベジャール、そしてバレエはつづく」(原題”EL ESFUERZO Y EL ANIMO”/スペイン/2009)というドキュメンタリー映画を年初に視聴した。

 作中、十余作の演目が紹介される中で、序盤早々に「恋する兵士」の映像が登場する。
 ダンサーは同団体所属の日本人、那須野圭右さん。肉体で重力を完全に制御してしまったかの如く軽やかで、ブレの無い、そして朗らかなパフォーマンス。その技量とセンスに感服しながら、2008年の来日公演の際、実際に目にした時に自分が持った印象を再び手繰り寄せた。
 そして 「恋する兵士」、途中で音楽は全くそのままに、映像だけが別のものに切り変わる。
 
 -ダンサーは、ジョルジュ・ドン。
 
 「アクア・アルタ」からの抜粋同演目で、恐らく1970年代後半に撮影された映像だろう。
 ああ、ああ、ドンだ、と心腑を射抜かれたかのような瞬間的で強烈な感動がこみ上げる。
 10秒、20秒と見入っているうちに様々な想念や感情が切々と交錯し、やがてひとりでに涙が溢れ止まらなくなった。
 違うのだ、「現代」のダンサー達によるパフォーマンスと、過ぎ去りしジョルジュ・ドン。何もかもが、余りにも、こんなにも!!

 ジョルジュ・ドン/Jorge Donn が病没したのは1992年の11月30日。
 今年2012年の11月30日を以って、ジョルジュ・ドンの夭折からちょうど20年が経つ。
 ……20年だ!!

 1991年、まさか最後の来日になるとは想像もせぬまま、私はドンの実演に接する機会を永遠に逸した。その時の演目「ニジンスキー/神の道化」の事を思い出す。
 この中には、ドンが踊ってきた幾つもの演目が含まれていた。「アダージェット」も、そして「恋する兵士」も。
 バレエの事は何も知らなかった当時の私だが、「恋する兵士」は一目惚れてしまった演目だ。
 そして、この演目を構成する心浮き立つ歌曲は何という名の曲なんだろうと、その時から気になってどうしようもなくなってしまった。

 今現在の、これほどまでにWebが拡充、浸透した社会の在り方からは想像もつかぬほど、当時はごく些細な「情報」を尋ね当てる事が難しかった。手段は限定されていたし、情報を持つ者同士を結びつける媒体は原始的かつ大仰だったのだ。
 新聞や雑誌の「教えてください」投書欄なんて、今10代20代の若い人達にとってはすっかり縁遠い事だと思う。
 「◯月□□日放映の××という番組でラストシーンに流れていた英語の歌の曲名をどなたか教えてください。テレビ局に電話したのですがわからないという回答でした」などという情報提供依頼をハガキに書いて投書までして、さて、それが掲載されるかどうか…。掲載されても必要とする回答が誰かからあるのか、得られた回答の通りに然々の音源を探して買い求めて、それが本当に目的の音源なのか。
 手間暇や費やす労力、回答が得られるまでのタイムラグ。空振りであれば、浪費も発生する。
 かつてはこうだったのだ。幾つもの関心事を悔しながらに諦めてきたのだ。
 Webに何もかもが揃っていて容易にアクセスできる今はね、夢のような時代なんですよ、本当に!!
 

 私は「恋する兵士」という曲名がわからなくて、もっと言えば演目の特定さえ長らくままならないまま、3枚もカンツォーネのオムニバスCDを「空振り」購入した。3枚目の浪費でいい加減厭になって、ベジャールの演目と同じ音源を手に入れる事は無理なんだと、それで割り切って過ごしてきた。
 ところが、先述の通りに映画「ベジャール、そしてバレエはつづく」を観て、今度はもうどうしても我慢できなくなってしまった。執念深く、あれやこれやとWebでキーワード検索、試行錯誤する……。

 その、解答から先に書く。
 
 ベジャールの「恋する兵士」で用いられる音源は、カンツォーネ、正確にはナポリターナ(ナポリ民謡)の
”O Surdato 'Nnamurato”という歌だ。
 歌っているのは、マッシモ・ラニエリ(Massimo Ranieri/1951-)、サンレモ音楽祭華やかなりし頃の大スターだ。
 そして、音源が収録されているCDは、このアルバムである。

 私も自分で購入して確かめているので、ベジャールの「恋する兵士」に用いられている音源と寸分違わぬ事を請け合う。
 ラニエリの歌唱、バックオーケストラ。そしてこれも重要、ライヴ収録に伴うオーディエンスの歓声、手拍子、喝采、紛れもなくこのCDの11トラック目”O Surdato 'Nnamurato”のものだ。
 取り寄せて届いた現物を宅内のオーディオにセットした時の張り詰めた気持ち、そして、20年希求して已まなかった音楽がスピーカーから流れてきた時の感激よ!!

 
 映画「ベジャール、そしてバレエはつづく」で、映像がジョルジュ・ドンに切り替わった時、私は何故滂沱の涙を流したのか。
 
 ドンのパフォーマンスは、近年・現在の第一線の人々とは異質な何かを具えている。
 ドンの身のこなしは決して軽くはないとも思われる。体躯のコントロールについてもピタリ、カチリと「決まる」ようなものではない。言ってみれば、荒削りだ。
 早くから強く志してベジャールと道を同じくし、大成した頃にはすっかり「ベジャール・バレエのための」ダンサーとなっていたドン。
 
 舞踊芸術のフィジカルな要素は、スポーツ競技のように日進月歩の進化過程を現在も続けている。例えば30年前にシルヴィ・ギエムが世界を驚愕させた稀有なる身体能力は、今や世界的な第一線の「標準」として定まった感がある。
 ベジャール・バレエのダンサーにおいても、ジョルジュ・ドンが現役だった時代と較べると、同様の進化を遂げていると言えそうだ。
 だが、ドンはフィジカルな部分での不足を、表現力で補ってなお余りある、そういうスタイルの不思議なダンサーだった。そして、ベジャールの作品と相互に分かち難い形で存在が成り立っていた。
 
 ベジャールの演目を云々する時、私のように何かとジョルジュ・ドンの存在を懐かしんでいると、いかにも懐古的な拘りを捨てきれていない人間だと見られてしまうのかもしれない。
 だが、確かにドンだけが持っていた特別な素質はあったのだ。
 ダンサーとしての技術的な優劣というスケールでは計る事が出来ない、純粋なパフォーマーとして放たれる強烈な「力」があったのだ。
 筋肉と血流と汗と呼吸と、そして運動に直結した顔の表情と、生理的感触を剥き出しにして踊るジョルジュ・ドンの姿は、どこまでも人間的だった。喜怒哀楽、理性、狂気、人間生来の観念をダイレクトに伝えるものだった。
 ジョルジュ・ドンの「ボレロ」が私の中で決して退色しないのも、「恋する兵士」で胸の中を激しく掻き毟られるような気持ちになるのも、このような理由に因るものなのだと、没後20年を経て認識を新たにしている。

 私にとっては積年の宿願とも言うべき「恋する兵士」の使用音源が今年手に入ったのは、20年の間、追慕の気持ちを決して翳らせる事のなかった私に、ドンが彼岸からちょっとした嬉しい便宜を図ってくれたような気もするのだ。

 そして、継承と新たな創造という極めて困難な命題を担うジル・ロマンと、彼が率いるベジャール・バレエ・ローザンヌの前途を私自身も応援したいし、期待を持ち続けたいと思う。

―2012年11月30日、ジョルジュ・ドンの没後20年を偲びこの一文を記す。



 ジョルジュ・ドン、没後20年の節目である今年、彼の夭折を心から痛惜する記事をお書きになっている御方がいらっしゃいました。私の拙い記事へとリンクまでして下さっています。
 ありがとうございます。想いを同じくする者として、敬意とともにこちらからもリンクさせて頂きます。
ジョルジュ・ドン没後20年が過ぎて・・・(14時46分発~パンドラの函を開けて)



こちらは私が2004年に記した記事です。「ボレロ」を中心にドンの事を書き連ねています。
ジョルジュ・ドン十三回忌に寄せて

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Saturday, September 15, 2012

タラソフ「前進せよ、今がその時だ」-遂に諦めがついた!

最近になって、Webを通じて、とあるロシア人の御方とご交流頂くようになりました。
先様が日本語と日本文化に対して深い造詣をお持ちなので、そのお陰様で、私の拙劣な語学力でもコミュニケーションが成り立っています。本当に得難くありがたいことです。
それで、私にしては大分と頑張って、以前よりもキリル文字に慣れてきました。

このような経緯から、ごく私的な領域での嬉しい副産物があったので、ここに記します。


きっと、日本に3人か5人ぐらいはこのエントリーを喜んで下さる方が有る筈だ(笑)

2009年に「ロシア革命アニメーション 1924-1979」というオムニバス形式のアニメーション映画が配給されました。
2部構成に分割して、ソヴィエト時代のプロパガンダアニメーション作品を紹介したものです。

ロシア・アヴァンギャルド大好きな私としては、そういうものを大いに期待して当時映画館に足を運んだのですが、さすがにロドチェンコやステンベルク兄弟みたいなド直球にクールな作品はありませんでした。
特に中盤、冷戦期の資本主義陣営に対するネガティヴ・キャンペーン作品群は退屈だったり鬱々とさせられたりで、楽しい鑑賞ではありませんでした。

しかし、それでもトータルで「やっぱり観て良かった!」と思わせてくれたのは、おおよそ我々の社会状況からは生まれにくい強烈な作品が幾つも含まれていたからに他なりません。
「ジガ・ヴェルトフがアニメ撮ってたんだー」なんていう歴史的な感動があったり、はたまた「惑星間革命」の構成にロシア・アヴァンギャルドが生んだ空前のSF映画「アエリータ」(1924)を連想させられたり。

純然たるプロパガンダ作品としては「電化を進めよ」(1972年制作/イワン・アクセンチュク監督/Иван Семёнович Аксенчук/1918-1999)が最高でした。
映像も音楽も発想も、もうビキビキです(笑)

しかし、この上映を鑑賞なさった方の過半数は、恐らくAプロ・Bプロ共に掉尾を飾った、ウラジーミル・タラソフ(Владимир Ильич Тарасов/1939-)による「射撃場」(1979)と「前進せよ、今がその時だ」(1977)の2作品を強く印象に残していらっしゃるのではないでしょうか?
私にとっては特に後者、「前進せよ、」が強烈でした。
非 常 に っ . ょ ぃ.. 中毒 性 が あ  り ます. 。

マヤコフスキーのテクストを元にした映像作品で、ディテールをつぶさに読み解こうとしてもしょうがないんじゃないかなーこれは。或いは、その時代、その国に生きた若者でないとダメなのかもしれない。
映像としてももうバリバリのキタキタ(゚∀゚)なんですが、冒頭、ブンブン振れるモンケーンと共に鳴るソヴィエト・ロックがタマランのです。

この予告編の冒頭部分でお確かめ下さい……。

Youtube 竹書房アカウント
ロシア革命アニメーション 1924-1979予告編

どうです、ヤミツキになりませんか?


みょんみょんみょんみょん♪
みょんみょんみょんみょん♪♪
みょんみょんみょんみょん......♪
.......................♪
ぎょわーん☆☆☆♪♪♪


フピリョード!♪
スタラナ!♪
スクォリェーーーーエ♪
マヤッ!♪


こうなると是が非でもCDを手に入れ、自宅のオーディオでこの曲を鳴らしたくなる、或いはカーステレオで運転中のBGMとして流したくなる……、ような、気がしませんか?(笑)
私はそうだッ!!

この一連の「ロシア革命アニメーション」は、日本より先に英語圏で配給された様子なのです。
直接リンクはしませんが、英語字幕を付したヴァージョンが、この「前進せよ」についてもYoutube他、各種動画投稿サイトにアップロードされており、視聴可能です。
そして、そのエンドロールで、この映画のテーマソングのパフォーマーとして"The Tin Soldiers"というクレジットを見出すことが出来ます。

"The Tin Soldiers"、つまり「ブリキの兵隊」。
さて、これをロシア語に訳して拾うと……、

ОЛОВЯННЫЕ СОЛДАТИКИ
また、エンドロールには、"А.Горин"という人名が、この曲を作曲した人名としてクレジットされています。

さあ、この2つの鍵を使って、ネチネチと検索検索!!

アッ――――――(゚∀゚)タ――――――!!!!!!!!!!!!

<注意:リンク先を開くと大き目の音量で音楽が流れます>

ОЛОВЯННЫЕ СОЛДАТИКИ

バリバリ現役のロック・グループでした。皆さんお元気そうで何より(^^)
このグループ、結成が1968年ということで、既に40年以上も活動しているんですね。
オフィシャルサイトも見つかったところでディスコグラフィを見るのですが、この「前進せよ、」(1976年制作)のテーマソングは
………………………………無い………………………………、
…………………全く見当たらない………………………………。

ロシア、或いはソヴィエト限定で発売された形跡だけでも探せないだろうかと、更に色々検索すると、興味深いページを発見しました。

Вперед, время! (Владимир Тарасов)

ロシア版のYoutubeみたいな動画投稿サイトだと思います。
これに付いたロシアのユーザーさん達のコメントが、この「前進せよ、」が、当のロシア本国では現在どのような状況に置かれているのかを断片的に教えてくれます。


ユーザーさんА:
どうもありがとう!(英語の)厄介な字幕無しで、このアニメの動画を探していました!

 ……ふむふむ、ひょっとすると一連の「ロシア革命アニメーション」作品群、海外から逆輸入的にロシア本国でもリバイバルしたのかな?


ユーザーさんБ:
長い間、この曲を探しているのだけれど……

 ……どうやらロシア本国でも見付からないのか、この曲。


ユーザーさんГ:
仲間よ、私もアンドレイ・ゴリンによる「前進せよ、今がその時だ」の曲を探しています。彼らのウェブサイト上で誰かがそれについて質問していました。でも、返事がありません……。

 ……直接訊いた勇者がいたのかーッ!!


それで、返事が無いということは、どう捉えるべきなのか。
つまり、ОЛОВЯННЫЕ СОЛДАТИКИのメンバーにとって「前進せよ、今がその時だ」は、既に過去そのものなのだという事なのでしょう。

記事タイトルに付したように、ロシア本国の人が訊ね探して、それでダメだと言うならもう、この「前進せよ、今がその時だ」のテーマ曲を、まして日本国在住の日本人がCDで手に入れようなどという儚い望みは諦めるしかありません。
突き詰めるところまで突き詰めて、スッキリ、サッパリしました。

前掲、ロシアのネットユーザーの反応の中には、ソヴィエト共産主義、ボリシェヴィズムに対する露骨な誹謗も含まれていました。
既に覆った体制、制度、思想、社会が生み出した、かかる作品群の振り返りは、とりわけ当事者にとって容易い事では無いと思います。それがダイレクトに、プロパガンダ的性質を伴って制作されたのならば、尚更でしょう。

しかしながら、ヴラディーミル・タラソフの2作品は、露骨なまでの思想統制的な作品群とは決定的に性質が異なると私は感じます。明らかにタラソフは、当時の体制、状況下で許容される目一杯の先取的な作品を創造しています。それが、ある視聴者を今日なお強く惹き付ける要素となっているのでは無いでしょうか。
ОЛОВЯННЫЕ СОЛДАТИКИによるテーマ曲についても全く同様だと思います。

CDで手に入らないならば、ただいつまでも口ずさむのみ!
強烈に刻みつけられた映像を思い浮かべながら。

Вперед!
Страна!
Скорей  моя!!



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Sunday, January 22, 2012

名作、絶品、NHK大河ドラマ「平清盛」

タイトルが大仰に過ぎるかも知れませんが、平成二十四(2012)年・NHK大河ドラマ「平清盛」は、現時点でこれぐらい強く賞賛・称揚しておくべきだと個人的に思いました。

何が何でもこの作品を批難して、引きずり降ろさねば気が済まぬ人々には、これまた各自の好悪や利害があるのだと思います。別にそういう方々と自己主張を闘わせるつもりはありません。敵意も害意もありません。
しかし、私が危ぶむのは、時間即応的に流布する、悪印象をもたらす逐次報道が、この作品と「観たほうがよい人」とを遠ざけ、最終的に制作現場自体を揺さぶってしまうことにあります。

個人的なことを申します。

この作品は絶品です。
今、既にして傑作、大傑作です。

コンセプトをハッキリと決め、それに対して凝らし尽くせる限りの趣向が丹念に施されています。

これは、まさにマルチメディア作品としての素晴らしい「工芸品」或いは「芸術」です。

感覚を研ぎ澄まして視聴すれば、その注力分だけ、見返りがある作品です。

私は、主だった配役が明かされるに連れて、制作の意気込みが只事では無いと思いました。

これはもう、全編保存だと思いました。

そうして長尺を採った第1話を、じっくり視聴したのですが…。

鑑賞するために、映画1本分の心的・精神的エネルギーが要りました。
私はこの作品を、毎週放送ペースに合わせて視聴する自信がありません。
録画しておいて、自分の時宜を合わせて観るのが最適だと思いました。

また個人的なことを申します。
我が家の家系図なんてものは、市街地の95%を焼尽・消尽せしめた鹿児島空襲(鹿児島は米軍の爆弾捨場だったのです)でとうに失せました。
しかし、我が氏姓名乗りと地縁と家伝・口碑と過去帳が、「尊卑分脈/諸家大系図」の世界へと、かなり具体的な形で繋いでくれます。
私の中で「源平藤橘」のうち「源平藤」までは確実に混成しています。かと言って我が家が如何程の家門であるかと訊かれれば、実にみすぼらしい評価を受けることでしょう。「微禄小身」と世に言いますが、幕藩期以降は「微禄」さえも怪しいです。でも、私はそれで構いません。兎にも角にも、この国の長く深い歴史と、自分のアイデンティティとを繋ぎ、苦しい時悲しい時に、自己を励まし善導してくれるからであります。

そういう精神土壌を持つ者が、この「平清盛」第1回を視聴しました。

冒頭、3分でもう涙が出てきました。
「男が易々と泣くな」と亡父が私を育てたので、そうそう涙もろい方では無いと思うのですが…。
そして、尺中、何度も感極まって落涙致しました。

この作品は、男泣かせであります。
些事をあげつらうと、コンセプトそのものに対する評価を誤ってしまう、そういう作品だと私は思います。

そして、たかだか100年や200年で定義されてしまった「身分の貴賎」というスケールでは捉え切れない世界の話です。
私の、或いは、貴方様の、100親等や300親等に当たる人が、この作品には必ず「等身大」で登場している筈です。作中において、予想外に高い身分に在るかも知れないし、或いは、血と糞が滲む土の上に死に物狂いでしがみついているかも知れません。

気の塞ぐような世情にあって、元気を無くしている貴方様、私も同じであります。
この作品には、恐らく、何処かに貴方様の「ご先祖様」、そうでなくとも、その方の伯父さんとか従兄弟とかは登場している可能性があります。その人が作中でカッコ良くても悪くても、いいじゃありませんか。その人達と連なる人たちが頑張り続けたから、今の我々は今生、存在するのです。

「平清盛」を観て、人間としての誇りと自信を取り戻しましょう。

コメント欄は有効にしておきますが、土足で喧嘩を売りに来るような方は願い下げです。「貴方の主張」を発表する場は、このブログが見えている以上、極めて容易に獲得できる筈です。そちらでなさって下さい。間借りに来ないで下さい。尻馬にも乗らないで下さい。
また、私自身、意見の異なる方を貶し、己が主張の相対価値を高めようとする企ても、今後に渡って一切持ちません。
久々に、苦手とする「トラックバック」も有効にしますが、制作現場とコンセプトを少しでも応援出来れば、という一心に拠る行動です。作品を褒める為だけに利用して下さい。文面引用とリンクも同様です。作品を貶したり、或いは誉めそやす体裁で良からぬ利得を企てようとする方は、一切関わらないで下さい。
スパム等は、通報できる限りの処に通報致します。

どうぞよろしく。

素晴らしいNHK大河ドラマ「平清盛」の公式サイト。
NHK大河ドラマ「平清盛」

本日、第3話放映日ですが……、録画しますけど、まだ観ません^^;
じっくり腰据えて、丁寧に観たいので。

でも、私的に並々ならぬ思い入れ有る、源三位入道の初登場だけは、リアルタイムで間に合いたいなー。
どうも、この配役には凄まじいサプライズが秘されている予感がするんですよ。
確か、配役発表、まだですよね。
昭和47(1972)年の、あの名作大河ドラマ「新・平家物語」から、ダイレクトにとてつもない御方が配役されそうな予感さえします。
この文脈が当たっていれば……、もう「あの方」か「あの方」でしょうね(笑)

源三位入道、源三位頼政、源頼政。

公卿の時代から武家の時代、平家の時代から源氏の時代へ、それを象徴する巨大なキーパーソンですから。

まあ、この予感は勿論、外れてもいいんです(笑)

しかしまあ、「義経」で、亡き丹波哲郎氏が演じられた源頼政、カッコ良かったなあー。
あれはもう、私の中で永久不滅の絵姿ですわ。

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Wednesday, January 11, 2012

伏龍興起,鳳雛羽化.壬辰一月.

今年は何か、陽を向くように世が革まる起点であるように感じられるのです。

以前のように、己が心魂を甚大に傾注した更新に復することはもうあるまいと思いますが、このブログ「銀璧亭」を再び脈動させようと思います。

何か特定の宗教や思想に発心したというわけではありませんからね^^;

しかし、幼き時から年々歳々敬慕の念、弥増しに増す、聖ジャンヌ・ダルクの生誕600年を心よりお祝い致します。

Sainte Jeanne d'Arc, priez pour nous.

そして、「心のともしび」運動のマクドネル神父さまの温かい御心に深く感謝致します。
あなたの御手の温もりは、終生忘れません。

....................................................................................................

Dear the Rev. Fr. Graham McDonnell

Thank you very much for you gave me the other day,
For My Fater in Heaven ,,,,and For Us.

The best of health to you.

With our best regards.

Tando
....................................................................................................

「600年」という期間は、東洋的な価値感覚の中では特別な意義を成します。
十二支と十干の組み合わせ「六十干支」の10周目にあたります。
或いは、これは天体の摂理由来なので、生命あるものにとって特別な事象と捉えるべきなのかも知れません。
そうした大きな流れの中で、人類史上の殊に大いなる救世者、聖ジャンヌ・ダルクとの結び付きを考えると、少なくとも、惨禍の極みにあった昨年からの心機一転を期する、積極的な心持ちになれるように思われませんか?

皆様と、そして我々の、大いなる幸福の開基を衷心より祈ります。

ついで、私事。
久々なので改めて申しますが、かく「銀璧亭」、『ヘキ』は『玉』の『璧』で、『完璧』の『ヘキ』なのでございます。
文字が変換されない場合は「完璧」と打つと、たいていの文字入力ソフトでも対応します。
私自身、今の文字入力ソフトに変える前、―このブログの初期―には、「璧」の変換が余りにも面倒なので、「完璧」から拾い上げて辞書登録して用を為していました^^ゞ

この旨についても申し述べているも(常時右ラインからリンク表示)、ついでにaboutもご高覧賜りましたら幸甚です。
……ここだけは、かつての雰囲気を変えないままにしている部屋です。

そして、バナーを作って下さった「紅子サマ」(※当時)、近年消息をしていません。
申し訳ありません。
お元気ですか?
貴作のバナーは、このブログが存続する限り、「篇額」として掲げ続けさせて頂きます!

それでは、本日はこれにて。
タイトルは、干支と繋げて、とにかく何が何でも「大きなめでたい」意図を込めました(^^)

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Wednesday, June 29, 2011

日本コロムビア100周年記念企画に寄せて。

1910(明治43年)10月に、日蓄こと日本蓄音機商会が設立されて、100年が経過しました。この企業こそが、現在の「日本コロムビア」の祖型であり、また、この時こそが本邦に於ける純国産商業レコード文化の濫觴とも言えるでしょう。

それに伴って、日本コロムビアではこの1年程の間にポツリポツリと、貴重な歴史的音源の数々を体系的にCD復刻して、世に送り出し始めました。
私にとっては、聴きたくても叶わなかった貴重な歴史的音源へのコンタクト実現を予期させる、嬉しい前兆でした。そして、前兆は遂に大輪が咲き乱れる様相となりましたので、このブログでも感謝と応援の意を込めて、ご紹介に貢献出来ればと思い拙文を連ねる次第です。

兎にも角にも、分野、時代、意義、全てが広範なので、ひとまず今回記事では発端として、注目に価するCDのご紹介のみに止めたいと思います。

<1>
コロムビア創立100周年記念 決定盤 流行歌・大傑作選(2CD)
1)明治 大正 昭和初期

【収録トラック】

・DISC-1:
1.カチューシャの唄(復活唱歌):松井須磨子
2..鉄道唱歌:納所文子
3.金色夜叉:塩原秩峰
4.船頭小唄:鳥取春陽
5.籠の鳥:歌川八重子
6.君恋し:高井ルビー
7.アラビヤの唄:二村定一,天野喜久代
8.麗人の唄:河原喜久恵
9.酒がのみたい:バートン・クレーン
10.酒は涙か溜息か:藤山一郎
11.影を慕いて:藤山一郎
12.走れ!大地を:中野忠晴
13.サーカスの唄:松平晃
14.並木の雨:ミス・コロムビア
15.小さな喫茶店:中野忠晴
16.夕日は落ちて:松平晃,豆千代
17.花言葉の唄:松平晃,伏見信子
18.博多夜船:音丸
19.山寺の和尚さん:コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ
20.別れのブルース:淡谷のり子

・DISC-2:
1.愛国の花:渡辺はま子
2.旅の夜風:霧島昇,ミス・コロムビア
3.悲しき子守唄:ミス・コロムビア
4.シナの夜:渡辺はま子
5.一杯のコーヒーから:霧島昇,ミス・コロムビア
6.古き花園:二葉あき子
7.何日君再来:渡辺はま子
8.誰か故郷を想わざる:霧島昇
9.なつかしの歌声:藤山一郎,二葉あき子
10.お島千太郎旅唄:伊藤久男,二葉あき子
11.湖畔の宿:高峰三枝子
12.小雨の丘:小夜福子
13.蘇州夜曲:霧島昇,渡辺はま子
14.熱砂の誓い(建設の歌):伊藤久男
15.紅い睡蓮:李香蘭
16.めんこい子馬:二葉あき子ほか
17.崑崙越えて:藤山一郎
18.南の花嫁さん:高峰三枝子
19.お使いは自転車に乗って:轟夕起子
20.お山の杉の子:安西愛子ほか

◎私の一言感想:
伝説の演歌師、鳥取春陽(1900-1932)が歌う「船頭小唄」を積年聴きたかったのです!
大正10(1921)年、オリエントレコードへの、この吹込みで、「船頭小唄」を!
日本歌謡曲史を画するこの名曲が作られた、その年に録音されたレコードです。
私はこの1トラックの為に、このCDを買ったと言っても誇張にはなりません。


<2>
コロムビア創立100周年記念企画 伝説を聴く(2CD)

【収録トラック】

・DISC-1:
1.カチューシャの唄(復活唱歌):松井須磨子
2.ゴンドラの唄:松井須磨子
3.のんきな父さん(のんき節):石田一松
4.かやの木山の:藤原義江
5.ある晴れた日に-歌劇「蝶々夫人」より(日本語歌唱):三浦環
6.恋はやさしい野辺の花よ:田谷力三
7.沓掛時次郎(脚本解説):大河内伝次郎
8.沓掛小唄:川崎豊,曽我直子
9.映画劇「金色夜叉」:林長二郎,田中絹代
10.金色夜叉(貫一の唄):藤山一郎
11.松竹映画「十九の春」歌と映画劇:
・・・静田錦波(ナレーター)
・・・伏見信子,竹内良一,高峰秀子(出演)
・・・ミス・コロムビア=松原操(*歌は3番のみ収録)
12.愛の紅椿:霧島昇,田中絹代
13.七里ケ浜:高田稔
14.小雨の丘:小夜福子
15.すみれの花咲く頃:宝塚少女歌劇月組生徒,天津乙女,門田芦子
16.カマラードの唄(友達はよいもの):水の江滝子
17.十五夜の娘:川島芳子
18.郷愁の舞姫:崔承喜
19.何日君再来:白光
20.興亜三人娘:李香蘭,白光,奥山彩子
21.思い出せないことばかり:鶴田浩二
22.旅はそよ風:大谷友右衛門,八千草薫

・DISC-2:

1.花のいのちは:岡本敦郎,岸恵子
2.君は遙かな:佐田啓二,織井茂子
3.伊豆の佐太郎:高田浩吉
4.やくざ若衆:中村錦之助
5.湖水物語:山本富士子
6.山の男の唄:三船敏郎
7.海女の慕情:前田通子
8.青い山脈:宝田明
9.絵草紙若衆:勝新太郎
10.赤いカンナの花咲けば:松島トモ子,小畑やすし
11.船頭小唄:森繁久彌
12.洒落男:榎本健一
13.ちょいといけます:榎本健一,古川緑波
14.歌くらべ荒神山:川田晴久,永田とよ子
15.アジャパー天国:泉友子,伴淳三郎
16.僕が女房を貰ったら:五月みどり,フランキー堺
17.彼奴ばかりがなぜもてる:渥美清
18.かっぽれ:吉原〆治
19.大石山鹿護送:桃中軒雲右衛門
20.大高源吾:二代目 吉田奈良丸
21.阿波の鳴門:豊竹呂昇

◎私の一言感想:
稀少音源の怒涛の如きラインナップに目眩がしそうです。
太字にしたトラックは、個人的な思い入れと関心から。
今、日本で発売されているCDの中で、最も内容が濃いタイトルかも知れませんね。
松井須磨子の「ゴンドラの唄」を遂に聴くことが出来た!!
「流行歌大傑作選」共に、別日を期して一文書きます。


<3>
日本の歴史的演説(CD3枚・紙箱仕様)

・DISC-1「政治家・大正時代編」:

1.「憲政ニ於ケル輿論ノ勢力」より:大隈重信
2.「非立憲の解散・当路者の曲解」より:島田三郎
3.「正しき選挙の道」より:尾崎行雄
4.「政治の倫理化」より:後藤新平
5.「強く正しく明るき日本の建設」より:永井柳太郎
6.「経済道徳合一説」より:渋沢栄一
7.「国民ニ告グ」より:田中義一
8.「新内閣の責務」より:犬養穀

・DISC-2「政治家・昭和 戦前編」:

1.「国民に愬う」より:浜口雄幸
2.「財政経済について」より:高橋是清
3.「危ない哉!国民経済」より:井上準之助
4.「総選挙ニ際シテ国民ニツグ」より:町田忠治
5.「理由無き解散」より:小泉又次郎
6.「犬養内閣の使命」より:鳩山一郎
7.「総選挙と東方会」より:中野正剛
8.「日本精神に目覚めよ」より:松岡洋右
9.「国民の協力を望みて〈消費と節約〉」より:賀屋興宣
10.「重大時局に直面して」より:近衛文麿

・DISC-3「軍人編」:

1.「乃木将軍の肉声と其思ひ出」より:
・・・小笠原長生による解説,乃木希典の断片的音声録音(自己紹介一言)
2.「聯合艦隊解散式に於ける訓示」より:東郷平八郎
3.「日本海海戦に於ける東郷大将の信仰」より:小笠原長生
4.「東郷元帥」より:古田中博
5.「弥マコトの道に還れ」より:秦真次
6.「非常時は続く」より:荒木貞夫
7.「国民諸君ニ告グ」より:林銑十郎
8.「政府の所信」より:米内光政
9.「宣戦の大詔棒読」より:東条英機
10.「提督の最後」より:平出英夫

※各タイトル分売(内容は完全に同一,セットとは外箱の有無のみの違い)
もあります。

政治家-大正時代編

政治家-昭和時代編

軍人編

※注:各人の経歴解説はありますが、テキストは一切付随していません。

◎私の一言感想:
出るべきCDがやっと出ました。本当に、やっとです。
やはり、別日を期して一文書きます。

>>>>>◇◇◇◇<<<<<<

・・・それでは、本日はひとまずご紹介のみ。
思いの丈が大き過ぎるだけに、力が要りそうです・・・。

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Tuesday, April 26, 2011

高射砲?拍手中断?「タモリ倶楽部」でどんな特集が…?

約1年半ぶりに「銀璧亭」を更新致します。

私自身の@nifty既得アカウント混乱(…&情報消失)によって、このblogに上手くログイン出来ない状態が続いておりました。それと、昨年のちょうど今頃に救急搬送されるような大患がありまして…。
故に、ログインと、作文、伴うコミュニケーションの随意性が高い某SNSに偏重していた次第です。

理由は上述の通りですが、それでもなお、この長期間に及ぶ不甲斐無い休眠状態を見守って下さった各位様に、心からのお詫びと御礼を申し上げます。


大変申し訳ありません。
そして、本当にありがとうございました。


…それでは、2年半ぶりに銀璧亭で「何か書いてみようか」と、機能停止していた意欲が復旧した、その動機について、です。


私はいつもクラシック音楽CDに関する新譜情報のチェックには、ほぼ毎日更新のHMV:音楽・クラシック ニュースピックアップを頻用しております。
そうすると、ここ数日の間、「タモリ倶楽部で紹介された…」と附して、歴史的録音の既発音源が複数紹介されているではありませんか。
はてさて、これは一体何事なのか、と。


同番組は特に「空耳アワー」が楽しみで、随分な年数、翌日の起床時間との兼ね合いが許す限り視聴してきました。しかし、ここ数年の間、私の放送圏は遅れネットの上に放送曜日や時間枠がフラフラ動くので、フォローし切れなくなって動向が殆ど分からずにいる状態です。
タモさんの好奇心と広範な博識ぶり、そして機知に富んだコメントは、「ブラタモリ」でも楽しめるようになりましたし…^^;


先述のHMVサイトで「タモリ倶楽部」に絡めて取り上げられていたCDは現状で2点です。


まず、ワルター・ギーゼキング(ピアノ)/アルトゥール・ローター(指揮)による、1945年1月ベルリンで収録された、マグネトフォン(録音用テープ装置の実用版原型)応用方式によるステレオ録音のベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。

(↑Amazonは新品入荷の見込みが希薄なので、HMVやTOWER RECORD等でお求め下さい!)

そして、クレメンス・クラウス(ウィーン・フィルの『ニューイヤー・コンサート』創始者)指揮による、没年1954年、最後のニューイヤー・コンサートの実況録音です。

前者は、大破局寸前のナチス・ドイツ、ベルリンで録音された音源。国防軍の高射砲音、或いは連合軍による爆撃着弾音が演奏と同時に録音されているという理由。後者は、聴衆の熱狂と大喝采が演奏を中断させてしまう、という理由で取り上げられたようです。

「タモリ倶楽部」の番組企画自体は「フルトヴェングラー没後125年」と銘打たれていたそうです。
有名過ぎるほど有名な「足音入り」1951年バイロイトのベートーヴェン「第九」

や、戦後、ベルリン封鎖への救済作戦として行われた「ベルリン大空輸」の輸送機飛行音を拾ったライヴなどが本筋として取り上げられていたのだとか。

ところが、番組を視聴なさった方のご感想をWeb等で拝見していると、スタジオの関心はギーゼキングの「皇帝」に収録された爆音の方に傾注されていった、……と思しき様子。

……やはり、ショッキングですよね。平和に依拠しながら文化の豊穣を享受して生育してきた者にとっては、尚更のことです。

さて、他に同類の音源としては、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮/ベルリン・フィルによる1944年9月9日、バーデン・バーデンで収録されたライヴ録音、ブラームス/交響曲第3番の第1楽章で聞かれる重音の連なりが、やはり高射砲音ないし爆撃着弾音なのではないか、と言われています。
これも戦時下の緊張と相まって、異様とも言える名演です。

敗北寸前の状況に陥りながらもなお、音楽上演とその録音記録をぎりぎりまで続けたナチス・ドイツ、ドイツ第三帝国末期。刻一刻と迫る「ひとつの世界の大破局」を、否が応でも聴く者に感じさせる音源が、まだ沢山遺存しています。
勿論、いつか、それらをご紹介する機会をも設けたいのですが……ここでは、敢えて異なる意味合いを有する音源を私の聴き知る中から一つ、ご紹介させて頂きたいと思います。


ワンダ・ランドフスカ(演奏楽器:プレイエル特注モダンチェンバロ"Landowska" Model"オリジナル)
スカルラッティ「ソナタ選集」

1934年から1940年までの間に、主にパリで録音された、ランドフスカ(1879-1959)によるスカルラッティのソナタ録音を集めたEMIのCDです。

今回のエントリーの趣旨から私が言い及びたいトラックは、22トラック目のソナタ ニ長調 K.490/L.206です。
録音日は1940年3月(?)の8日、または9日。
時はナチス・ドイツによるフランス侵攻の真っ只中であり、1940年6月14日にパリは陥落します。
そのような、パリがナチス・ドイツによる攻撃に瀕した非常事態下に、この録音は行われました。
(※録音データにある1940年3月初時点で、ナチス・ドイツは本格的なフランス侵攻を実行していないようです。マジノ線越境が1940年5月10日であることを考慮すると、爆音混入の理由か録音データ、いずれかに検証の余地が残されていることを付記しておきます)

後々のモーツァルトの長調ソナタを予期させるような、スカルラッティの牧歌的とも言えるニ長調の楽想が、ランドフスカの高雅な演奏によって進行していきます。

……しかし、演奏開始から約2分後(トラック02:00-02:05秒辺り)に、3回の重爆音が連続して、それも、開け放ちの窓越から入り込むようにして聞こえるのです。

その生々しさは、先述の「皇帝」や、クナッパーツブッシュのブラームスをも上回っているように感じられます。
それでも、ランドフスカの演奏は些かの動揺を見せることもありません。演奏は毅然と進み、演奏は優雅な余韻をも全くして締め括られます。
この後、パリ陥落とナチス・ドイツの侵攻・進駐に伴い、ランドフスカの住居は滅茶苦茶に蹂躙されます。彼女が長年にわたって熱心に蒐集した貴重な譜面、資料や、何より愛着深いプレイエルの愛器……、全てを毀損され、略奪されて、彼女は命からがら、身一つでアメリカへと亡命するのです。

この凄絶な意義を附帯させたドキュメントへ対峙する心持ちは、その人それぞれだと思います。
私自身、上手く言葉で言い表すことは出来ません。

ただ、先述ギーゼキングの「皇帝」、ランドフスカのスカルラッティ、……短絡的な類別を憚ること無く言葉を連ねるならば、各々が包含される国家勢力の立場上では、「加害者」と「被害者」。

……しかし、それぞれの身命に対して、巨大な破滅の危機が迫っているということ。
……そして、いずれの演奏も、なお、この上無く美しく、素晴らしいのだということ。

これは、共通しています。


人が生きる上で、文化、芸術はどの位、不可欠なものなのでしょうか?
外的要因によって生活と身命を脅かされた経験をを持たぬ私が推し量る事は出来ません。

先日、東日本大震災の関連ニュースをテレビで観ていました。
すると、津波で甚大な被害を受けた街の一つ、岩手県釜石市で、被災した人々を元気付けよう、と、釜石の郷土芸能「虎舞」(とらまい)が披露されたというニュースが。

演舞を披露する保存会の中にも、災害の犠牲となった方があったとの事です。
そして、観覧する方々の御身辺でも、尊い生命が奪われた事は想像に難くありません。それだけではなく、からくも難を逃れながらも、数多の大切なものを喪われた事でしょう。

やがて、インタビューを受けた女性が仰った言葉が、私の心に深く突き刺さり、思わず涙腺が緩みました。


「家が流されても泣かなかったのに、『舞』を見たら涙が出ました。私たちも頑張るしかないです」


インタビューに応えた方は、被災後、ずっと苦境に歯を食い縛って耐え、渾身の力を尽くして来られたのではないか。私はそのようにお察し致します。だから、その方は大切な家財一切を津波に奪われても泣かなかった。
けれども、愛着尽きない郷土の、親しみ深い伝統芸能に思いがけず接した途端、ほんの少し前までは確かに在った平和な日々への懐かしさと、演舞に奮起した保存会をはじめとする人々の営みの強さ、……そして喪われた数々の尊いものに対する実感が、ひとときに結像したのではないでしょうか?

……私は、そのように愚考致しました。


今更言うまでも無い事なのかも知れませんが、文化、芸能、芸術は、地球上のありとあらゆる時代と地域で、絶え間無く人間が、強く希求し、発展させ、継承し、敷衍してきたものなのでしょう。
それらは生命維持にとって決して不可欠ではありませんが、「人は何故生きるのか」という難しい命題とは、深く深く結びついているように思われてなりません。
だからこそ、時代、人種、国家、社会集団、思想、宗教……諸々のしがらみを超越して、人の心を共鳴させるのだとの実感を新たに致した次第です。

バラエティ番組を発端としながら、話の主題が移ってしまいましたが……。

東日本大震災による未曽有の大災禍に遭われた皆様が、一刻も早く、平穏で安寧な日々と、喪われた数々の尊い存在に値する、或いは倍する幸福を再び得られることを、不肖、衷心より願い続けます。

2011.4.26 銀璧亭 Tando


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

付:

本文とは別件です。

常からSNS等々通じて親しくして頂いている"夜長姫"-"よながひめ"様が、先般blogを開設なさいました。

  栞ノオト

一日一冊ペースで読書してらっしゃるんじゃないかと思われる程の、膨大な書誌文献に対する御造詣をフルに発揮なさった書評、そして素敵かつハイペースな映画鑑賞レビューが中心の充実したblogです。
こんなに実り多い内容で更新頻度も高いのに、「インターネットで全然見付けてもらえていないみたいです」と嘆いていらっしゃいました。

これは、勿体無いの一言です。

拙blogのように書き手が怠慢なスペースからのリンクは気が引けてならないのですが、此度久々に更新した機会でもありますので、御紹介&猛プッシュさせて頂きたいと存じます。

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Saturday, December 19, 2009

トラップ一家物語~Trapp Family Story

NHK-BS2で先日まで再放送していた、「ハウス世界名作劇場」の「トラップ一家物語」(1991年本放送)。
私はリアルタイムで終盤を視聴し損なったままだったので、特に物語後半から録画していました。トラップ男爵がマリアさんに求婚するまでの辺りからです。いやあ、良かった。やっぱり名作劇場は素晴らしいっ!

それで、録り溜めていた最終回までの数話を見終えたところなのですが…、いやあ、泣きました。何処で泣いたかと言うと最終回、一家が住み慣れた家を秘密裏に去るシーン。気の好い料理人のローズィおばさんと子ども達の別れのシーン、うううう、ウルウル。そして古馴染みの、頼れるフランツさん。フランツさんは男爵が破産した時のお金のエピソードで既に私はだだ泣きだった訳ですが、このオーストリア脱出と告別の経緯にいたっては、もうたまりません。乗合バスでのトラップ男爵との別れのシーン、ああ、ダメだ、もうキー叩きながら思い出して涙腺が緩んできた。マリアさんが亡命の船上で何とは無しに歌い始める『別れ』(ムシデン)も心に迫ります。国外脱出を援けてくれた顔ぶれと共に、このよき人々に幸多かれと願わずにはいられませんでした。

さて、クリスマスを見据えた盛り上がりも正に酣、1枚のCDについて今回は書きます。

Christmas With the Trapp Family Singers~
「ひいらぎ飾ろう」「きよしこの夜」等のキャロルと、グレゴリオ聖歌、プレトリウス、バッハ、スウェーリンク、ヴィットリア、パレストリーナによるクリスマス・チャント集

The Trapp Family Singers(トラップ一家合唱団)
マリア・アウグスタ・フォン・トラップ
ウェルナー・フォン・トラップ
マリア・フランツィスカ・フォン・トラップ
ヘートヴィヒ・フォン・トラップ
アガーテ・フォン・トラップ
ヨハンネス・フォン・トラップ
エレオノーレ・フォン・トラップ

シャーリーン・ピーターソン
ハロルド・ピーターソン

フランツ・ヴァスナー(指揮)

1951-53年、Deutsche-Grammophonによる録音。時期的にはまだモノラル録音ですが、テープ機材に移行してからの収録でもあり、とても良好な音質です。リマスタリングが良いのか、適度な奥行きがあり、非常に聴きやすく感じられます。さすがは Deutsche-Grammophonの録音です。
時期的には、既にゲオルク・フォン・トラップ準男爵の没(1947年)後です。そして、ヨハンネス、エレオノーレの両氏が、トラップ艦長とマリアさんの間に生まれたお子さんです。指揮はこの合唱団結成の立役者、ヴァスナー神父が担っています。

さて、この音源なのですが、純粋な音楽CDとしての鑑賞に充分耐える、極めて優れたものです。むしろ、あまりに高尚な音楽が繰り広げられるので、名作劇場や映画『サウンド・オブ・ミュージック』のうきうきするような感動から手に取ると、却って戸惑いさえするのではないでしょうか?
私の場合が正にそれで、「さあ、届いた、どんな合唱なんだろうワクワク…」とプレーヤーにセットして、一曲目のプレトリウスが始まるや、「…え、え? こんなに素晴らしいんですか、何だかスミマセン…」と、思わず居住まいを正さずにはいられませんでした。
そもそも、プレトリウスやスウェーリンク、パレストリーナといった作曲家の名が並んでいる時点で、これが単に享楽的な意図から製作されたものではないことを察するべきでした。合唱団を指導したヴァスナー神父の高い識見に他ならぬことと思います。歌唱、アンサンブル自体も大変優秀であり、一機縁から歌の世界を生業と為すようになった家族のものとは、到底思われません。ヴァスナー神父はどのようにしてこの家族を導いたのでしょうか、本当にとてつもない人です。そして、キリスト者の信仰の篤さ、祈りの深遠さというものがここには満ち満ちています。

さまざまな形で生じた好奇心を満たしてくれるどころか、より一層の感動を与えてくれることは間違いありません。
賑やかで楽しいクリスマス・アルバムとは趣を異にしますが、「クリスマスって本来こういうものなんだよなあ」というところに立ち返らせてくれる、素晴らしい一枚だと思います。

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Friday, December 18, 2009

Maestro-X 頌

Maestro_x
今般、数年来逸したまま渇望していたCDを入手することが叶った。
Maestro X(写真)が指揮する、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」である。
これは巨匠2回目の録音であり、晩年の芸境を後世に伝える貴重な記録だ。
元よりアンサンブルを精緻に彫琢することで人後に落ちぬ巨匠、ここでもその手際は万全と言っても良い。巨匠の至芸に馴染んでいると、いつの間にかこれが当前の水準であると錯覚してしまう。些か困ったことである。その辣腕が余りにも冴え過ぎて、特定のレパートリーにおいては余りにも強烈な光輝を付与してしまうものだから、ややもするとそのイメージが一人歩きしてしまう憾みも否定出来ない。私がこの「英雄」を逸していたのも、恥ずかしながらその弊害に因る影響無しとは言えないのである。
果たして漸く入手した「英雄」は、私が渇望とともに抱いていた、遠慮がちで幾分は願望をも伴う期待に対して、応分以上に応えてくれるものだった。
このセッションでの巨匠は、自らの力量が齎す成果に対して、1回目の録音よりも更に入念な艶消しを施しているように感じられた。殊に管セクションが、時に素朴とも言うべき表情を見せたのは予想外のことだ。
眩い色艶は秘められて、代わりに悠揚とした趣が加わった。それでも、僅かながら管楽器に手を加えて音響を補強している点では、やはり19世紀に生まれた巨匠の流儀の、その余勢が尚も示されているのではあるが。
しかし、それにしても、この「英雄」は豪壮そのものであり、また全体としての構成にも配慮が行き届いて隙が無いことには唯々敬服するばかりだ。
新発掘の放送局音源に勿論心躍るものは後を絶たないけれども、存外正規音源の中にもこれだけの名演が然るべき処遇を受けないまま埋もれているのだから油断出来ない。

Maestro-X は独墺のレパートリーに多くの名演を残している。
ステレオでのベートーヴェン、ブラームスの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4番、5番などはその代表例として挙げられるだろう。或いは、彼の遺産がこれ限りだったとすれば、却って日本人好みのする高い評価に落着していたかもしれないとの邪推をも禁じ得ないのである。
CD期以降これらの音源は不遇と言うべき状況で、ベートーヴェン、ブラームスともに全集の体裁はおろか、個別にもその全てはCD化されていない。CD化されたものについても、満足のいくリマスターで頒布されてはおらず、現状では尚も彼の真価を広く世に問われていないもどかしさがある。
殊にブラームスは極め付きに近い名演揃いで、これが彼の心技ともに万全以上を記録した最良の遺産ではないかと、聴き得た音源(1,2,4番。3番のみ2009年現在未CD化で未聴)の印象から想像している。これが然るべき形で頒布されたなら、世評の大番狂わせが起きるかもしれないと私は夢想している。
実際、個人的に妄執にも等しく愛着深きブラームスの第4番、ただ一種ならば迷わず彼の録音を選ぶ。私は殆どこれで死ねるとさえ思っているし、これをあらゆる条件で凌駕する音源が今後現れるのならば、それこそ願ったり叶ったりである。

<品番>
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」-BVCC-38111(廃盤)
ブラームス:交響曲第4番-IMG Artists 7243 5 75127 2 5(廃盤)
 

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Sunday, November 15, 2009

ギーゼキングのベートーヴェン「皇帝」(1945年1月ステレオ録音)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73 『皇帝』
ヴァルター・ギーゼキング(Walter Gieseking/1895-1956,ピアノ)
アルトゥール・ローター(Artur Rother/1885-1972,指揮)
ベルリン帝国放送管弦楽団(盤中表記は Grosses Funkorchester)
1945年1月23日録音(STEREO)
米MUSIC&ARTS CD-1145


録音史上において最初期に属する、ステレオ方式で記録された音源。


ステレオ録音の実験としては、1930年代にベル研究所が着手したものや、1940年公開のディズニー映画「ファンタジア」における、特異なマルチトラック収録・再生の試みなどが挙げられる。
しかし、我々が現在オーディオで鑑賞出来る音源の中で、今日的な「ステレオ録音」の概念と一致する音響を実現したものとしては、ナチス政権下のドイツ帝国放送局がマグネトフォンを用いて行った、1944-45年の放送用音源をもって「史上初」と定義して良いのではないかと考える。


ここに復刻されたギーゼキングの独奏による協奏曲は、単なる実験記録としての意義にはとどまらない、驚くべき高いクオリティを示している。
元よりドイツで当時採用されていたマグネトフォン(テープ録音の原型)機器による録音は、録音の起源以来行われてきたレコード盤面へのダイレクト・カッティング方式とは異次元の明瞭な音質記録を実現していた。それに加えて、ここでは既に極めて高度な立体音響が成されている。
明瞭な音質と、ほぼ安定した定位、録音年代を伏せて聴いたなら、これが第二次大戦中、1945年の録音であると言い当てることは出来ないだろう。



個人的に、この音源と自ら出会う機会が今になったことを、遅過ぎたのか機が熟したのかよく分からずにいる。CD初出は今を遡ること15年以上も前だし、文献で読み知ったのも同じくらいの時期だ。しかし、何やら如何物食いめいた物々しさを感じたまま、ずっと接する機会も設けず時を過ごしてきた。
それが先般、偶々掲出のHMVサイトで「在庫あり」の状態となっていることが目に留まり、何となく興趣が昂じて発注した次第。MUSIC&ARTSというレーベルは供給が不安定で、一回あたりの生産ロットが払底したら、次はいつ入荷するか分からない。それもこの音源を長く逸してきた要因の一つだ。
手に入るうちに聴いておくのも悪くはないか、という程度の軽い気持ちで初対面と相成った訳である。


結果としては、あまりの素晴らしさに愕然とするばかりだった。間違いなく、一期に必ず出会っておくべき音源だった。
素晴らしい音質、そして、感動的な演奏!


音質については、先に触れた通り。異常とさえ言える質の高い記録だ。却ってあたら言葉を連ねないことを以って他に、その物凄まじさを強調する術は無いと感じる。実際に聴いて驚くのが、誰にとっても最上の喜びだろう。


そして、この演奏はどうだろうか。
従来個人的に、ギーゼキングというピアニストに対して関心を持たずにいたことを大いに悔いることとなった。
このピアニストは、現代的で万能な奏者としての側面ばかりが無闇と強調され過ぎなのではないか。こうして年代不相応の音質で接する演奏は、紛れも無く古き佳き時代の、極めて丹念な手工芸の姿を呈している。入魂の輝かしい音色が、豪壮な作品の楽想を否応なく昂ぶらせる。特筆すべきはアルトゥール・ローターの指揮による管弦楽で、単なる添え物どころの話ではない。行き届いた采配と、重厚でいてしなやかな音響、そして終始漲る緊張感は、何やら尋常ならざるものを感じさせる。


そうだ、この演奏は総じて尋常事ではない。時折混入する奇怪な重低音は、国防軍の高射砲なのだと言う。ドイツにとっては、時既に敗色明らかな大戦末期なのである。この録音の僅か3ヶ月後には、凄惨なベルリン市街戦の火蓋が切られるのだ。
言うなれば、これは破滅の瀬戸際に行われた記録だ。そして、人間は絶望的な危機に瀕してなお、かくも美しくあろうとするのだということを、接する者に思い知らせずにはいない。


私としては、とうに厭いてもはや進んで聴くこともなかった「皇帝」という作品だが、唯この音源一つを以って、かけがえの無い存在となった。
このような音楽は、求めてもそう多くあるものではない。
 
 

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Saturday, August 29, 2009

24のプレリュードとフーガ/ニコラーエワ(1962年第1回録音)

ショスタコーヴィチ:24のプレリュード(前奏曲)とフーガ
タチアナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva/1924-1993,ピアノ)
1962年録音(STEREO)
Venezia CDVE04363

長らく入手困難になっていた音源だが、先般Veneziaが焼き直してくれた。CDとしての発売はかれこれ15年以上前、まだJVCがMELODIYA音源を扱っていた頃に一度あった限りの筈だ。
私はその時分にはこの作品に開眼するどころではなかったので、今回Veneziaからの廉価発売をもってようやく耳にすることが叶ったという次第である。

この作品の被献呈者であるニコラーエワの第2回録音(1987)と第3回録音(1990)については、既に聴き知っていた。いずれも非の打ち所の無い演奏記録として世評は固まっているところではあるけれども、個人的には受け入れ難い演奏だと感じていた。
この上なく端整を極めた演奏ではあるものの、私の好みから申せば、あまりにもソリッドなのである。言うなれば意匠図案を眺めているような気分で、情緒に乏しいのである。
情緒などというものに何故拘泥するのかと言えば、結局は私の個人的な体験と嗜好に帰する問題でしかない。私が初めて触れたこの作品の演奏が、他ならぬショスタコーヴィチ自身による抜粋演奏だったからである。
これは1958年、健康問題からショスタコーヴィチの演奏技能に重大な翳りが見えていた時期の録音だ。それにも係わらず、あらん限りの気力を込めて打ち立てられたこの演奏は、対峙するものの心を動かさずにはおかない。殊に終曲第24番に横溢する巨大な精神と意思は、演奏技能という「手段」に収まりきらない概念が確かに実在することを知らしめるのである。
このような演奏によってもたらされる感興を、それ以後の世代による全曲録音に対しても求め続けるのは、なかなか辛いものがある。だが、私は求めずにはいられなかった。そうして、長らく満たされぬ心持ちでいた。何種類も全曲盤を買い集め、幾ばくかでもショスタコーヴィチ自身による演奏に通ずる雰囲気を参酌しながら、ひとまずは間に合わせていた。

そして、長らく入手が叶わなかったニコラーエワの初録音、この音源には何となく、自分が求めているものが宿っていそうな気がしていた。根拠は無いが、ショスタコーヴィチ自身が健在であるうちに製作された、恐らく唯一の全曲録音であるという意義付けは、やはり特別であるように思われたのである。
求め続けてこの度ようやく聴き得たこの音源は、果たして大変に素晴らしかった。
ソヴィエトにおける最初期に属するステレオ録音なので、音質は甚だ痩せていてすぐれない。だが、それさえも時代の刻印として取り込んでしまったかのようなニコラーエワの演奏は、代替するものをほとんど認めさせない程の説得力を有している。総じて力強く、終始弛まぬ推進力は、当時もはや自力で弾くことも覚束なくなりつつあった作曲家自身の志を、そのままに受け継いでいるかのようではないか!
ここに及びようやく、私は思い描いていた演奏像によって完成された全曲盤に出会うことが叶った。

ショスタコーヴィチの「24のプレリュードとフーガ」は、20世紀に創造されたピアノ作品の中でも抜きん出て優れた作品だ。世に広く普及している一部の交響曲のイメージをそのままに、ショスタコーヴィチという作曲家に対して辟易している方があれば、まずはこの作品からのアプローチをお勧めしたいと常々私は考えている。
これは決して晦渋ではなく、日頃親しむに何ら不足の無い作品だ。ショスタコーヴィチという作曲家が自らの才知と技法の精髄を以って編み上げた、美しき音楽の時祷書である。
 

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Thursday, August 20, 2009

マエストロ・ニヤジ

今日はアゼルバイジャンが誇る偉大な指揮者・作曲家、マエストロ・ニヤジ(Maestro Niyazi/1912-1984)について。

ニヤジ、本名はNiyazi Zulfigar ogli Tagi-Zade Hajibeyov(長い…)。
叔父にはアゼルバイジャンにおけるクラシック音楽の祖とも言える作曲家、ウゼイル・ハジベヨフ(『ガジベコフ』とも。Uzeyir Hajibeyov/1885-1948)をもち、同門一族は数多くの音楽家を輩出している。そうした状況にあって混同を避けるためか、あえてファーストネームのみで活動した点が特徴的な人物だ。先立ってはピアニストのソロモンなどが同様の音楽家として連想される。
ソヴィエト政権下において、アゼルバイジャン出身者としては随一とも言える国際的キャリアを積んだ音楽家と言えるだろう。
アゼルバイジャンでは在世中から現在に到るまで国民的芸術家「マエストロ・ニヤジ」として広く慕われているようで、その名を冠した貨物船がカスピ海で就航していたりする。
(実はこれ、本来は艦船の等級なのです。正確には『マエストロ・ニヤジ級一般貨物船・マエストロ・ニヤジ』ということです。一隻しか在籍がないのでわかりにくいですが…。『ニザーミー級』なんてのもありますね。)

尽きせぬ関心を喚起される音楽家ではあるものの、とにかく音源が全然出てこない。数少ない音源や情報を珍重しながら、やがて来るべき「ニヤジ黄金時代」を待ち望みたいところだが…。

そうこうしていたら、つい先日、youtubeにニヤジの映像が公開されているではないか!!

ウゼイル・ハジベヨフ 歌劇「盲人の息子」序曲

実は私、mixiでニヤジのコミュニティを運営していたりします。
ご関心の向きは是非ご参加下さい^^

ひとまず今日はここまで…。
また入手可能音源等のインプレッションを含めて書きたいと思います。 
 

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Sunday, August 16, 2009

5周年と8万HIT御礼

長らく更新をご無沙汰して申し訳ありませんでした。
実はこの夏、ココログのログイン用アカウントが変わった際にゴタゴタしまして、しばらく自分のアカウントが不明になってしまいました。更にその後、2001年来使用してきたPCが壊れ、そのリカバリにも手間取っていました。
そうこうしているうちに、当ブログ「銀璧亭」は8万HITを達成、また、来る25日で開設以来5周年を迎えることとなります。日頃のご厚誼に感謝申し上げます。

さすがに5年も経つと身辺も物事の考え方も随分と隔たってくるものです。あちこちに余分な力が入り妙に気取った文面は、ブログの運営と隔たった日常的なキーワード検索等で不意に出くわして、内心狼狽することもしばしばです。当時の記事に今更手を入れるつもりはありませんが、振り返るには心中容易ならざるものがある過去の荷物です。

まだまだ一層の改善を期しながら、今後も更新に臨みたいと思います。
よろしくお願い致します。
 

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Saturday, May 30, 2009

ギリヤーク尼ヶ崎、白川軍八郎

京都文教大学人間学研究所主催の公開シンポジウム、「鬼の踊りから祈りの踊りへ~大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎 40年の軌跡」(2009年5月30日13時~16時・於・五條会館)へと足を運んだ。
大道芸人・舞踊家ギリヤーク尼ヶ崎が、生い立ちから長い芸歴にいたるまでを自ら振り返るという内容。専ら街頭での公演を活動の場とする人だから、こうした形式でのイベント出演はとても貴重な機会だ。
映像の上映、談話の後には「じょんがら一代」「よされ節」念仏じょんがら」の舞踊上演まで行われた。ファンをもって任ずる者にとっては、本当に逸するべからざる貴重な機会だったと思う。
舞台でギリヤーク尼ヶ崎の舞踏を鑑賞する機会は極めて稀なことで、一体どんな内容になるだろうかと期待と不安が入り交じった心持ちだったが、それはご本人も全く同じだったことが公演後の言葉で明らかになった。オーディエンスに対して頻りに「舞台でも大丈夫でしたか」と訊ねる、飾ることのない謙虚さに心打たれる。大丈夫、どころか、街頭では雰囲気に気圧されてなかなか見届けることのできない、細かなニュアンスの豊かさを新発見し、深く感じ入った。演目のクライマックス「念仏じょんがら」で、街頭のように水を被ることができない代わりに、紙吹雪が用いられていた。あのアクションは進行上欠かせない重要なものなので、会場の制約を克服し、なおかつ視覚に訴える形に昇華したアイディアには唸らされた。
肺気腫を患い、ついには昨年末心臓ペースメーカー施術を受けなおあの激動の舞踊を続ける意志力には感動するほかない。身体能力の限界と常に直面しながらの舞踊公演は対峙する者に「痛み」を共有させずにはいられないが、それだけに訴求する力の強さはいや増しに増し続けている。

さて、ギリヤーク尼ヶ崎と聞けば何と言っても「じょんがら」だが、このシンポジウムで面白い話があった。自身の舞踊とじょんがらの「なれそめ」について回想される中で、旅回りの津軽芸能の公演を幼い頃に鑑賞して強い感銘を受けたというエピソードがあった。「ほら、あれが日本一の三味線弾きだよ」と言われ指し示されたその弾き手の素晴らしさが今も根底にあるのだ、と。そして自身が舞踊に用いている津軽三味線は、その弾き手のものなのだ。かつて高橋竹山という名手があったが、と引きつつ、その弾き手は更に古い世代の人で、もっと速く弾く、それが自分の「じょんがら」にはピッタリなのだ、と。
その時は、具体的に誰という名は出されなかった。それが私にはどうしても気になったものだから、公演後、ギリヤークさんに直接訊ねてみた。「その弾き手は、ひょっとしたら白川軍八郎ですか?」と言うと、ギリヤークさんは「そう、よくわかったね!」と嬉しそうに仰った。「もう誰も知らない人だと思っていたから、まさか言い当てられるとは思わなかったよ。自分が子どもの頃に聴いたのがまさに白川軍八郎だった。三橋美智也の先生で、日劇で師弟協演の公演をやって…」云々。今でも青森で公演を行うと、年配の人からは「白川軍八郎だね」と指摘されることがあるという。昔の人はそれと聴いてまだ判るのだ。
私にとっては何と言っても空前絶後の津軽三味線奏者、白川軍八郎。そして、ギリヤーク尼ヶ崎が、かくも深い由緒から白川軍八郎の三味線を長年舞踊に用いてきたのだという事実に接し、この上ない感動を覚える。惹かれ合うべき者同士が自然に結びついた成り行きに相違あるまい。大道で歳月を重ね、荒々しく磨かれ続けたその芸の源流は、想像を遙かに超えて深い。

白川軍八郎については、2004年の当blogエントリー、津軽三味線(1)─白川軍八郎をご覧下さい。
 

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Friday, April 17, 2009

ドゥシーク,ヴィルトゥオーゾの誕生

ボヘミア出身のピアニスト・作曲家、ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク(ドゥセック、ドゥシェックとも/Johann Ladislaus Dussek/1760-1812)の伝記については、ウィキペディアに詳しいので、そちらをご参照されたい。
エカチェリーナ2世やマリー・アントワネットを魅了し、不倫の果てに友人クルンプホルツを入水自殺へ追いやった美貌の音楽家。そして破産と生活の荒廃、極端な肥満による演奏続行の断念。
まさに疾風怒濤を地で行く、劇的で燃え尽きるような生涯を送った人だ。
ピアニストとしては英国の楽器職人ジョン・ブロードウッドに特注した大音量のフォルテピアノを駆使し、同時代にとって圧倒的に斬新なレパートリーを自ら切り開いていった。
その素晴らしい才覚の片鱗を窺わせるCDが、今回ご紹介するセットだ。

ドゥシーク:ピアノ・ソナタ集/アンドレアス・シュタイアー(フォルテピアノ)

C.P.E.バッハ(J.S.バッハの次男)による直接・間接の影響がドゥシークには見られるということだが、なるほど、確かにフォルテピアノの音域を前提とした先鋭的な作風は相通ずるものを感じさせる。モーツァルトとほぼ同世代人でありながら、モーツァルトがその短命故に為し得なかった作風にドゥシークは到達しているように思われる。このセットに聴かれる1790年代のソナタには、ベートーヴェンの画期的なピアノソナタ第12番「葬送」を先取したとも言うべき激情がある。
そして更に作風を深化させたソナタ「哀歌」「パリへの帰還」の圧倒的な迫力はどうだろう。仮にこれらの作品がモダンピアノのレパートリーとして取り上げられたなら、目隠しでは作曲家の世代も作曲年代も言い当てられなくなってしまうのではないだろうか。
ここで1805年製ブロードウッド・ハンマーフリューゲルを駆使するシュタイアーの才覚は、まったく瞠目すべきものだ。楽器のスペックを限界まで引き出すように没入しきった演奏は、ドゥシークが同時代においてどれほど時代の先へと進んでいたかを如実に思い知らせる。鮮烈な技巧がもたらす音響は、既に19世紀中盤に向けて開花してゆくヴィルトゥオーゾの黄金時代を胚胎したものだ。
このドゥシークこそが、まさしくピアノにおけるヴィルトゥオーゾの嚆矢なのではないだろうか。それと同時にドゥシークは孤高の境地に入ったまま完結してしまった音楽家であるように思われてならない。
古典派にも、初期ロマン派にも属さないドゥシークの音楽。ピリオド演奏という枠にとらわれず、より多くを聴きたいものだと願う。

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Wednesday, April 08, 2009

マーラー/大地の歌/ワルター指揮(1936年ライヴ)

何かと落ち込み激しい時には、いつの間にかマーラーを聴いている。
ここ数日はワルター/ウィーン・フィルによる1936年ライヴ録音の「大地の歌」(テノール:チャールズ・クルマン/ソプラノ:ケルステン・トルボルク)。

「大地の歌」という作品は、まるで苦い古酒のようだ。
最古の全曲盤である同録音は、その酒がまだ蔵から出されたばかりの頃の芳香を伝えていると思う。
ウィーン・フィルのコンサートマスターは、当時まだアルノルト・ロゼー(マーラーの妹婿)が勤めている。
不揃いな所もあるが、今のオーケストラからは失われた前々世紀の匂いがする。そこに我を張らないワルターの指揮が、却ってスコアに込められたメルヒェンとミステリウムを顕わにしている。

声楽のクルマン、トルボルクもともに理知的で、陰影豊かな優れた歌唱を聴かせている。
前者は英国人の起用だ。初演のテノール、ウィリアム・ミラーとメゾ・ソプラノ、サラ・チャールズ・カーヒアも英国人であったことが、何か関係しているのかも知れない。

特別な意味を持って成されたであろう、マーラー没後半年を経た1911年11月の初演もまた、こうした雰囲気だったのではないだろうか。
総じてこういう雰囲気のマーラーを、「大地の歌」を聴かせようと試みる人々はもう居ないであろうから、私にはとても尊く感じられる。永遠に聴くことの叶わないマーラー自身の指揮解釈を想像しながら、この音源に耳傾けよう。
古い録音から演奏のディテールを見事に拾い上げた、オーパス蔵の復刻にも喝采を送りたい。

ちなみに、「大地の歌」初演者サラ・チャールズ・カーヒアの歌うマーラーは僅かではあるが録音がある。
ゼルマー・マイロヴィッツ指揮、ベルリン国立歌劇場管弦楽団との協演による「私はこの世から忘れられ」(リュッケルトの詩による5つの歌曲より)と、交響曲第2番「復活」第4楽章「原光」抜粋の両面一枚がそれである。
既に60歳の歌い手は音程に不安定な所があるものの、幽冥の世界を思わせる歌唱は一聴して忘れ難い。「告別」などもさぞかし素晴らしかったことだろうと推察される。
Naxosの復刻CD、オスカー・フリート指揮「復活」(1924年アクースティック録音)の余白に収録されているので、ご参考までに。

 

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Sunday, March 08, 2009

「懺悔」「タブラ・ラサ」

もっと効率の良い記述方法に注ぐ努力の余地はあるが、順序を優先して書かせて頂きたい。

昨年夏に発売され、私を驚喜させたのがセルゲイ・パラジャーノフの監督作品「火の馬」DVDプレミアムエディション/デジタルリマスター版だった。

「ざくろの色」をはじめ、その後私をパラジャーノフの虜にした端緒がこの作品だったので、良質な形のサプライは本当に嬉しかった。そして、色々と特典映像を附随させた仕様となっている点も、この種の映画を嗜好する者としては有難いことだ。

複数の特典の中で、私が「はて」と首を傾げた映像がある。
それはテンギズ・アブラゼ監督の「懺悔」というグルジア映画のトレーラーで、英語字幕のみが附されている。
時間的には3-5分程だろうか?
過去と現在のソヴィエト地方都市と白日夢のようなイメージが錯綜する、強烈な印象を残すものだった。
しかし、より以上の情報が一切無い。近日DVDが出ると言うことなのか、それとも……?
ともあれ、機会があれば是非観たい映画として、脳裏の一隅に留め置かれた。

・・・・・・

先日、映画魔の妻が入会している京都シネマからの月報を、私が郵便受けから取り出した。
そうすると筆頭に「懺悔」上映情報が掲げられている。何という偶然!
「この映画はいつから上映が始まるの?」すがりつくようにして妻に訊いた。
私がシアターに足を運ぶことを億劫がるので、滅多に映画の話を持ち出さない妻だが、珍しく一声掛けようという心づもりでいてくれたらしい。
美味なるワイン、音楽、バレエ、ピロスマニの国、グルジア。
私が愛着を寄せるその国の映画ということで、空振りを承知で勧めるつもりだったそうだ。
夫婦の絆である。

岩波ホールを発信元として、全国で上映されるスケジュールらしい。
懺悔(1984)|ZAZIE FILMS

ああ、「懺悔」、遂に観ることが叶った。
滅多にシアターに足が向かない私の、その期待に違わない名作だった。

事後の感想として、ソヴィエト時代末期、体制とシンクロニシティを有しながらこの映画を観た人々は、さぞかし感動しただろうなあと思う。
皆が体験しながらも重く口を閉ざしてきた粛清の暗黒時代を、いざ、となってどのように振り返るのか、「懺悔」はそのアプローチの一つとして実に傑出した作品だった。
他方、この作品が時を得て世に出て、多くの観衆の絶大な支持を受けたのは僥倖(実際にその通りなのだ)で、同じように秀逸な企画が恐らく無数に葬られていったであろうことは想像に難くない。

何にせよ「雪どけ」期のソヴィエト社会は、追い掛けてみると面白い。
中世都市とまっすぐ一本に繋がったような生活風景と、最悪の統制社会に喘ぐ灰色の時代と、西欧の最新ヒットチャートから一年遅れくらいのポップカルチャーとが混在している世界。
配給元のサイトで配信されている予告編よりよりは、「火の馬」DVD付属のトレーラーの方が遙かに的確に、キャッチーに作品の美しさを凝縮しているのがもどかしいが……、とにかく多くの方にご覧頂きたい作品だ。

DVD「懺悔」


・・・・・・

そこで、アルヴォ・ペルトの「タブラ・ラサ」に話は繋がるのである。

この映画の中盤、とりわけ重く哀しいシーンに、静謐で美しい音楽が寄り添う。
「これはペルトの『タブラ・ラサ』じゃないか」と思いながら観ていたら、沈鐘のようなプリペアド・ピアノの音が入ったので間違いないと確信した。
1984年のソヴィエト映画で、「既に」ペルトの「タブラ・ラサ」が用いられている。驚愕した。
これは一体何処から持ってきた音源なのだろう。
まさかECMの音盤だというのか?
帰宅して音盤を手に取る。
"1984 ECM Records"とクレジットがある。そうだよな、発売時期と前後するよな、と思いながら収録年月日を確認して今一度驚愕した。「タブラ・ラサ」は1977年、ボン/ケルン西ドイツ放送によるライヴ・レコーディングとある。
そうか、1984年の「懺悔」制作時、既にECM盤収録の「タブラ・ラサ」は数年の時を経た音楽だったのだ。
ちなみに、同時期においてアルヴォ・ペルトは日本において未だ知る人ぞ知る音楽家である。
……だとすれば、「タブラ・ラサ」は一体、当初はどういう形態で、どの経済圏に供給されたのか?
思えば、アルフレード・シュニトケがプリペアード・ピアノを弾いているのも妙だ。
この人も自作自演が幾つかあるが、積極的にパフォーマンスを行う作曲家というイメージはない。
それが、他作の演奏に参加するとはどういうことだろう?
ペルトの人徳なのか、それとも、1977年のボンでのライヴは、それだけ歴史的な機会だったのか?
これは、今後の探求課題としよう。

・・・・・・

タブラ・ラサ──この音楽を如何に語ろう?

光 闇
陽光 陰影
水脈 流水 水滴
乳白 青白 純白 空白

至純

静謐

普段から「銀璧亭」にご来訪頂いている方には、私がお勧めするまでもないことは百も承知のこと。
あなた方には、改めて深謝と親愛の念を。

そして、何かの偶然でこの長文を読んで下さった貴方に、私は語りかけたい。
私は、私個人の使命で10枚のCDを世に遺す使命を附されたのならば、この一枚は必ず手に取るだろう。
どうか、少しでも多くの方にペルトを知って欲しい。
どんなジャンルの音楽を聴く人でも構わない。
時代が病んでいる今、このCDに収録されている音響は、静かに貴方に寄り添うだろう。あるいは、やわらかに包み込むことだろう。

とりとめもないようでいながら、日常は連鎖している。

セルゲイ・パラジャーノフ。
テンゲズ・アブラゼ。
アルヴォ・ペルト。

・・・・・・そして・・・・・・?
 

 
 

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Friday, February 13, 2009

よみがえる自作朗読の世界II


 

1. 北原 白秋 「詩朗読」 (水上・月夜の風)
2. 野口 米次郎 「詩朗読」(詩の金堂)
3. 北原 白秋 「短歌朗読」 (春・夏・秋・冬)
4. 佐佐木 信綱 「短歌朗読」(南京にて 他)
5. 前田 夕暮 「短歌朗読」 (箱根に遊ぶ 他)
6. 尾上 柴舟 「短歌朗読」 (夕暮の空に富士あり 他)
7. 太田 水穂 「短歌朗読」 (みんなみの海のはてより 他)
8. 窪田 空穂 「短歌朗読」 (上総大原の海辺にて 他)
9. 土岐 善麿 「短歌朗読」 (近詠)
10. 高浜 虚子 俳句の話(一) (「俳句とは何か」~「花鳥諷詠」)
11. 高浜 虚子 俳句の話(二) (「深は新なり 古壷新酒」~「特異な詩」)
12. 西條 八十 <西條 八十 歌謡詩集(第1集)(第2集)>より
(「はじめ詩」~「汽車の窓にて」~「おわりの詩」)
(西條 八十(朗読)/古関 裕而(ハモンド・オルガン)
13. 坪内 逍遙 「沙翁劇朗読」 (ベニスの商人)

ぼんやりしているうちに、こんなCDが去年出ていたことを知る。
妻への稟議も省いて、大慌てて購入。
いやあ、こういう企画は本当に素晴らしい。
野口米次郎の詩朗読も良かったし、高浜虚子の俳句講話も感動的だった。

畏怖すべき芸達者の坪内逍遥は、今回発売分の収録時間は短め(2分弱)でちょっと欲求不満。
この際、全録音を聴きたいぞ!(まだあります)
しかし、役者だなあ。こういう大先生の講義を聴けた人々は幸せだったろうなあ。

そして、古関裕而のハモンド・オルガン伴奏付き、西條八十の詩朗読!
これは必聴の稀少音源ですぞ!
不滅の名曲、「王将」ですよ、「青い山脈」ですよ?!
(本当に好きな歌です!!)

ところが、あやかしの詩「トミノの地獄」や、山本タカト装丁の「女妖記」等々、多彩な姿を見せて頂いたお陰で、最近個人的にどんどん深みへと引き込まれてしまった八十センセ…。
ここでは何と「栄冠は君に輝く」「六甲おろし」の古関裕而センセの、ノスタルジックかつ威風堂々としたハモンド・オルガンを伴奏に、名状しがたき独特の世界を見せて下さいました。

このシリーズ、まだまだ続かないかなあ。
あ、最初の500枚プレス限定だったCDには入っていた佐藤春夫は今回も収録無しですね。
あの飾らない訥々とした語り口は何とも言えない味わいがあるのですが。

それと、今年は太宰治生誕百年なので、ラジオ音源とか出てきたら嬉しいなあと思います。

ちなみに既発音源については過去エントリ坪内逍遙の熱演に脱帽に記しております。
もしよろしければご参照下さい。
 

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Saturday, January 03, 2009

謹賀新年 平成二十一年

みなさん、あけましておめでとうございます。
本年も「銀璧亭」をよろしくお願い致します。

どうにか三箇日のうちにページだけでも送ることが出来ました。
やれやれ…。
 

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Wednesday, December 31, 2008

大晦日

気が付けば大晦日です。
今年から思い切って再び通電させてみた「銀璧亭」ですが、昔ほど気楽に文章を書けない自分があります。
エントリー数はどうにか月1件相当に達しましたが、以前を思えば緩慢ですね。

でも、稼働させれば相応に喜びが伴ってくるということも実感しました。
SNSに引き籠もっていては受けられない爽風が、確かにここには入ってきます。

ひとまずは本年一年の御礼と締めくくりとして、あまり意義はありませんがこのエントリーをあげさせて頂きます。早速あすはあすで「謹賀新年」と記すことになるかと思いますが、ひとまず、です(笑)

皆様、本年も一年ありがとうございました。
どうか、よい新年をお迎えください。

加牟波理入道 郭公
 

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