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Saturday, September 18, 2004

津軽三味線(2)─よもやま話

本当につい先日のことなのですが、新星堂/歌留多レコーズから「日本のこころ─津軽三味線のすべて」というCDが発売されました。税込みで1365円という廉価です。
しかし、収録されている奏者は、木田林松栄、澤田勝秋、高橋祐次郎、市川竹女の4人に絞られていて、企画者のこだわりを感じさせます。
特に市川竹女が3トラック収録されているのが珍しい。この人は高橋竹山の弟子で、新藤兼人監督の「竹山ひとり旅」にも出演していました。訥々とした趣の裡に「間」のよさがある奏者です。
高橋祐次郎には6トラックが割かれているのですが、その中では「津軽じょんから節」の「新節」の素晴らしさに瞠目しました。
叩き三味線のメリハリ感と分厚い響きのみならず、軽妙自在な節回しを併せ持った演奏です。細やかな情緒にも不足がありません。若干の雑味はあるものの、整い尽くされた演奏よりも却って血の滾りを感じさせます。
この人の演奏については、複数のオムニバス盤で既に接していた筈なのですが、正直なところ、此度のように聴き入ったのは初めてのことです。同氏は現在も全国各地で旺盛な演奏活動を展開しておられるようですが、この「じょんから節」のような独奏が聴かれるのであれば、是非わたくしも実演に接してみたいと思います。


今回記事では「よもやま話」という表題なので、脈絡はありませんがもう一つ話題を。

今年(2004年)4月の逝去が惜しまれる津軽三味線奏者、山田千里氏、同氏の師匠はインタビューの折にも度々触れられてきましたが、福士政勝(初代/1913-1969)という名手です。
「津軽民謡の父」ともいわれた巨匠、成田雲竹は、津軽三味線の弾き手の中で、白川軍八郎を第一、続いて木田林松栄を第二、そして、福士政勝を第三の名手と格付けていたとのこと。特に戦前期、「津軽三味線の三羽鳥」と呼ばれていたのが、この三人です。
この際格付けの順位はどうでもよいことで、わたくしは今、福士政勝の演奏を是非とも聴いてみたいと念願しています。ちなみに、雲竹の格付けに漏れて四番目に評価されていたというのが、かの高橋竹山。
あくまで私見として、雲竹翁は評価の上で技巧の洗練という点を重視していたのではないか、と思うのです。そして、本当に朧気な想像なのですが、福士政勝という人は、何か野趣とも言える魅力を備えていたのではないか、と。
軍八郎、林松栄に続く三番目という位置、そして山田千里を虜にしたというエピソード、その辺りから伺われる気配のようなものが、わたくしを「野趣」という言葉に導いたわけですが、さて、実像は如何に…。
いずれにせよ、福士政勝の演奏を聴く手だては、現在のところ全くありません。これまでの記事でその名に触れてきた名手達は、いずれも何らかのオムニバス盤でその演奏に接することが可能です。しかし、福士政勝の演奏は、あらゆる現役盤を見渡しても、ただの一曲とて収録されていないのです。

音源をお持ちのレーベルさま、もしこの記事をご覧になることがございましたら、何卒CD化についてご一考下さいませ!
 
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Comments

はじめまして。「福士政勝」に関する記事を検索しておりましたら、ここにヒットしました。福士政勝の音源は、なかなか見つからないですねぇ。あっても「津軽節名人大会」というLPに収録されていますが(唄付)、8千円ほどもします。

 小生も以前からこの政勝の音を聴きたいと思っていましたが、幸い今日、友人から「六段」(誰かとの合奏)と「よされ」(独奏)をコピーしてもらえました。

 小生は、聴くまでは評価しない人間なので今日まで沈黙を守っていましたが、・・・。

 白川のような手でもなく、木田のような演奏方法でもなく、・・・初代浅野梅若の荷方節のような細かな演奏方法の手を使われる方です。今まで、多くの三味線を聴いてきましたが、このような手を使う津軽の三味線弾きは初めてです。

 雲竹が「三羽烏」とした人たちは、それなりに名人ですし、演奏方法もみなそれぞれ異なっています。しかし、雲竹がのちの竹山、当時の高橋定蔵を4番手に据えたのかは小生も不思議です。青森放送主催の第一回民謡大会の伴奏を高橋定蔵が一人で全部請け負ったくらいですから、それなりの評価はされてはいたのだろうと思います。

 おそらく「力量」は三羽烏と肩を並べることはできた実力はあったのでしょうが、「人気」(名前を知られるには、まだ早かった)という点だけではないか?と思います。雲竹がなぜ?4番手に置いたのか? 謎です。
 
 けれども雲竹の相方として定蔵を選んだのは間違いがなかったことは、事実です。

 当時、三味線の手がついていたのは津軽五大民謡くらいで、あとはみな・・三味線伴奏はついていなかったのを雲竹が定蔵に依頼して 今のような形になったわけですから。

 福士の話から竹山に話が移行してきてしまいましたが、福士政勝は東京に出てきて民謡酒場で演奏し、早世してしまいましたが、まさしく名人と言われても良い三味線弾きだと思います。

 悲しいかな、音源がそう多く残されていないのが非常に残念です。

 

Posted by: マックス | Thursday, October 11, 2012 at 07:18 PM

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