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Tuesday, February 15, 2005

サムイル・フェインベルグ(その2)

さて、今回からいよいよフェインベルグの演奏について、本格的に言及してゆきたいと思います。

今回は、バッハ以外(バッハは完成度の高さもさることながら、発売点数も多いので)のライセンス発売音源について連ねる次第です。
「ライセンス発売」と云う概念をどの範囲まで規定するべきかは実際迷う所なのですが、一応下記の音源は全て、版権者の許諾の元に原テープから起こされているようです。

◆サムイル・フェインベルグ1:ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第4・11・30番(meldac-TRITON/DMCC-24030/廃盤)

◆サムイル・フェインベルグ3:シューマン:アレグロ ロ短調 op.8/フモレスケ 変ロ長調 op.20/森の場景 op.82 (meldac-TRITON/DMCC-24032/廃盤)

◆RUSSIAN PIANO SCHOOL/SAMUIL FEINBERG:バッハの編曲作品集/モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4・17番
/幻想曲とフーガ ハ長調 K.394/アレグレットによる12の変奏曲  K.500(BMG MELODIYA/4321 25175 2/廃盤)

Scriabin by Scriabin:スクリャービン:マズルカ集 op.3(Saison Russe/ RUS788032)


フェインベルグというピアニストの非凡な個性は、一言ではなかなか名状し難いものです。
磨き抜かれた幾分柔らかい音色は透徹したものですが、ユーディナやソフロニツキーのように、思い切ったディフォルメに走ることはありません。かと言って、情緒に耽溺するような、陶酔的な表現を行うことも無いのです。
敢えて類別的に言うなら、ヴェデルニコフに似ているかも知れません。しかし、ヴェデルニコフが、あくまでもコンポジションの明示を前提として演奏表現を行っている(ように見受けられる)点から比較すると、フェインベルグの様式はもっと即興的です。
前回のエントリーで「非常に抑制の利いたデュナーミクの中で、微妙なトーンを使い分ける」との形容を用いましたが、そこに融通無碍な表現力を加えれば、フェインベルグの個性をある程度表現し得たと言えるかも知れません。
わたくしはフェインベルグの演奏を聴くと、牧谿の如き南宋期禅林派の山水画を、何とは無しに思い浮かべます。言うなれば、幽邃としたモノ・トーンの美です。

突飛な話になるのですが、たとえば同門で、同様にユダヤ人の素晴らしいピアニスト、グリゴリー・ギンズブルグ(Grigori Ginzburg,1904-1961)と比べた場合、旧ソ連に於けるフェインベルグの「録音待遇」の良さは、際立っています。
ほぼ1年の差で没したにも拘わらず、ギンズブルグの録音に於ける待遇・条件の悪さは悲惨の一言に尽きます。音質の平均的な水準の低さは言うに及ばず、使用しているピアノさえも、ろくに調律されていないようなセッションが多々あるのです。その点でフェインベルグの録音群は、1940年代後半~没年(1962年)迄の間、スタジオ・セッションに限定するならば、一貫して録音時期の最高水準に近い音質で収録されていると言えるでしょう。
この音質面での好条件は、彼の魅力を伝える為に寄与する所、極めて大であると思います。本当に微細なニュアンスの変化や、ペダリングの妙味が聴き取れてこそ、「稀代の巨匠」フェインベルグです。
過剰な詮索かも知れませんが、革命後にレーニンの面前で演奏した、と云う事実が、彼の政治的な立場を有利なものとしていたのでしょうか…?

…要らぬ詮索はさておき、同時代人による幾つかの回想を参照すると、フェインベルグはロシア・ピアニズムの中では、一定の距離を置きつつ、侵し難い高踏的な位置を占めていた-そんな雰囲気が偲ばれます。演奏に対する先述の如き印象と相まって、わたくしはフェインベルグに対して、物静かな哲人の姿を知らず知らずのうちにイメージしている次第です。
あくまでも余談ですが、師ゴリデンヴェイゼルと並んで写っている写真を見ると、フェインベルグはかなり大柄な、恰幅の良い人物です。他方、比較的小柄で、細身・小顔のゴリデンヴェイゼルが、体躯に不似合いな迄に大きくゴツゴツとした掌を有しているのも、インパクト抜群だったりします。

今回列挙した音源は、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、スクリャービンと云ったレパートリーを含んでいます。古典派からロマン派、さすがにスクリャービンは隔たった位置にある作曲家ですが…。
モーツァルトとートーヴェンを、「古典派」と云う同一の枠内に押し込めるのは、些か乱暴なやり方です。一方の演奏に長じてはいても、もう一方では…と云う演奏家も少なくはありません。
しかし、フェインベルグは、自らの適性を見事に、それぞれの作品へと反映しているのです。
モーツァルトでは、彼の柔らかく美しい音色と、天衣無縫の即興性が存分に発揮されています。作品のテクスチュアをこれだけ明示していながらも、斯様に至純な美しさを保っているモーツァルトは、そうそう聴かれるものではありません。
ベートーヴェンは、やはり彼独自の流儀に則った、素晴らしく個性的な演奏です。劇的な要素を直截に駆り立てるようなことは一切していないのに、楽想の内なる言葉が強い説得力を持って聴き手に語りかけてくる、そんな演奏です。殊に第30番の終楽章、11分に及ぶ変奏曲の展開は、彼の才覚の集大成とも言える名演となっています。このベートーヴェンのソナタを集めたCDは、発売時に「レコード芸術」誌で特選盤となりましたが、さすがに同誌の慧眼が現れた結果であると思います。
シューマンは若干録音条件で劣る曲が見受けられる点、残念なのですが、その内観の深さは、彼にとって珍しく標題的なレパートリーである「森の場景」にも遺憾なく発揮されています。「孤独な花」の幽遠とした美しさなどは、絶品と形容するより他ありません。

スクリャービンは、作曲家自身との親交も踏まえて、フェインベルグにとっては別格的な意味合いを持つレパートリーと言えるでしょう。DANTE- Arlecchinoからかつて発売されていたピアノ・ソナタの第2・4番とピアノ協奏曲を収めたCDを買い逃したのは、未だに悔やんでも悔やみきれない痛恨事となっております。
僅かに聴き得たop.3のマズルカ集(全7曲)は、以前のエントリーでも言及したCDに収録の音源ですが、わたくしにとってフェインベルグとのファースト・コンタクトとなった記念すべき演奏です(現行盤は再発売仕様)。
未だショパンの影響が色濃い作品群ですが、舞曲的な楽想の中に何所か妖婉で神秘的な情緒を汲み取っているのが印象的です。

>>次回に続く

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Comments

银壁亭好

I have Samuil Feinberg playing Scriabin works (Arlecchino ARL 50). I am looking for Triton DMCC-24030. If you have DMCC-24030 and you are interested in exchanging CD-R, let me know. Thank you.

Posted by: john stall | Wednesday, December 05, 2007 at 10:23 AM

I have Samuil Feinberg playing Scriabin works (Arlecchino ARL 50). I am looking for Triton DMCC-24030. If you have DMCC-24030 and you are interested in exchanging CD-R, let me know. Thank you. My email: js197553716@yahoo.com

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Posted by: Kris Bagne | Monday, January 28, 2008 at 04:30 PM

Mr.Kris

Thank you for your kindness.
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I can't prepare for your suggestion.

Sorry.


Posted by: Tando | Saturday, April 05, 2008 at 10:42 PM

Mr.john

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Posted by: Tando | Saturday, April 05, 2008 at 10:43 PM

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