« サントリー山崎蒸留所を訪ねる | Main | ダヴィドヴィッチのプロコフィエフとスクリャービン »

Wednesday, December 01, 2004

ジョルジュ・ドン十三回忌に寄せて

1992年11日30日にジョルジュ・ドンが亡くなってから、昨日で丁度12年が経った。我々の流儀で言うならば、十三回忌である。
私がジョルジュ・ドンという舞踊家の存在を初めて認識したのは、中学1年生の時だ。
彼はクロード・ルルーシュの映画「愛と哀しみのボレロ」に、ソ連の舞踊家セルゲイ・イトヴィッチ(モデルはルドルフ・ヌレエフとの事だ)役で出演している。
そのTV放映を観たのだ。
フランス、ロシア、ドイツ、アメリカ─各々の国で数世代に渡って繰り広げられる群像劇。その綾は、年端もいかぬ私にとっては複雑に過ぎた。

けれども私は、録画したビデオを幾度と無く繰り返し、観た。
劇中でジョルジュ・ドンがベジャールの振付で踊るラヴェルの「ボレロ」、それを観たい一心で。
たとえ作品本編の印象が薄れようとも、ジョルジュ・ドン渾身の舞踊が誘った、あのクライマックスだけは終生忘れる事は無いだろう。そう思いながら、何度も観た。

それから程なく、ジョルジュ・ドンは来日した。やはりベジャールの手になる演目「ニジンスキー/神の道化」の公演の為だ。
来日に併せてジョルジュ・ドンは、「美の造化」と題されたNHKの特集番組に出演した。番組では京都でのインタビューに交え、「ボレロ」を含む代表的な演目、そして「神の道化」の全編が放送された。
ルルーシュの映画では、分断、そしてカットが施されていた「ボレロ」。「美の造化」によって、私は漸く全編を観る事が叶ったのだ。映画での印象が如何に素晴らしくはあっても、終始一貫した様態に接すること無くして、その真価は伝わりようもない。
暗黒の中、交錯するスポット・ライトに照らし出される、ジョルジュ・ドンの肉体。
静かに張りつめたモーションの一つ一つを、ただ固唾を呑んで私は見守っていた。
楽曲が、そして舞踊が高潮するに連れて、同種の芸術からはかつて経験した事のない強烈なカタルシスに導かれていった。

「神の道化」の来日公演は、私が住む街でも催された。
私は、それを事前に知っていたのである。
だが、未知の芸術境に対して尻込みしたものか、実際に足を運ぶ事は無かった。
TV放映で「神の道化」を観た時の感想は、今以て名状し難い。ただ言えるのは、これほどスピリチュアルな舞台芸術は、おおよそ存在し得ないのではないか、と云う事だ。もはや、素晴らしいと言うよりも、危うかった。
ジョルジュ・ドンは、ニジンスキーを感じ、演じるがままに、踏み込んではならない領域に踏み込んでしまったのではないか。
無類の感動と共に、得体の知れぬ恐ろしさをも感じた。

ジョルジュ・ドンがエイズで逝去したのは、翌年の事だ。辛うじて写真は添えられていたが、その記事スペースたるや申し訳程度のもので、折が悪ければ見落としていたかもしれない。その時点では、病名については伏せられていた筈だ。

だが、突然の逝去も、後に知ったその病名についても、私はごく冷静に受け止めていた。何らの意外性を感じる事もなく、全てが順当に繋がっていったのだ。
先述の「美の造化」でインタビューに答えるジョルジュ・ドン、舞台と違ってノーメイクのその素顔は、驚く程に生気を欠いていた。
既に彼は死病に蝕まれていたのであり、それを私も無意識のうちに感知していたのだと思う。

ともあれ、私はジョルジュ・ドンの舞台に接する、たった1度のチャンスを永遠に逸してしまった。

ジョルジュ・ドンが踊る「ボレロ」、映画では男女のヴォカリーズが附随した演奏を用いているが、これは普段の上演とは異なった音源だ。彼が「ボレロ」の上演に用いていたのは、ジャン・マルティノン指揮/パリ管弦楽団による演奏である。

この演奏は本当に素晴らしい。世に称揚されている「ボレロ」の名盤として、アンドレ・クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団による演奏が在るが、私は絶対的にマルティノンに左袒する。
エスプリに溢れるクリュイタンスの演奏は、言うならば熟したオレンジだ。爽やかな芳香と、甘さ。対するマルティノンの演奏は、レモンである。甘美では無いが、その酸味は心地よい。絞られた時に放つ芳香は、オレンジに倍して爽快だ。
クレッシェンドに伴われ、血と汗の滾りの中でクライマックスを迎えるジョルジュ・ドンのボレロ。マルティノンの演奏は、これ以上無い程に似つかわしい。

私はマルティノンの「ボレロ」を、何らの予備知識も無く手に入れた。だが、繰り返し聴くに連れて、ジョルジュ・ドンの舞台姿が脳裏に浮かび、大いに戸惑った。
先述の如き事実を知り得たのは更に後、全くの偶然を介してである。
マルティノンのボレロはジョルジュ・ドンのボレロとなり、私にとってはかけがえの無い演奏となった。

もはやジョルジュ・ドンの舞台姿を目の当たりにする事は叶わない。しかし、マルティノンの演奏を聴いている時、私は確かにジョルジュ・ドンの舞台姿を追体験しているのである。


後年補記:

その後、ベジャール・バレエ・ローザンヌでの「ボレロ」は使用音源が更改され、現在はシャルル・デュトワ指揮/モントリオール管弦楽団となっています。現行と同じ音源を必要とされる方は、こちらをお買い求め下さい。
 
 
関連記事:
>>ニジンスキーのオーケストラ
>>ジョルジュ・ドン/没後20年-1992-2012

http://ginnhekitei.cocolog-nifty.com/tando/2012/11/201992-2012-487.html

|

« サントリー山崎蒸留所を訪ねる | Main | ダヴィドヴィッチのプロコフィエフとスクリャービン »

Comments

はじめまして、りょうと申します。

11月30日ってジョルジュ・ドンの命日だったんですか。知りませんでした。

私ジョルジュ・ドンの生前には、全くバレエなど縁のないがさつな日々を送っていました。
今から思うと、本当に残念ことをしたものです。

私がジョルジュ・ドンの映像を初めてみたのは、フレディ・マーキュリーへのオマージュということで
「バレエ・フォー・ライフ」を見たときでした。
ジョルジュ・ドンといいフレディ・マーキュリーといい、
本当に生きていてくれたら、と思います。

Posted by: りゃま | Thursday, December 02, 2004 at 08:12 PM

>りょう様

初めまして!
実はこの記事は、以前から暖めていたものなんです。ブログを始めた時、これだけは命日に合わせてアップしよう、と決めていました。
恥ずかしながら、相当な思い入れがこもっています(^^;

それだけに、コメントを頂戴して凄く嬉しいです!

りょう様は「バレエ・フォー・ライフ」をご覧になったのですね。
ほぼ1年違いで亡くなった、フレディ・マーキュリーとジョルジュ・ドン。オマージュとしての完成度の高さによって、却って過ぎ去った時間を強く感じてしまいました。
1991年と1992年、時間の流れは本当に速いですね。

ちなみに私の場合はフレディ・マーキュリーの方が、いわば「死後」にその存在を認識したアーティストなんです。残念な事に、同じ時間を共有していた、という感覚が殆どありません。

ジョルジュ・ドンの舞台も観たかったし、フレディ・マーキュリーが存命時のクイーンのライヴにも行きたかった…切実にそう思います。
りょう様の仰る通り、両人が今も生きていてくれたらどんなにか素晴らしかった事でしょう。

Posted by: Tando | Thursday, December 02, 2004 at 10:20 PM

初めまして。ちえぞーと申します。
初訪問にして、古い記事にコメントする失礼をお許しください。


先日テレビでシルヴィ・ギエムのボレロを観て、大好きだったジョルジュ・ドンを思い出しました。ギエムも素晴らしいダンサーですが、やはりボレロはジョルジュ・ドンのために作られた踊り。どうしても彼と比べてしまいます。そして、どうしてもジョルジュ・ドンのボレロを観たくなり、棚の奥底に眠っていたビデオをひっぱりだして、先程まで観ておりました。
 
 彼が亡くなって十七年経ちますが、記憶の中ではますますその神々しさを増していくようにすら思います……。

 最近はダンサーの層も厚くなり、素晴らしいダンサーがどんどん増えてきていますが、やはり彼ほどのダンサー、ニジンスキーの再来ともデュオニソスの化身とも思わせるようなダンサーは後にも先にも彼だけでしょう……。唯一無二の踊り手です。

長いコメント、失礼致しました。

Posted by: ちえぞー | Monday, March 30, 2009 at 10:56 PM

>ちえぞー様

ようこそお越し下さいました。コメントありがとうございます。
ジョルジュ・ドンが亡くなって久しいですが、そうですね、もう17年にもなるのですね。
ジョルジュ・ドンとベジャール・バレエとは切っても切り離せない存在だと思います。互いが互いのために存在していたという時期は確実にありますね。
ボレロにしても、彼による他の演目にしても、唯一無二との仰せ、同感です。

バレエ・フォー・ライフ、彼に向けられた場面は本当に泣けます。

Posted by: Tando | Tuesday, March 31, 2009 at 12:50 AM

The comments to this entry are closed.

« サントリー山崎蒸留所を訪ねる | Main | ダヴィドヴィッチのプロコフィエフとスクリャービン »