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Sunday, July 23, 2006

マーラー:交響曲第9番/ハンス・ツェンダー指揮/ザールブリュッケン放送交響楽団

Zender

Mahler: Symphony No. 9
Des Knaben Wunderhorn(cpo 999 479-2)

マーラー:
交響曲第9番 ニ長調(CD1)
歌曲集「子どもの不思議な角笛」(11曲/CD2)

ハンス・ツェンダー指揮
ザールブリュッケン放送交響楽団

ブリギッテ・ファスベンダー(sop)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)

  
  
cpoから発売されている(…いた?)、ハンス・ツェンダー・エディション(Hans Zender Edition)を、最近になってぽつぽつと集め始めている。発売後10年を経て、HMVやTower Recordのような大手では、今や入手可能なタイトルとそうでないものとが現れ始めている。やむなく各国のAmazonを手当たり次第に探し回っている状況だ。

彼のように即物的な演奏家は、それこそ以前なら完全に敬遠していた。
指揮者として取り上げているレパートリーも、古典派、ロマン派の選りすぐりに加え、それと均等か、より以上の比重で現代音楽が多く、如何にも聴く人間が選別されるように感ぜられたのだ。

また、昨今の個人的な嗜好になってしまうのだけれども、マーラーの音楽からは、長い間距離を置いていた。
積極的に未知の音源に手を伸ばすことは少なく、聴くとしても従来愛聴してきた演奏で事足りていた。

ところが、一時期ショスタコーヴィチにのめりこんだ後、敬遠していた「現代音楽」もある程度聴くようになった。
すると、次第にマーラーへと関心が戻ってきた。
ツェンダーの演奏を聴いてみようと思い立ったのは、それからのことだ。

ツェンダーの解釈は、楽曲に対して全く容赦がない。指揮者が手心を加えた箇所は、皆無と言ってよい。
私はそんな演奏を期待して手を伸ばしたのだが、見事なまでにその通りであった。

作品として未熟な部分、先鋭的な部分、そして美しい部分。
何もかもが均質に、一貫した緊張感の元に音化されている。
それゆえに、今まで光が当たらなかった部分が、峻烈に訴えかけてくる。
そして、ただ無機質なだけでは生まれ得ない訴求力が、この演奏には確実に存在している。指揮者の秀逸な資質、バランス感覚が作用した結果であろう。

この場にあって雄弁なのはマーラーでも、指揮者でもなく、スコアそのものだ。

たとえば第1楽章をツェンダーの指揮で聴いていると、確かにこの作品が、20世紀の音楽が後々に辿る前途を照らしていたのだということが理解出来る。
更に不思議なことだが、ブルーノ・ヴァルターとVPOによる畢生の名演と相通ずる響きを感知した。

こうした解釈の元に聴くと、第4楽章などはいかにも物足りないのではないかと危ぶまれる。
だが、ツェンダーによってもたらされた音楽の、何と清浄で、澄明なことか。
初演者ヴァルターが同楽章に見出した「蒼穹に溶け入る白雲」とは、正にこうした演奏にこそ存在するのではないか?

世の中に無数に存在する音盤を、一切合切聴き尽くすことは不可能だ。
合う、合わない。
期待以上、期待外れ。
そうした一喜一憂も、無論クラシック音楽を聴く楽しみであることに違いはないのだが。

とまれ、斯様な演奏を希求されていながら、出逢うことが叶わずにいる方は必ずいらっゃると思う。
その方のために、拙いながらこのエントリーを捧げたい。

参考までに記載すると、全楽章通じての演奏時間は72分43秒。
各楽章のタイミングは、下記の通りである。

1. 25’13
2. 14’55
3. 12’44
4. 19’48
  
即物的な志向で体現されたマーラーの、極致とも言うべき名演と信じて疑わない。
とかくマーラーという作曲家に付きまといがちな、人間味丸出しの「しがらみ」から、解き放たれるような心地である。
  
  

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