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Friday, October 01, 2004

伝説のピアニスト─エドゥアール・リスレル

今回の記事では、フランスのピアニスト、エドゥアール・リスレル(Edouard Risler /1873-1929)について書きます。
ここでは「リスレル」としますが、「リスラー」と表記する資料も多く存在します。

リスレルは1873年、アルザス出身の父とドイツ人の母との間に、バーデン・バーデンで生まれました。その後幾年と経たずに家族がパリへ移住したため、殆どドイツ系と言ってもよいバックボーンを持ちながら、彼はフランスで教育を受けることになります。
パリ音楽院へ入学後、最初に就いた先生はエミール・ドゥコンブ、この人はショパン最後の弟子の一人です。その後更にルイ・ディエメにも師事し、1889年にプルミエ・プリを獲得して音楽院を卒業。ちなみに音楽院時代の同窓生には、アルフレッド・コルトーやレイナルド・アーンがいて、ごく短期間ながらラヴェルやサティとも同じクラスに在籍していたことがあるようです。
その後ドイツに赴いて、シュターフェンハーゲンやダルベーア(ダルベール)といった、リストの直弟子達の薫陶を受けています。また、バイロイトにも滞在して、コジマ・ワーグナーのもと、2期にわたってコレペティトゥーアを務めたと言うのですから、若年期に重ねた研鑽の豊かさは、目覚ましいものがあります。

それを反映してか、レパートリーも実に広範なもので、バッハやベートーヴェン、ショパンの作品をツィクルス形式で演奏するほか、同時代フランスの作曲家の作品も積極的に紹介しました。
たとえば、ポール・デュカスのピアノソナタ変ホ短調は、この人に献呈された作品です。
また、かのアルトゥール・ルービンシュタインは、リスレルが弾くベートーヴェンのソナタを、当代随一のものといった調子で絶賛しています。そして、マルセル・プルーストの前でベートーヴェンを弾き、いたく感歎させたのもまた、リスレルなのです。

さて、そのリスレルの録音についてですが、同世代のゴドフスキ、ラフマニノフやハロルド・バウアー、そして親しかったという、コルトーなどと比較すると、遺された数は決して多くはありません。1917年、機械録音時代のパテ縦振動盤に吹き込まれた18面17曲、合計60分弱がレコード録音の総遺産であるようです。もっとも、リスレルはレコードよりも自動ピアノのペーパー・ロールへの録音を好んだようで、こちらにはベートーヴェンのピアノソナタ31番の全曲録音を含む、かなり纏まった分量の演奏が記録されています。

レコードに聴かれる曲目は以下の通りです。

ラモー:
鳥のさえずり/タンブーラン
ダカン:
かっこう
クープラン/ディエメ編曲:
ティク・トク・ショク、またはオリーヴ搾り器
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第12番『葬送行進曲ソナタ』第2楽章/同第31番 終楽章/
ピアノ協奏曲第4番 第2楽章のピアノ・ソロ版
メンデルスゾーン:
スケルツォ ホ短調
ショパン:
ワルツ 嬰ハ短調 op64-2/夜想曲 嬰ヘ長調 op15-2/
マズルカ イ短調 op17-4/練習曲 変ト長調 op10-5「黒鍵のエチュード」
ウェーバー:
舞踏への勧誘
リスト:
ハンガリア狂詩曲第11番
サン=サーンス:
なげやりなワルツ
シャブリエ:
牧歌~「絵画的小曲集」より第6曲
グラナドス:
スペイン舞曲第10番「悲しき舞曲」
バンジャマン・ゴダール:
マズルカ第2番

これらの録音は英国の稀覯レコード復刻レーベル、SYMPOSIUMから2003年に"Edouard Risler: Complete Recordings "(SYMPOSIUM 1297)として復刻されました。

一部で入手困難が囁かれるレーベルですが、Amazonは意外と沢山のタイトルを網羅しています。ただ、正規の代理店が存在しないせいか、かなり割高です。

録音を通覧すると、リスレルのレパートリーのダイジェストといった感があります。ソナタが全曲録音されていないのは残念ですが、伝説的なベートーヴェンを片鱗だけでも窺い知ることが可能なのは、やはり喜ばしい限りです。残念なことにベートーヴェンの3面は、彼のレコードの中でも録音状態が格段に悪いのですが、演奏の素晴らしさは揺るぎもしません。
絶頂期のギレリスをも彷彿とさせる、正確な技巧と強靱な打鍵力を持ちながら、リスレルの演奏は一層洒脱なものです。融通無碍な左手が醸し出すアーティキュレーションは、軽妙さの一方で、瞬間的にデモニッシュな表情を覗かせます。わたくしが知る限りに於いて、一体誰と比較すればよいものか…一人のピアニストになぞらえるのは難しいように思います。それは、須くリスレルの幅広い研鑽に基づくものなのかも知れません。
ラモーやダカン、クープランといったフランス・バロックの小品で、カリヨンのように涼やかな演奏を聴かせるかと思うと、メンデルスゾーン、リストの作品では、類い希なヴィルトゥオジティが存分に発揮され、それでいてショパンでは仄暗く繊細な情緒をも奏でてしまうのですから、リスレルは古今稀に見る万能のピアニストと言えるでしょう。
そして特筆すべき名演が、シャブリエの「牧歌」、作曲者自身も認めたというリスレルの演奏は、なんと素晴らしいことでしょうか! コルトーやプーランクを虜にしたというこの作品、可憐な情感と清新な和声とを、リスレルは何らの作為も感じさせることなく、即興的に描ききっているのです。
幾度繰り返して聴いても新鮮な感動を失うことがない、絶世の名演であると断言致します。
音質の悪い、古い音源を殊更に聴く喜びは、まさしくこういう演奏と出逢うことに在るのだ、と思うことしきりです。

リスレルは1929年まで存命だったのですから、1925年の電気録音導入以降に録音が行われていても不思議はないように思うのですが、何か果たせない理由でもあったのでしょうか? 本当に残念な事です。
伝わるところによるとリスレルは大食漢で、晩年はかなり肥満していたようです。医者の忠告もむなしく健康を損ない、やがて56歳の若さで亡くなってしまったとのことなのですが…。

最後に余談となりますが、ラモーの2曲、ダカンとクープランの各1曲は、それぞれSP盤の片面ずつ、連続して演奏されています。楽曲が移る際に短いアナウンスメントが入るのですが、これが実はリスレル自身の声らしいのです。
とりわけ、ダカンからクープランへと移る際の、

"Nous allons continuer,si vous voulez bien,
 avec Tic-toc-choc ou Les Maillotins de Couperin."
(もしよろしければ、更に一曲お聴き頂きましょう。クープランの『ティク・トク・ショク…』)

というコメント、ちょっとおどけた口調と言い、僅かな言葉の中にも人柄を伺わせるようなところがあって、印象的です。

この人は、とてもいい人だったんじゃないかなあ。
わたくしは、そう思うのですけれどね。 
 
 

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