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Sunday, February 13, 2005

サムイル・フェインベルグ(その1)

最近になって、サムイル・フェインベルグによるバッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(1958-1961年録音)が、VENEZIAレーベルから廉価にて再発売されました。

この音源は過去少なくとも3回に渡ってCD化されています。

1)DANTE- Arlecchino盤(ARL17-19/レーベル消失に伴い廃盤)
2)Russian Disc盤(番号等詳細未確認/レーベル消失に伴い廃盤)
3)RCD(チェコ)盤(RCD 16231)

…の3種類です。うち、1)についてはアナログ盤からの板起こしで、再生音にはかなりのサーフェスノイズが混入しています。また、同盤では録音年を1952年としていた為、時系列的にエトヴィン・フィッシャーによる初の全曲録音(1934-1936/78回転SP)に次ぐ、ピアノによる史上2番目の全曲録音として扱われたこともあるようです。しかし、1952年と1958-61年と云うタイムラグは決して小さなものではなく、1957年にはロザリン・テューレックによる全曲録音(EMI)などが発売されています。
ひとまずフェインベルグ盤は、「旧ソ連初の全曲録音」と位置付けるのが無難なようです。

さて、今回から数回に渡り、以前より予告していた通りサムイル・フェインベルグに関するエントリーをアップロードしてゆきたいと考えています。
プロフィール欄でも「好きな音楽家」としてその名を挙げているように、わたくしにとってフェインベルグと云うピアニストの存在は、別格的なものです。いざ書き始めると、有り余る思いの丈によって自制不能に陥りそうなので、一応、納得出来るまで下ごしらえを行いました。
まずは、プロフィールからご紹介したいと思います。


サムイル・エフゲニーヴィチ・フェインベルグ(or フェインベルク/ Samuil Evgenievich Feinberg,1890-1962)

ロシア/旧ソ連のピアニスト・作曲家・教育者。オデッサのユダヤ人家庭(父は法学博士)に生まれた。幼少時から姉と共に私的な教師について音楽に親しんだが、本格的な教育を受け始めるのは11歳の頃、A.F.イェンセン(A.F.Jensen/詳細不詳)に師事して以降の事である。
一家が1904年にモスクワに移った後、1905年から1911年には、名教師アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル(Alexander Goldenweiser,1875-1961)から公私に渡る薫陶を受けた。また、その間、ジラーエフやタニェエフ(タネーエフ)に、作曲も学んでいる。
1911年、モスクワ音楽院卒業の前後から盛んな演奏活動を行い、1914年には、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲の歴史的なロシア初演を成し遂げた。
ペテルブルグのユダヤ音楽協会に参画し、作曲家/教育者のミハイル・グネーシン(Michail Gnessin,1883-1957)や、ヴァイオリニストのエフレム・ジンバリスト(Efrem Zimbalist,1888-1985)とも親交を持つ一方、師のゴリデンヴェイゼルを介してスクリャービンと交友を結び、作曲家としてもスタンチンスキー(Alexei Stanchinsky,1888-1914)やアレクサンドロフ(Anatoly Alexandrov,1888-1982)らと共に、前衛的な創作活動を行った。生涯を通じて、12曲のピアノ・ソナタや3曲のピアノ協奏曲をはじめ、数多くの作品をものしている。
ピアニストとしてのフェインベルグは、極めて広範なレパートリーを有しており、前出の「平均律」全曲演奏に止まらず、ベートーヴェンやスクリャービンのピアノ・ソナタをツィクルス形式で全曲演奏した他、ミャスコフスキーやプロコフィエフや等の、同世代人の作品も盛んに取り上げた。
また、ロシア革命後の1919年にはイサイ・ドブロウェン(Issay Dobrowen,1891-1953/国外亡命後の指揮活動で著名)と共に、レーニンの前で演奏を披露している。レーニンが革命後に聴いたピアニストは、この両者だけであったと言う。
持病の心臓疾患による影響から、1956年4月3日の演奏会を最後に公開の演奏活動から退くが、その後も死の9日前、1962年10月13日まで継続してレコーディング行った。
教育者としては1922年にモスクワ音楽院のピアノ科教授に就任して以降、死の年まで40年に渡って多くの弟子を育成した。その門下ではヴィクトル・メルジャーノフ、ジナイダ・イグナツェーワ、ヴィクトル・ブーニン、ヴラディーミル・ナタンソン等が薫陶を受けている。また、1938年のイザイ国際コンクール(現・エリザベート国際コンクール)ではソ連を代表して審査委員を務めるなど、内外多くのコンクールにも携わった。

もはや伝記を纏めるだけで、いっぱいいっぱいと言った感じですね(^^;
しかし、今回は予定通りに内容をこなしてゆくつもりです。

第1回目の当エントリーでご紹介するのは、以下の2点の音源です。

feinberg:first recordings 1929-1948(米ARBITER/ ARBITER 118)
GREAT ARTISTS IN MOSCOW CONSERVATOIRE/SAMUIL FEINBERG(露Moscow State Conservatoire/SMC CD 0026)

前者はAmazon.comへのリンクを張っているように比較的入手が容易なCDですが、後者については日本への正規入荷ルートが存在しないので、入手は難しいかも知れません。
前者は1929年、ベルリンで行われたフェインベルグの初録音と、1930年代後半の、旧ソ連に於ける1930年代後半のSP録音、そして戦後、1947-48年にやはり旧ソ連で行われたテープ録音の板起こし復刻を収録したものです。一方で後者はモスクワ音楽院所蔵の、1950年と52年に録音された、公開/非公開の演奏音源です。

ARBITER盤に聴かれる初期録音(SP期)群は、正直な所あまり感心出来るものがありません。ベートーヴェンの「熱情」や、バッハの作品群のような「組み物」が複数含まれていますが、全般に何かセカセカとした雰囲気があります。随所に強引なアゴーギクが認められるのも、後年の名演を鑑みれば異質の解釈です。これは収録時間やデュナーミクの制約に起因しているのかも知れません。
ただ、1929年の録音群には、フェインベルグの自作自演やスクリャービン、スタンチンスキーの作品が含まれている点は、非常に興味深いと思います。ポリドールから、恐らくソ連国外に向けても発売されたこれらの録音は、当時どのように受容されたのでしょうか。
他方、同盤収録の音源でも、1947-48年のセッションについては、ピアニストとして完成されたフェインベルグの姿があります。特筆すべきは「半音階的幻想曲とフーガ」でしょう。この作品は最晩年にも再録音が行われましたが、1948年の録音では作品のテクスチュアを明瞭に描きながらも、後年より幾分熱のこもった演奏が聴かれます。
また、リャードフの「牧歌」も、磨き抜かれた美音が作品に与する所の大きい佳演です。

モスクワ音楽院所蔵の音源中には、より貴重なレパートリーが聴かれます。
わたくしが現時点で聴き得た、この巨匠唯一のショパン、バラード第4番をはじめ、盟友アレクサンドロフの2作品(夜想曲op.3-1/ワルツop.3-2)、そして自作のピアノ協奏曲第2番(第2・第4楽章のみ収録/Y.シランチェフ指揮/モスクワpo)等です。
いずれも音質が悪いのは残念ですが、殊にショパンは傾聴に値します。非常に抑制の利いたデュナーミクの中で、微妙なトーンを使い分けるフェインベルグの個性が、新鮮なショパン像として結実しているのです。スクリャービンの「マズルカ集」などを聴く限り、フェインベルグのショパン演奏は素晴らしかったに違いないと思われるのですが、もっと条件の良い録音は残されていないのでしょうか…?
自作自演の「ピアノ協奏曲第2番」は、抜粋とは言え20分を越える大作です。しかし、正直言ってこの作品、スクリャービンともプロコフィエフともつかない「キメラ的」な作品で、恵まれない録音条件と相まって、些か戸惑いを感じさせます。近現代音楽にも卓越した理解を示したフェインベルグ、演奏は言うまでもなく素晴らしいのですが…。
全楽章が記録されているのであれば、然るべき形での再復刻を望みたい所です。


ともあれ、本来この2点のCDは、優先順位から言えばフェインベルグ鑑賞のいわば「裏口」として受容すべき音源だと思います。しかしながら、所有音源についてはどうしても一通り触れておきたいので、まずは「序の口」として記述する次第です。


>>次回に続く
 

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