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Wednesday, February 16, 2005

サムイル・フェインベルグ(その3)

いよいよ今回をもちまして、サムイル・フェインベルグにまつわるエントリーも幕引きと相成ります。
ああ、予定通りの分量に収まって良かった…。やっぱり計画性って大切ですね。

3回目となるこのエントリーでは、フェインベルグの音源中でも最重要の位置を占めるレパートリー、バッハの作品について言及してゆきます。
いやはや、自己設定した回数内に無理矢理詰め込みましたからね、長いですよ、今回は…。


フェインベルグのバッハを纏めたCDで、わたくしの手元にあるものは下記の通りです。

◆サムイル・フェインベルグ2:J.S.バッハ作品集:パルティータ第1番/コラール前奏曲 BWV.663,711,912/幻想曲とフーガ BWV.904/トッカータ BWV.911/前奏曲とフーガ BWV.548(meldac-TRITON/DMCC-24031/廃盤)

◆RUSSIAN PIANO SCHOOL/Samuil Feinberg:平均律クラヴィーア曲集 BWV.846/893(チェコRCD/RCD 16231)

◆Samuil Feinberg/J.S.Bach Clavier Works/Organ Works:トッカータ BWV.912/幻想曲とフーガ BWV.904/半音階的幻想曲とフーガ BWV.903/前奏曲とフーガ BWV.548/トリオ・ソナタ第5番 BWV.529より「ラルゴ」/コラール前奏曲 BWV.647,662,663,711(瑞Jimmy Classic OM 03-130)


うち、「平均律」については、これまで再三言及してきた VENEZIAレーベルの再発売盤が、現在廉価かつ容易に入手可能です。


こうして各CDを整理・列挙してみると、複数の曲目が重複している様子が明らかになります。しかし、ライナー記載のデータを参照すると、必ずしも録音年代は一致しません。つまるところ、同一曲目の再録音が度々行われているのです。これは旧ソ連のピアニストの中では、非常に珍しい事ではないでしょうか。上記の音源が全て「一発録り」のライヴではなく、スタジオでの計画的なセッションである事を鑑みれば、尚更その実感を強くします。中にはBWV.904の「幻想曲とフーガ」のように、同年(1961年)の録音とクレジットされた別テイクまで存在するのです。
この機会にメルダック盤とJimmy Classic盤との比較・同定を試みた所、同一曲目が悉く別テイクであると云う結果に逢着して、改めて驚嘆した次第です。

前回エントリーで、彼の「録音待遇」が良い、と云う旨を指摘致しましたが、殊にバッハの録音群に於いて、その傾向は顕著と言えるでしょう。録音年代も前回指摘した通り、1947年~没年(1962年)に渡っていますが、どれ一つ取ってみても、(あくまで当時のソ連に於ける、録音水準のバラつきを考慮すれば)非常に良好な音質です。

以上の点を踏まえると、各CD毎に感想を連ねる方法が、最も合理的であると思われます。

まずは、メルダック盤。
このCDでは1947-8年と1952年のセッションが、収録時間の大半を占めています。この時期の録音群に顕著なのは、自在な緩急と強い推進力です。タッチやペダリングによる微妙な音色のコントロールを随所で施しつつも、迷いや躊躇が一切感じられないのです。全てが「斯く在るべし」とばかりに、息もつかせず紡がれてゆく。聴感はこんなにも優しく、柔らかなのに、緊張の糸は一時たりとも弛緩することがありません。
冒頭のパルティータ第1番から、既にフェインベルグの独擅場です。このCDではトラック分割が施されていない為、約15分の全曲を毎回「通し」で聴かざるを得ないのですが、この人の演奏では、それが一向に苦にならないのです。
また、BWV.911のトッカータなどは、生半可な演奏では到底享楽出来ないような、晦渋かつ大規模な作品だと思います。しかしフェインベルグの演奏ならば、一幅の名画に見入るような心地で聴き通せるのですから、不思議です…。

「苦にならない」と云う要素は、「平均律」の全曲盤に於いて更に強く実感されます。
ピアノによる全曲盤では、グールドやリヒテル、あるいはニコラーエワによる演奏等をを思い浮かべますが、何れ違わず示唆に富む名演ではあっても、各々に「聴く時を選ぶ」要素を感じるのです。
まして全曲「通し」での鑑賞には、都合4時間近くの時間を要します。ともすればマイアベーアやアレヴィによる、グラントペラの全曲盤以上に労力を要する「荒行」になりかねません。
しかし、どうしたものかフェインベルグの演奏は聴く時を選びません。ゆったりと聴き流しても、あるいはじっくり正面から向き合っても、すっきりと耳に入って来るのです。
その実、解釈の上ではかなり個性的な部類に属すると思われます。例えばユーディナのように極端なデュナーミクこそ行いませんが、随所に思い切った緩急の変化が認められます。それでいて、総体として強い訴求力に事欠かないのは、透徹してテクスチュアの隅々を見渡し、再構築しているからでしょう。
少なくとも、奇矯な演奏と云う印象はありません。

フェインベルグはロシア・ピアニズムの中にあって、とりわけ完成されたメカニックを有するピアニストであると思います。しかし、その用い方は極めてストイックで、デリカシーに富んだものです。随意なペダリングに支えられながら紡ぎ出される音色は、淡い輪郭を持っているようでいて、質量は常に一定しています。そうした特性が、バッハにあって、殊に「平均律」にあっては、類い希な美質に到達しているのです。
VENEZIAから廉価で発売された今を好機として、この名盤がより多くの人々に享受される事を願ってやみません。

最後に、Jimmy Classic(変な名前ですよね)のCDに言及しておきたいと思います。
恐らく正規の輸入代理店が存在しないこのレーベル、"Made in Sweden"とクレジットされていながらも、何故か方々で「ロシア直輸入盤」として扱われています。他にはバーンスタインとマルケヴィッチのライヴが発売されており、フェインベルグに比べると国内でもある程度の数が流通しているようです。これは単に演奏家の知名度と、それに伴うニーズの問題かも知れません。
フェインベルグのこのCDに限って言えば、随分と骨を折って入手致しました。

このCDはわたくしにとって、今や最も尊い音源の1つとなっています。非常時の持ち出しCDリストを設けるならば、まず間違いなく10点の内には入るでしょう。再度の入手が確約されない限りは、値千金であっても絶対に譲渡する気にはなりません。あの高嶺の花、PHILIPSのムラヴィンスキー指揮/ショスタコーヴィチ/交響曲第8番(欲しい…)とトレードでも、イヤです(^^;

入手の経緯のややこしさもさることながら、このCDをそこまで尊重するのには、深い理由があります。
このCDには、1962年の10月4日と13日に行われた、フェインベルグによる生涯最後の録音セッションから、6曲が収録されているのです。うち、BWV.529の「ラルゴ」とBWV. 647(シュブラー・コラール第3番『尊き御神の統べしらすままにまつろい』)、BWV.662(18のコラール集・第12番『いと高きにある神にのみ栄光あれ』)、BWV.663(同第13番・同題)の4曲は、前回エントリーで挙げた、BMG MELODIYAの" RUSSIAN PIANO SCHOOL/SAMUIL FEINBERG "(4321 25175 2)にも収録されていますが、BWV.904の「半音階的幻想曲とフーガ」と、BWV.548の「前奏曲とフーガ」は、恐らくCD初復刻です。
更に付け加えると、これら2回のセッションはステレオ録音です!

最晩年に到ってフェインベルグの演奏は、幾分変化を見せます。融通無碍な緩急はやや落ち着いて、その分だけ内面に向けられた深遠な拡がりを増しているのです。1947年以来の再録音、「半音階的幻想曲とフーガ」を聴き比べると、いずれも同質の個性を感じさせつつ、1962年の方が一層巨大な気配を宿しています。

そして、死の9日前のセッション。
コラール集は、短調・長調を問わず楽想の一音一音が至純な境地に達しています。あらゆる虚飾を排した、究極的な音楽の姿です。
トリオ・ソナタからの「ラルゴ」は、その音色と、アーティキュレーションの一切が秘めている宿命的な響きによって、聴く者の心へと痛切に浸透する演奏です。切ない楽想をあざとく奏でるような事は一切していませんが、これほど哀しい演奏は、そう多くありません。敢えて類例を列挙する必要も無いでしょう。

同盤収録の、BWV.904「幻想曲とフーガ」も、胸を締め付けるような演奏です。これはメルダック盤と同様に1961年の録音ですが、別テイクとなっています。メルダック盤では、最後の1音がテープの損耗の所為で大きく歪んでしまうのが泣き所でしたが、こちらではそのようなトラブルはありません。
…しかし、演奏の開始と共に、ガサガサとしたノイズが入るのです。ああ、こちらのテープも傷んでいたのか、と当初は嘆かわしく感じたものですが、注意深く聴いていると、どうやらテープ起因のノイズではありません。
演奏と同一の空間からマイクに収録されたそのノイズは、恐らくフェインベルグの呼吸音です。荒く苦しげな息遣いは、演奏が始まって以降、断続的に聴かれます。それでいて音楽は乱れることもなく、むしろ一層力強さを増すかのように響くのです。
ステージを退いて既に5年、やはり持病を抑えながらの演奏は、フェインベルグにとっては尋常ならぬ労力を要したに違いありません。
過剰な感情移入かもしれませんが、この音源には、克己の闘いを端的に見るような心地がします。

サムイル・フェインベルグ、わたくしがこの音楽家の何所に惹かれているのか、それを言葉に置換するためには、かくも冗長な文面を連ねなくてはなりませんでした。
根底には「好き」と「嫌い」の両極が在って、この人の場合はとにかく「好き」の極北に位置しているのだ、と云う事実だけが、確かな手触りを伴っています。
まだまだこれから見出すべき魅力が、フェインベルグには潜在しているのかも知れません。

ともあれ、その演奏を聴きながらに飽くことは、未だに無いのです。
音源の発掘・再CD化大歓迎です。是非是非。
もし、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」ソナタなどが録音されていたならば、それはそれは素晴らしい演奏に違いありません!
 
 

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