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Tuesday, October 19, 2004

二泉映月─阿炳の二胡録音

蒋風之に続いて、いよいよ今回は阿炳自身による録音について書きます。

阿炳こと華彦鈞(1892/3-1950)は、江蘇省の無錫に生まれました。前回記事の蒋風之を始め、劉天華、陸修棠も江蘇省の出身です。日本とはさすがに規模が違う(省全体の人口は実に7000万人を超えます!)括りですが、古くからの芸どころ、民間音楽の盛んな地域であったようです。
彦鈞の父親は道教寺院の道師を務めていました。その教育を受けて幼時から様々な楽器に習熟し、10代半ばで既に楽才をもって近隣に知られていたと伝わります。
25歳の時に父親が亡くなり、彦鈞は跡を継いで道師となりました。しかし、その前後からに眼病を患っており、35歳で完全に失明。そのために檀家や周辺からの迫害を受けたことから寺院を退き、やむなく辻音楽士として生計を立てるようになります。「盲目の阿炳」の名で呼ばれるのは、これより後のことです。

さて、更に年数を経て、新中国成立後間もない、1950年の夏に話は移ります。
中央音楽学院(北京)の楊蔭瀏教授らは、かつて当代随一の楽士として知られていた阿炳の音楽を、どうにかして残せないものかと思案していました。
そして、探索の結果、無錫市に住む阿炳の所在を突き止め、演奏を録音させてくれるよう依頼します。
しかし、阿炳はその申し出を拒みました。長らく演奏から遠ざかっているから、という理由でしたが、実際は巷間で味わった積年の惨苦と差別体験が、もはや阿炳にとって音楽を容易ならざるものに変えてしまっていた、というのが真相のようです。
しかし楊教授らはなおも粘り強く説得を続け、遂に阿炳も録音を承諾しました。もとより自らの芸に厳しかった阿炳、再練習のため3日間の猶予を願い出た後、3日目の夜に二胡と琵琶との演奏を、それぞれ3曲ずつ録音したのです。
この際阿炳は、より万全な状態での録音を希望し、翌年に再録音を行う約束を楊教授らと取り交わしました。
しかし、その約束は果たされないまま、阿炳は同年12月に病没します。
弟子も無く、記譜も行わなかった阿炳の音楽は、僅かに遺された6曲の録音のみが伝えるところとなりました。
やがて録音からの採譜が行われ、阿炳の音楽は中国民族音楽の至宝として、全土に、そして後世に受け継がれたのです。


わたくしが阿炳を知ったきっかけは、NHKの「名曲アルバム」で放送された「二泉映月」です。その後、上掲のエピソードを知るに至り、是が非でもその演奏を聴きたい、と願うようになりました。
更に調べていると、全録音を収録したトリビュート盤が、香港のレーベルから発売されているとのこと。様々な曲折を経て、遂に手に入れたのが、以下にご紹介するCDです。

◆民間音楽家 華彦鈞(阿炳) 紀念専集/ROI PRODUCTIONS(龍音製作有限公司)
ahbing01.JPG

日本国内からの入手は想像以上に難しく、個人輸入の形で取り扱っている店舗以外には、現在の所その手だては無いかと思われます。
Webを通じての通販では、神田神保町の内山書店が取り扱っていらっしゃるようなので、ご関心の向きはお問い合わせになっては如何でしょうか。300ページ近いブックレット付属の豪華仕様ということもあって、価格はおよそ7000円弱になります。

阿炳の自作自演トラックは以下の通りです。

二泉映月(二胡独奏)
寒春風曲(二胡独奏)
聴松(二胡独奏)

龍船(琵琶独奏/オリジナルソース破損につき、SP盤からの復刻)
昭君出塞(琵琶独奏)
大浪淘沙(琵琶独奏)
龍船(破損したオリジナルソースからの復刻。途中欠落あり。)


阿炳が二胡演奏に用いていた弦は、古式の絲弦(絹製の弦)、それも琵琶の弦として用いるような太いものだったと伝わります。以前にご紹介した張鋭の演奏も清代の古い二胡を用いていましたが、録音に聴く阿炳の音色は、更に分厚くかすれたものです。当世風の整った音色を聴き慣れていると、およそ異なる趣に戸惑うかもしれません。

前回、蒋風之の演奏について、語るような雰囲気がある、といった旨を書きましたが、阿炳の演奏にも同じ事が言えるでしょう。
阿炳の演奏は、大道で春秋を重ねた芸のみが持ちうる訴求力と、強靱さを備えています。同時に、抑揚を具に慈しむような弓づかいは、内なる方向へ限りなく拡がっているかのようです。
今日も広く聴かれる「二泉映月」ですが、阿炳自身の演奏ほど、聴きながらに長い時間を過ごしたと感じさせる演奏は無いように感じるのです。細かなフレーズに対してどのように接しているのか、恐らくその差が聴感にも歴然と現れるのでしょう。
 
 
 

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Comments

うお、まさか華彦鈞の話題が来るとは(笑
中国の音楽家を中国で紹介する場合どうしても抗日戦争エピソードや共産党エピソードがはさまれるのでどうしても宣伝くささが出てしまうのですが、華彦鈞についてはそれを補って余りある物悲しさと彼の音楽への拘りを感じた覚えが有ります。

しかし、ワタクシ中国にいながら二泉映月しか華彦鈞の演奏聴いていないワタクシ……お恥ずかしいorz

Posted by: 2号機 | Wednesday, October 20, 2004 at 07:12 AM

本場にお住まいの2号機さんからコメントを頂けるとは、嬉しい限りです\(^^)/

>中国の音楽家を中国で紹介する場合

2号機さんからお聞きすると、切実な説得力がありますね。
特に阿炳は、抗日がらみのエピソードを交えて語られることが少なくないように聞いていますから…。

>中国にいながら

わたくしの場合、逆に日本に居るからこそ、適度な距離が功を奏しているのかもしれませんよ~。
でも、本場への憧れは、どうしても尽きることがありません。
梅蘭芳の記念館などにも行ってみたいなあ。

それにしても中国CDを日本で手に入れるのは難しいです(>_<)
前回記事の蒋風之のCDは、書虫で在庫ナシの状態だったのをダメもとで発注したら、2週間と経たずに入荷して、却って面食らいました(^^;

先だってお世話頂いたリヒテルの平均律も、日本では相変わらず入手困難な状況が続いてるんですよ。
こちらについても、いずれ書く機会を持ちたいのですが、楽曲が楽曲なだけに、相当な気合いが求められそうです。
結局、手を付けあぐねています(苦笑

Posted by: Tando | Wednesday, October 20, 2004 at 08:26 AM

こんばんは。
TBありがとうございました。
記事を拝見して、大変勉強になりました。
私も一度聴いてみたいです。
>300ページ近いブックレット付属の豪華仕様ということもあって、・・・
凄い!これも中国の大きさでしょうか・・・。

Posted by: romani | Wednesday, November 30, 2005 at 01:30 AM

>romani さま

またもお返事が遅れて、大変申し訳ありません。

阿炳の自作自演を聴いていると、二胡という楽器の本来の姿が見えてくるような気がします。
土俗的で、一見垢抜けないような響きでいて、深く味わい深い音色です。
普段聴きの音源としては些か重すぎるので、たまに取り出す程度に止めていますが、掛け替えのないものである点に変わりはありません。

Posted by: Tando | Tuesday, December 20, 2005 at 08:51 PM

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