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Tuesday, October 05, 2004

ギレリスとライナーのチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番

◆チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番&くるみ割り人形(抜粋)

1955年、ステレオ最初期の録音、今を遡ること実に半世紀も前の録音です。まず、それ自体が信じ難い。LP発売時の音質は芳しくなかったと聞きますが、このCDではリマスタリングが一新されています。結果については、もはや言葉を重ねるまでもありません。
繰り返すようですが、50年も前の録音です。
タイムマシンとは斯くの如く、といった心地です。

好みの違いはさておき、この録音こそ20世紀の演奏芸術が到達した一つの頂点である、とわたくしは感じております。言うなれば、「完璧」な名盤です。

1955年に初渡米し、ソヴィエト人ピアニストの水準の高さを見せつけていったギレリス、彼は当時39歳、まさに絶頂期にありました。名高い「鋼鉄のタッチ」もまた、この頃が恐らく全盛でしょう。それが単に力ずくの虚仮威しではなく、繊細な美意識に根ざしたものであったということは、ここに聴かれる演奏にも明らかです。
卓越したテクニックによって、曖昧さを徹底的に排除しながらも、ギレリスは名技性の誇示に終始することは決してありません。チャイコフスキーが鏤めた至難なパッセージの数々を易々と征服しながらも、見事に音楽として表現しているのです。

管弦楽についても、今更言うに及ばずの感があります。ライナーの厳しいトレーニングによって、世界でも屈指の精密なアンサンブルを誇っていたシカゴ交響楽団、円熟期の両者の姿が余すところ無く記録されています。
1楽章冒頭、あの名高いホルンによる旋律からして、音の持つ輝きが違います。あまりの美しさに、陶然となってしまう程…。斯くの如く響け、と作品に望まれる全てが、此処に音化されたかのようです。

第2楽章に改変(冒頭のフルートによる旋律が、続くピアノ・ソロの旋律と統一されている)がある点は、最も評価が分かれる部分かもしれません。こうした行為を不愉快に感じられる方は、まず避けられた方がよろしいでしょう。
余談(?)ですが、このセッション当時のシカゴ交響楽団には、かのヤーノシュ・シュタルケルがチェロの首席奏者として在籍しています。
ハンガリーで活躍していたシュタルケルを見出し、アメリカへと招いたのは、同郷人のライナーでした。

これはわたくし個人の感想になりますが、ライナーの演奏は曲によって善し悪しだと思っています。アルチザンとしての厳格さが、時に窮屈に感じられることがあるからです。しかし、このチャイコフスキーについては何も申すことはありません。

ライナーのソリストに対する厳しさには定評があって、ラフマニノフのピアノ協奏曲を他ならぬ作曲者自身のソロと共演した際、その解釈を難じて頑として譲らなかった、というエピソードが伝えられている位です。彼を満足させることが出来るソリストはごく限られていたということですが、ここに聴かれるギレリスとの共演は、双方の音楽性が合致した素晴らしい成果と言えるでしょう。
先進的とも言える録音の完成度ともども、究極の録音芸術と称揚するに憚ることがありません。

カップリングの「くるみ割り人形」も勿論、水準以上の優れた演奏ですよ。
ただ、多くの録音の中にあって唯一無二とまでは言いかねるので、協奏曲と較べた場合、どうしても語る口調に温度差が生じてしまいます。
繰り返しますが、くるみ割り人形もよい演奏です。
 
 

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