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Sunday, November 07, 2004

ベートーヴェンのピアノ

いかにも漠としたタイトルですね(^^;
簡潔に申しますと、ベートーヴェン自身が使用していたピアノを指しています。

ベートーヴェンが使用したピアノの変遷は、この楽器が過渡期に辿った技術革新と並行したものです。
作風自体にも、その事が少なからぬ影響を及ぼしています。
使用するピアノが作曲中に変わったため、初演時に1台のピアノでは全音域をカバー出来なかったという、ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」などは、端的な例と言えるでしょう。
ただ、ベートーヴェンのピアノ作品と使用楽器との関連性については、それこそ何冊もの専門書を費やして論ぜられるべき奥深いテーマであって、わたくし程度の知識量では及ぶべくもありません。

ともあれ、今回取り上げるCDは、こちらです。

Elly Ney at Beethoven's last piano(COLOSSEUM CLASSICS/COL 9013.2)

ベートーヴェン自身が使用していたピアノ(フォルテピアノ)のうち、現存しているのは1803年エラール製(68鍵)、1817年ブロードウッド製(73鍵)、そして1825年グラーフ製(78鍵)の3台です。
上掲のCDでは現存3台の1つ、グラーフ製のピアノを用いてベートーヴェンの作品が演奏されています。このピアノは1963年に修復が行われ、以後はボンのベートーヴェン・ハウスに収蔵されているとのことです。
CD付属のキャプションでは、
「1965年に録音されたこの作品は、ボンのベートーヴェン・ハウスにあるグラーフ・フリューゲルをこれ以降使用することが出来なくなった為、このピアノで演奏された最後の作品として、とても意味のあるものとなっています」
と記述されているのですが、それ以後にもこのピアノを使用した録音が存在している(イェルク・デムスによる1970年のライヴなど)ので、希少価値云々については敢えて言及を避けます。


このCDの収録曲目は以下の通りです。

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調
バガテル「エリーゼのために」
パイジェルロの歌劇「水車屋の娘」の二重唱「うつろな心」による6つの変奏曲 ト長調
ピアノソナタ 第32番 ハ短調


第32番のソナタが選曲されているのは、作曲年代と楽器の製作時期とを近づける為なのでしょうか。もっとも、このグラーフ製ピアノを提供された頃、ベートーヴェンは聴力を殆ど失っており、実際の音色を確かめることは出来なかったのではないかと言われています。

肝心の音色についてですが、正直なところ、現在のピアノを聴き慣れた耳にとっては少なからぬ違和感があると言えるでしょう。
ピアノよりも、むしろダルシマーやツィンバロンのような、打弦楽器に近い音色です。特に高音域ではいかにも弦そのものといった、ペコペコした響きが聴かれます。
第32番のソナタでは、音が伸び切らないが故、演奏に苦心を強いられている様子が見受けられることも…。
また、音程が安定しないのは楽器本来の性質なのか、経年変化に起因するのかは判然としません。
その一方で、中-低音域の音色と、強弱の表現力と音量、そしてペダル性能については、同時代の水準を上回るポテンシャルを感じさせます。総体的に見て、パッセージ毎にピアノと弦楽器が混在するかの如き、不思議な音を奏でる楽器と言えるでしょう。
馴染み深い「エリーゼのために」などは、一聴の価値があると思います。

続いて、演奏者について。
1965年に収録されたこの音源、演奏しているのはエリー・ナイ(Elly Ney,1882-1968)という女性ピアニストです。英国の名将ネイ元帥と、ひいてはナポレオンの血を引くというこの人、録音時、既に83歳!
正直なところわたくしは、COLOSSEUM CLASSICSのCDがリリースされるまで、ナイは戦前SP期の演奏家という認識しか抱いていなかったのです。実際は1960年代にCD10枚相当の録音を行っていたのですから、それを知った時の驚きは大変なものでした。

晩年の録音群の中で、グラーフ・ピアノが演奏されているのは1枚のみ、他は全て今日のピアノを使用しています。モノラルとステレオが混在していますが、総じて不満の無い明瞭な音質です。
演奏を聴いていると、技術的な衰えが見られる箇所もありますが、それを上回る表現意欲が漲っています。また、ナイは情緒的な表現力に長けていながら、それに先立つ構造把握のセンスをも確立しているピアニストです。対旋律の動きを追っていると、ゾクッとさせられるような瞬間が少なくありません。


クラウディオ・アラウ(同門のフィッシャーだったかもしれません)曰く、
「私が師事したマルティン・クラウゼは、リストの弟子です。リストはチェルニーに師事しました。そして、チェルニーはベートーヴェンの弟子です!」
指揮者メンゲルベルクは、師であるフランツ・ヴュルナー(『コールユーブンゲン』の編者)が、ベートーヴェンの直弟子、アントン・シンドラーの弟子であることを以て、自らをベートーヴェン直系の系譜に連ねました。
以上2つのエピソードは、弟子から弟子へと引き継がれる「演奏家の系譜」を語る際、比較的頻繁に引かれるものです。

そしてエリー・ナイはと言うと、チェルニーの直弟子レシェティツキと、先出のヴュルナーに師事しています。1965年という時期を鑑みれば、当時現役だったピアニストの中でも彼女こそが、系譜上最もベートーヴェン自身に近かったのではないでしょうか。
このグラーフ・ピアノを用いた企画盤に対して、ナイを起用したプロデューサーの慧眼には、まこと頭の下がる思いです。

より研究が進んだ現在からすれば、歴史的楽器に対するエリー・ナイのアプローチは、必ずしも適切では無いのかもしれません。しかしながら、絶妙なテンポ・ルバートの感覚や、カンタービレに於ける叙情的な美しさは、紛れもなく19世紀のスタイルを伝えています。

ここに聴かれる音楽は、類い希な楽器と演奏者とが出逢った、一期一会の記録そのものと言えそうです。
 
 
 

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