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Thursday, December 09, 2004

モットルの録音とワーグナー演奏よもやま(前編)

先日とうとう、オーストリアの指揮者/作曲家、フェリックス・モットル(Felix Josef Mottl,1856-1911)が1904年に遺した録音を聴く事が叶いました。
今回と次回とに分けて、その感想に絡めた、ワーグナー演奏の「同時代性」について思う所を書く予定です。

モットルは、ハンス・フォン=ビューローに続く世代、即ち19世紀後半期に於ける指揮芸術を語る際の、最重要人物の一人であると言えるでしょう。即ち、ヘルマン・レヴィやハンス・リヒター、アルトゥール・ニキシュに伍する存在であり、まさしく巨匠中の巨匠です。
また、在世時のワーグナーから直接薫陶を受けた人々を、「ワグネリアンの第一世代」とするのであれば、恐らくモットルはその掉尾を飾る人物と言っても良いでしょう。
この「第一世代」に属する人々は、残念ながらその殆どが録音を遺していません。レヴィ然り、リヒター然り、アントン・ザイドル然り…。
ビューローは1890年代に録音を行ったと伝わりますが、その現物は未だ確認されていない、言うなれば「伝説」です。

ワーグナー自身と何らかの面識があり、かつワーグナーの作品を録音している指揮者としては、フェリックス・ワインガルトナーとジークフリート・ワーグナー、それに準ずる存在としてカール・ムックとリヒャルト・シュトラウスを挙げる事が出来るでしょう。

ワインガルトナー、ムック、シュトラウスの三者は、1882年7月、バイロイトに於ける「パルジファル」の初演に臨席しています。この初演の際、第3幕でワーグナー自身が指揮を行った箇所がある(初演指揮者レヴィと交替)ので、この3人は僅かながらもワーグナーの指揮解釈を直接聴き知っている可能性があります。また、ワインガルトナーは同時に開催されたレセプションに於いて、ワーグナー自身と面会もしているのです。

ジークフリート・ワーグナーは、他ならぬワーグナー自身の子息です。
ただ、父ワーグナーは、彼が13歳の時に亡くなっていると云う事、そして何よりも、息子が音楽家になる事を望まなかったワーグナーが、生前にどの程度の音楽的薫陶を与えていたものか…些か疑問が残ります。
ジークフリートが音楽家を志したのは父の没後であり、直接の師はフンパーディンクとハンス・リヒターです。ただ、両者共にワーグナーの直弟子である事には違いありません。彼の音楽家としての素養はあくまでもそこから始まり、やがて実子ならではのアドヴァンテージが付加されていった…と見なすのが、妥当なのではないでしょうか。

事情はさておき、この4者が遺したワーグナー作品の録音は「演奏様式の同時代性」と云う意味に於いて、それぞれ示唆に富んだ存在となっています。レパートリーや音の状態は様々ですが、彼らの録音の中には、ワーグナー生前の演奏様式が色濃く影響していると思われるのです。
このうち、ムックについては、その録音量の多さもあり、別日を期して話を進めます。

わたくしが殊に素晴らしいと感じるのは、ワインガルトナーによる「トリスタンとイゾルデ」第3幕の前奏曲です。単一で演奏される機会は少ないものの、古今取り混ぜて見渡しても、これ以上の演奏が思い当たりません。
無限旋律に浮沈する官能美を、神話の如きノーブルな世界観の中に描き出す感性、この拮抗状態こそがワーグナー在世中にもたらされた演奏様式であると、わたくしは信じて疑いません。パリ音楽院管弦楽団のソリスト群も実に素晴らしく、ロランド・ラモルレットによるコーラングレのソロに至っては、ワインガルトナー自身も称賛した出色の名演です。
普段は型枠に嵌めたような指揮をするワインガルトナーですが、ワーグナー作品の録音群(約70分相当)では、19世紀的と形容する他に無い、幾つかの素晴らしい演奏を聴かせています。彼自身がワーグナーの音楽に対して懐疑的なスタンスを保っていた事を考えると、誠に不思議な現象なのですが…。

リヒャルト・シュトラウスのワーグナー録音では、1944年録音の「マイスタージンガー」第1幕前奏曲と、1933年バイロイトでの「パルジファル」から「聖金曜日の音楽」抜粋が高い完成度を誇っています。いずれもライヴ録音です。
他にはスタジオ録音の「トリスタンとイゾルデ」第1幕前奏曲と「さまよえるオランダ人」序曲が存在しますが、ライヴ音源に比べると、シュトラウスの表現意欲に落差を感じてしまいます。特に前者で大きなカット箇所が存在するのは、マイナス要因です。
「マイスタージンガー」前奏曲は当時最先端のテープ音源なのですが、残念ながら終盤に1箇所大きな歪みがあります。その点に目をつぶれば、まさに堂々たる名演です。9分半と云う中庸よりも若干速いテンポながら、縦と横の線は綿密に揃えられていて、指揮者シュトラウスの本領を見る心地がします。
更に素晴らしいのは、バイロイトでの「パルジファル」です。シュトラウスが初演時に臨席していた事は先に記した通りですが、彼は初演指揮者レヴィからも薫陶を受けており、その意味でも大変意義深い録音であると言えるでしょう。
全般に速いテンポを採る印象があるシュトラウスですが、ここでは非常に大らかなアーティキュレーションを行っています。フレーズの単位を大きく捉え、打楽器群を極力抑え気味にした演奏解釈は、グルネマンツ役アレキクンダー・キプニスの歌唱力共々、深甚な芸術境を体現していて感動的です。パルジファル役のマックス・ローレンツは、表現意欲が旺盛に過ぎて、幾分もたれる印象もありますが…。

ジークフリート・ワーグナーの演奏解釈は、前2者に比べると些かの遜色を感じてしまいます。遺された録音で特に優れているのは、「タンホイザー」の「大行進曲」と、独立作品「忠誠行進曲」でしょうか。
この人は総体的に言うと、ワーグナー作品には不向きだったのでは無いかと思われます。彼のアーティキュレーション能力は、「トリスタン」や「パルジファル」の如き無限旋律的楽想に対応し切れていない要因があり、結果としてフレーズ単位での取り回しが無闇に重々しくなってしまうのです。
逆に2拍子系のサクサクと高潮する楽想では、際立った高揚感を獲得することに成功しています。殊に「忠誠行進曲」がもたらす法悦にも似た感動は、やはり彼が、父から音楽的な同時代性を継承している事実の証左とも言えるでしょう。

長くなりましたが、今回は此所で切りましょう。此所から次回、フェリックス・モットル唯一のレコード録音、ワーグナーの「皇帝行進曲」へと繋げてゆくつもりです。
 
 

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