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Thursday, March 30, 2006

Arbiterのサムイル・フェインベルグ音源集

以前のエントリーでレーベルからの予告に触れていたCD。
しかし、発売を経て現在に至るまで、実際の感想は一切書かずにいた。

どうやっても書くことが出来なかった。
この希有なる巨匠を前に、私の拙い言葉を上塗りする気にはなれなかったのだ。
いくら試行錯誤を重ねても、感動が言葉にならない。
やはり公開のスペースで自分の感想を連ねる以上、相応の意義と責任が求められている。そう思うと、気負ってしまって何も書けなくなる。
思い詰めすぎだろうか?

そもそも、そんな状況は昨年末からずっと続いている。

しかし、先日romani様による、同盤に関する素晴らしいエントリーからトラックバックを頂戴して、憑き物が落ちた。
やはり、私なりに努力して、このCDについては何かしら書いておきたい。

さて、このCDに収録されている音源は、年代別に整理すると以下の通りである。

samuil feinberg in sound and thought moscow:1948-1962

a)スクリャービン:ピアノ・ソナタ第5番
 (1948年1月22日 モスクワ音楽院でのライヴ)

b)ラフマニノフ:前奏曲op.23より、第1,3,7,8番
 :練習曲「音の絵」op.39より、第9番
 リスト:コンソレーション第1番、同2番
 バッハ-リスト編曲:前奏曲とフーガ BWV.542
 バッハ:シンフォニア BWV.798

 (1950年代のライヴ。詳細記述なし)

c)ショパン:バラード第4番
 (1952年9月22日、モスクワ音楽院大ホールでのライヴ)

d)バッハ:幻想曲とフーガ BWV.904
:トッカータ BWV.912

 (1961年スタジオ録音。疑似ステレオ?)

e)バッハ:前奏曲とフーガ BWV.533
 (1962年10月スタジオ録音。ステレオ。)

大まかに、a)~c)群のライヴ音源と、1961~62年のスタジオ録音、d),e)群とに分類される。

d)については、Arbiter盤には"stereo"との表記があるものの、位相から判断するとモノラルである可能性が高い。ただ、音質的には、ステレオ・リバーブが附加されているようにも聞こえる。

そしてe)は、1962年10月4日と同13日、恐らく2回行われた、正真正銘のステレオ録音からの復刻。BWV.533の「前奏曲とフーガ」は、CD初出となる。
フェインベルグは1962年10月22日に没しているから、正に死の直前のセッションである。但し、Arbiter盤には日月の記載が無いため、この音源が両日どちらの収録なのかは判らない。

a)~c)群は、恐らく非正規のアセテート盤からの復刻なのだろう。おしなべて音質は悪い。
中でもスクリャービンのソナタは最も状態が悪く、ともすれば機械録音並とも言えるレンジ域で収録されている。特に、強奏で音色が殆ど混濁してしまうのは残念至極だ。
作曲家自身が生前に認めたピアニストによる貴重な演奏であるにも拘わらず、聴く者には相当な忍耐強さと、逞しい想像力が要求される。

しかし、それら悪条件を潜り抜けて届けられる、この演奏の凄まじさはどうだろう。一気呵成の瞬発力に貫かれながらも、一分の隙も無く施された、綿密な彫琢。
従来、殆ど願望的に仮想するほか無かった筈の、暗く…眩しく、冷たく…熱い、奇跡的な結晶である。
恐らくスクリャービン自身が想定し、希求していた演奏像。
このフェインベルグによるライヴを聴くと、他には考えられなくなってしまう。

やや年代が下がって、b),c)ともなると、音質的な条件は幾分向上する。
スタジオ録音から偲ばれるフェインベルグの姿は、精緻な技巧を持ちながらも、その演奏は変幻自在。そして何より、常に理性的である。
だが、先のスクリャービンにも明らかなように、この人は聴衆を前にすると、一層熱く燃えたようだ。
逐一述べるときりが無いが、たとえばラフマニノフの小品群。この作曲家の作品が、これほど神秘的なヴェールを纏って現れることは、稀だ。不思議と、スクリャービンの初期作品のように響くラフマニノフである。

リスト編曲のBWV.542「前奏曲とフーガ」は、聴き手に殊更強烈な印象を与える演奏だ。
整合性を保ちつつ、かつ即興的なスリルを伴ってポリフォニーを纏め上げる演奏様式は、ロシアにあってマリヤ・ユーディナの独壇場と言ってもよい。しかし、ユーディナには大きな当たり外れがあり、ギリギリの一線を越えると、音楽自体が崩壊してしまう危うさをも宿している。
対して、このフェインベルグの演奏。
ユーディナと共通する、魔術的な推進力と即興性を有しながら、フェインベルグの演奏には寸分の隙とてない。
そしてユーディナよりも、更に豁然とした余裕を湛えるバッハとなっているのである。
ここに見出されるのは、本気を出した理性人の凄まじさ、とでも言うべきか。
フェインベルグ、改めて畏るべきピアニストである。

d)~e)の録音群については、大半が以前のエントリーと重複するので、敢えて多くは語らない。
闊達、融通無碍でありながら、決して型崩れのしない美しいバッハである。

ただ、このArbiter盤は、現在入手が容易な点で、圧倒的な強みを有する。ひとまず、これら普遍的な鑑賞に耐えうる状態の音源から、より多くの方々にフェインベルグの素晴らしさに接して頂きたい。
僭越ながらも、ただ、それを切に願うばかりである。
 
 

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Comments

こんばんは。
TBいただきありがとうございました。
素晴らしい感想記ですね。フェインベルグに対する愛情と熱い思いが伝わってきます。
触発されて、私もいま聴きなおしているところです。
でも、私にはやっぱり彼のバッハに惹かれます。
平均律のトラウマかなあ・・・。

Posted by: romani | Thursday, March 30, 2006 at 11:12 PM

>romaniさま

お陰様で、どうにか感想らしい文面を形作ることが出来ました(^^;

書きながら、つくづく、このフェインベルグというピアニストに惚れ込んでいるのだなあ…と実感を強くした次第です。

>やっぱり彼のバッハに

いえいえ、この人のバッハは、やっぱりどこからどう聴いても素晴らしいと思います。
今回文面を連ねながらも、うっかりするとすぐ過褒に偏りそうで、よくよく自重したつもりなのですが…。
この人の演奏を聴いていると、天と地の間、これより他に音楽なし、といった心持ちにすらなってしまいます。

死の直前のセッションについては、もはや言葉になりません。

Posted by: Tando | Wednesday, April 05, 2006 at 09:21 PM

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