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Friday, December 10, 2004

モットルの録音とワーグナー演奏よもやま(中編)

この記事、本当はモットルの演奏のみに限定して話を進める予定でした。ところが、派生的な言及に歯止めがかからなくなり、結果として複数回構成を取ることに決定…。
毎度ながら、ほんと行き当たりばったりで書いてます(^^;

ワーグナー作品の演奏史に重点を置いた前回を承けつつ、今回は当記事の核たるトピック「フェリックス・モットルの録音」に話を進めてゆきたいと思います。

まず、モットルと云う指揮者について、簡単なプロフィールをば。
フェリックス・モットル(Felix Josef Mottl,1856-1911)はウィーン音楽院でブルックナーなどに学んだ後、ワーグナーの熱烈な信奉者となりました。1876年、バイロイトに於ける「ニーベルングの指環」初演の際には、ワーグナー自身のアシスタントを務めています。その後、各地の歌劇場でキャリアを積み、1886年以降はバイロイト音楽祭の主要指揮者として活躍しました。
生前のワーグナーは、彼が指揮する「トリスタンとイゾルデ」を高く評価していたそうです。
作曲も少なからず行ったものの、その方面での造詣は、現在むしろ編曲家として認識が上回っていると見受けられます。グルックの「バレエ組曲」やシャブリエの未完作品、ワーグナーの「ヴェーゼンドンクの5つの歌」などは、モットルによる編曲版が著名です。
幅広いレパートリーを持つモットルは、欧米各地の主要都市で精力的な活動を続けましたが、1911年7月2日、バイエルン王立歌劇場に於ける「トリスタンとイゾルデ」公演中に心臓発作で逝去。
演奏箇所はちょうど第3幕「愛の死」の場面だったそうです。

1911年は、グスタフ・マーラーの没年でもあります。
マーラーによるレコード録音が存在しない旨は、既にムチャクチャな盤遍歴にて、経緯と共に記した次第です。当然ながら、モットルの録音もまた存在しないものと見なすのが妥当なのですが…。
厳密に言うとマーラー、モットル共に、自動ピアノへのペーパー・ロール録音を行っているのです。
両者共に本領は指揮者であり、演奏されている作品の悉くが、管弦楽作品のピアノ版で占められています。
うち、マーラーは全て自作曲で、交響曲第4番第4楽章、同第5番第1楽章ほかの再演録音は国内盤のCDで聴く事が可能です。

一方でモットルは、ワーグナーのピアノ編曲作品のみ10曲を録音しています。そのうち3曲の再演録音を、複数のCDで聴くことが可能です。
うち、2曲を収録しているのがOHEMS CLASSICSの"Wagner Mecanique"と云う、自動演奏楽器による様々なワーグナー演奏を集めた1枚。モットルの演奏は「マイスタージンガー」からヴァルターのアリア「冬の日の静かな炉端で」と、「パルジファル」第1幕の「場面転換の音楽」が収録されています。
それともう1曲は、民音から発売されている「ウェルテ・ミニョン自動再演ピアノ」シリーズ中の1枚、「19世紀後半の名ピアニストたち2」に、「ローエングリン」の「婚礼の合唱」が聴かれます。

これらの作品は全て、たとえばリストやブラッサンが行ったような技巧的な編曲とは異なり、基本的にはオーケストラ・スコアの雛型たる体裁を取っています。その点はマーラーの自作自演と共通する要素です。
しかしながら、独断で言ってしまうと、演奏としてより魅力的なのはモットルの録音かも知れません。
マーラーによる自作演奏は、あくまでピアノ版なのだ、と云う点を割り切って演奏している趣があるのです。聴きながらに「指揮者マーラー」の演奏解釈を連想する為には、少なからぬ隔たりが感じられます。ディテールへのこだわりも意外と淡白です。
かたやモットルは、オーケストラ演奏の縮小再現を目論みつつピアノに向かっているかのようです。ディフォルメされた形態の中に、「オーケストラを指揮する時は、この声部をこう強調する」と云ったモットルの意図は随所で感じ取る事が出来ます。

「パルジファル」の「場面転換の音楽」は、カール・ムックが1927年にバイロイトで行った録音が遺されているので、同時代的な比較が可能です。
両人の年齢差は僅かに3年ですが、その解釈には相当な差違が認められます。

ムックの演奏解釈は、年代を考えるとスリムな趣があります。フレーズの繋ぎ方は大らかで、癖のある歌い口を行う事も殆どありません。それに比べると、モットルの濃密な表情付けは際立っているのです。アーティキュレーションは極めて細かい単位で施されており、随所に見られる即興的なテンポの変動が印象に残ります。
両者がバイロイトで活躍した時期は重なりますが、その相違点から察するに、この時期、同世代の指揮者の中でも演奏解釈のスタンスに差が生じ始めていたのかもしれません。
また、年齢が近いとは言え、紛れもない「第一世代のワグネリアン」たるモットルと、その後進組に属するムックとの間には、やはり一線を画するものがあるのかも知れません。

両音源の比較に於いて、特に素晴らしいと感じられる点が一つ存在します。
ムックはバイロイトでの録音の際に、ワーグナー自身が選定したオリジナルの「モンサルヴァートの鐘」を使用しました。後に破損して演奏不能となったこの鐘は、ムックの録音にのみ聴かれるものとされており、その事が歴史的記録としての価値を一層高めているのです。
この「鐘」に該当するパートは、モットルによるピアノ版でも演奏されています。その響かせ方と言ったら、ムックの録音に聴かれるオリジナルの「鐘」とそっくりなのです。
あの独特な、鈍く重々しい音色…。
聴けば聴く程に、モットルはワーグナーの「鐘」を念頭に置いて演奏しているのだと思われてなりません。たとえ固有のデバイスから離れても、その響きが一人の人間の記憶を介して再現される有様は、極めて感動的です。

少々話題が本筋から逸れてしまいました。
モットルによる自動演奏ピアノへの録音は、わたくしが聴き知る限りどれも素晴らしい記録です。器楽的に優れた演奏解釈であると同時に、ピアノを介して「指揮者モットル」を偲ばせるにもまた、充分なポテンシャルが秘められています。
そこから浮かび上がる演奏様式は、我々にとっては未知の世界、まさしく19世紀特有の「ロマン派的指揮者」像が、モットルには等身大で該当するように思われるのです。


ここまで書いて、まだなお続きそうな勢いで、我が事ながら閉口してしまいます。
もはや完全にコントロール不能状態です。
肝心の「皇帝行進曲」の録音は、これまた少なからぬ説明が付帯するオブジェクトなので、もう一度だけ区切らせて頂く事にします。

次回こそは完結編!
本当です。

あと、その「皇帝行進曲」の録音、試みにmp3に変換してみたので、次回記事中で期間限定(?)公開してみようかと思います。
さすがに100年前の録音なので、問題無いとは思うのですが…。
 
 

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