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Saturday, December 18, 2004

バルシャイ/名古屋フィルの演奏会

バルシャイのショスタコーヴィチと言うと、様々な事柄が連想されます。
彼が初演した交響曲第14番「死者の歌」もそうですし、或いは、作曲家自身からも称賛された編曲作品「室内交響曲」を忘れてはなりません。
また、オランダの廉価レーベルBrilliant Classics から発売された交響曲全集が、その高い完成度に比して、異様とも言える廉価な価格設定で広く普及したのは記憶に新しい所です。これは一時代を画した音源と言えるでしょう。


周知の事実ですが、バルシャイはショスタコーヴィチに作曲を師事しています。
ショスタコーヴィチは1975年まで存命だったのですから、演奏家に対して殊更「同時代性」を珍重するには、まだ時期尚早なのかもしれません。
しかしながら、1924年生まれのバルシャイは、今や御歳80。戦前以来の音楽界のみならず、世相自体を体感していると云う事実が、殊ショスタコーヴィチの作品へのアプローチに於いては、現時点で既に得難いと感じられるのです。
同様にバルシャイ自身も、ショスタコーヴィチを演奏すると云う行為に対して、何か特別な使命を感じているのではないか、とも見受けられます。
「自分だからこそ伝え得る作曲者のメッセージが在る」との気概が、例えば今回の演奏会ではプログラムを変更した点にも顕れていると思うのです。

今回の演奏会は、来春開催の愛知万博に因んで「音の万国博」と銘打ったシリーズの一つで、「ロシア編」と云う位置付けが為されていました。
当初は、前半にチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」が組まれており、ショスタコーヴィチと併せて「ロシア・プロ」を構成する予定でした。しかし、バルシャイ自身の意向によって、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲へと変更されたのです。
ショスタコーヴィチはバルシャイに対して「自分の交響曲の前には、バロックないし古典作品がより相応しい」とのアドヴァイスを与えたとの由。
聴く前から何もかも有難がっていては仕方無いのですが、本題たる「ロシア・プロ」を犠牲にしてでも、作曲家の遺志に添ったバルシャイの気概には敬服しました。
わたくしとて、作曲者の意向を絶対視する訳ではありません。しかし、いずれ時と共に消えゆくそれを、実際に窺い知る機会はやはり貴重だと思います。

「バルシャイのチャイコフスキー」は、今一つしっくりしないな…とも思っていました(^^;

さて、ゴタクは程々にして、インプレッションに移りたいと思います。

前半プロのベートーヴェンは、わたくしが持つイメージと一致する演奏でした。
デュナーミクの上限は控えめで、かつイン・テンポを貫く中庸的なスタイルは、一部の古典派作品の録音に窺い知るバルシャイの姿そのものです。堅固な造形を志向しつつ、幾分冷ややかなトーンも然り。良くも悪くもこの演奏については、バルシャイ以前に楽曲ありき、と云う印象を持ちました。
わたくしはこの作品、ちょっと苦手なのかも知れませんね。

そして後半、目当てのショスタコーヴィチです。
バルシャイに対する関心に限らず、「交響曲第4番」が実演ではどう響くのか、それを確かめたいと意気込んでいました。
この作品は、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも特に好きな部類に属しています。しかしながら、オーディオで接している限り、受け止めかねる楽想も少なくありません。ある一定の範囲より先には、アプローチが縮まないとも感じていたのです。
1990年頃に「オリジン」と言う謎の(?)コピーを付して、この作品の第1楽章冒頭を用いたアイスクリームのCM(商品名失念)が放映されました。思えばそれ以来の付き合いの筈なのですが…。

バルシャイは、基本的に衒いの無い演奏をする指揮者だと言えます。それはBrilliant Classicsのショスタコーヴィチ全集にも、一貫して見られた傾向です。正確、誠実に作品の姿を再現する一方で、ギリギリに張りつめた緊張感や、トゥッティで必要以上の重い響きを聴くことは少ないと感じます。
名古屋フィルとの演奏会でも、その印象は基本的に変わりません。しかし、パート毎に託された微細なニュアンスの伝達性が、実演とオーディオでは大きく異なっていました。これは、「オーディオの再生音+α」の如く簡単に片付くものではありません。
同一のアンビエンスを共有しなければ気付かないようなニュアンスは、多かれ少なかれ存在するものですが、ショスタコーヴィチでは、それが殊に顕著だと感じました。従来殆ど共感出来なかった、類似フレーズの執拗なリピートなど、実演で接すると尋常では無い緊張状態と高揚感がもたらされます。特に「付いて行けない」と感じていた、長大な第3楽章に対しては、認識が大きく変化しました。交響曲第15番を彷彿とさせる、恐ろしい音楽です…。
実演で接したバルシャイのショスタコーヴィチは、想像以上の緊張感で満たされていました。衒いの無い堅実な解釈の堆積が、逆に大きな質量となってのしかかってくるような心地です。
終演後には本当にクタクタで、先の記事にも書いたように帰途の足取りも危うい、と云った状態でした。

楽想を実際の響きへと丹念に変換してゆくバルシャイに対して、名古屋フィルは終始熱心に応えていました。特に弱音域でも緊張感が途切れない点は、素晴らしいと感じます。何事にも「更に上」を求める向きはあるかもしれませんが、わたくしには称賛の言葉以外、思い浮かびません。
初めて接したオーケストラですが、今後は更に注目したいと思います。
明くる1月には、ゲルハルト・ボッセがシューマン・プロを催すとの事…行きたいな。


バルシャイの指揮の師は、ゲルギエフやテミルカーノフ、ビシュコフ、そして気鋭の女性指揮者西本智実などを育てた名教師、イリヤ・ムーシン(Ilya Musin,1903-1999)です。
この人は最晩年に2回来日して、京都市交響楽団で公演を催しました。
亡くなる直前の1999年4月に開催された来日2回目の演奏会を、わたくしは京都コンサートホールで聴いています。この時の演奏は必ずしも万全とは言えなかったかもしれませんが、その師ニコライ・マルコ(Nikolai Malko,1883-1961)の録音を思わせる様式に感銘を受けた次第です。
その時の印象を辿ってゆくと、ムーシンとバルシャイとの間には、どこか共通する要素を感じました。更に若い世代の同門弟子よりも、ずっと顕著な傾向だと思います。
ムーシンの指揮法では、後に放映されたドキュメンタリーでも自身が強調していたように、「円を描くような」モーションに重きを置いているようです。それは実演でも印象に残っているのですが、今回のバルシャイの指揮ぶりを見ていると、やはり同様のモーションを頻用しています。前述「交響曲第4番」第1楽章の半ば、弦楽器主体の猛烈なプレストでも、堅調に一拍一拍を刻むような指揮ぶりであっただけに、バルシャイが「円を描く」のは一際印象に残りました。
バルシャイがムーシンに指揮法を師事したのは、恐らく半世紀以上も昔の事なのでしょう。しかし、そのスタンスには、師弟関係が未だ途切れることなく続いている有様を感じました。存命ならば101歳のムーシンと今年80歳を迎えたバルシャイ、両者の中に共通項を見出したのは、とても感慨深い事です。

演奏による感動もさる事ながら、本当に多くのものを受け取った演奏会でした。
名古屋まで強行したのは正解だったと思います。
終生の思い出となる事でしょう(^-^)
 

いつもご厚誼に与っているサンタパパ様の「だがっき」と「おと」の庵で、ショスタコーヴィチについて言及されていました。
独特のサウンドが印象的な「フレクサトーン」に関する記事です。
サウンドは聴き知っていても、名前までは認識していない楽器がまだまだ沢山あるなあ…と実感します。

当記事で述べた演奏会から「日帰り」したその日に更新なさった記事だったので、因縁浅からぬ(?)ものを感じてトラックバックさせて頂いた次第です♪


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