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Sunday, October 10, 2004

ジャン・ヴィエネふたたび

過日の記事でご紹介したジャン・ヴィエネの即興演奏CDは、その後も変わらず愛聴しています。部分的にデイヴ・ブルーベックなどを彷彿とさせるところもあったりして…本当に飽きることの無い、楽しい一枚です。
更にサーチをかけてみたところ、フランスのArionからもう一枚、自作自演を収録したCDが出ていることを突き止めました。

Accordion Concerto, Cello Sonata, Etc: G.roussel(Accd), Wiener(P), Girard


HMVのデータは微妙に間違っていますが、他ならぬヴィエネの作品集です。
先日、折良く入手することが叶いましたので、ここにご紹介致します。

収録曲目と演奏者は、

アコーディオン協奏曲
チェロ・ソナタ
管弦楽とプリンシパル・ピアノのためのコンセール

ジャン・ヴィエネ/ジャクリーヌ・ロバン(ピアノ)
ジルベール・ルーセル(アコーディオン)
ピエール・ペナス(チェロ)
アンドレ・ジラール(指揮)

となっています。

このArion盤は、クラシック音楽の作曲家としてのヴィエネにアプローチすることが出来る、恰好の(…と言うよりは殆ど唯一の)手だてと言えるでしょう。特に、独奏アコーディオンのための協奏曲、という形式はなかなか珍しいものです。

前回記事では言及しませんでしたが、ヴィエネはパリ音楽院でアンドレ・ジェダルジュに師事しています。
多少の前後はあるものの、アルテュール・オネゲルやダリウス・ミヨーも、同時期に学んだ生徒です。この2人は後に、プーランク、オーリック、タイユフュール、デュレらと併せて「フランス6人組」と称されましたが、オネゲルによると、ヴィエネはイベールなどと共に、「6人組」と特に近しく、その中に加えられてもおかしくはなかったようです。
須く「6人組」という括り方が、当人達にとっていかに曖昧なものであったか、という事実を示していることにもなるのですが…。

さて、ここからはCDの感想に移ります。

「アコーディオン協奏曲」は、それこそピアソラの向こうを張る作品との邂逅か…との期待を抱いていましたが、想像していたよりも穏健な作品です(^^; 
それでも、擬古典的な管弦楽パートの傍らで、アコーディオンのソロ・パートにはどこかミュゼットを思わせるような懐かしい雰囲気が漂っています。
チェロ・ソナタは、プーランクや、遡ってケクランなどの作風を彷彿とさせるところがあります。ちなみに、被献呈者はロストロポーヴィチだそうです。これは、意外…。
このCDに収録されている中で、「クラシック音楽」として紛れもなく傑出した作品は「管弦楽とプリンシパル・ピアノのためのコンセール」なのではないでしょうか。
ヴィエネが示す作風は、つまるところプーランクなどと同様に、旋律や調性の域内に止まったものです。その中で固有の感性が随時投影されるのですが、ピアノ・パート、管弦楽法ともに最も美しく結実した姿が、同作品には聴かれます。
ジャンルを問わず、同時代の音楽に幅広く目を向けたヴィエネの機知と洒脱さを、即興演奏とは別のアプローチから見る思いです。

なお、このCDのブックレットにはヴィエネの自筆楽譜が掲載されているのですが、これが実に振るっています。

viener00.JPG


このセンスは、どこかサティを思わせるところがありますね(^-^)
もとはサティから始まったヴィエネとの出逢い、音楽そのものからサティを連想することはそれほど無かったのですが、思わぬ所で繋がっていた(?)ようです。


最後に、ヴィエネに関するトピックの締め括りとして、余談を少々…。
今を時めく山田章博氏の短編作品に、「ヴィエネのタンゴを聞く庭園の話」という作品があるようです。わたくしは未読なのですが、このヴィエネというのが、他ならぬジャン・ヴィエネなのだとか。
「怪奇骨董音楽箱」(『紅色魔術探偵団』所載)に引かれた、「エーリッヒ・ツァンの音楽」と言い、自らの世界に適ったモチーフを鋭敏に見出す山田氏、全くもって底が知れません。

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