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Sunday, August 20, 2006

MUSIC FOR KEYBOARD~ジョン・ケージ(2)

“In a Landscape”(ある風景の中で)を聴いて、従来ケージに対して築いてきた観念が揺らいだ。
こういう「美しい」音楽も、「ちゃんと」書いていた人だったんだ、と。
そうなると、他の作品も俄然聴いてみたくなった。
しかし、この次に取る経路を間違えてしまうと、再び拒絶反応を催してしまいそうだ。
“In a Landscape”の印象を崩さずに、少しずつ見聞を広めるには…。

色々と考えて目星を付けてのが、このCDだった。

John Cage: In a Landscape

まず“In a Landscape”が入っていること。それと…あとは収録トラックのタイトルを見て、フィーリングで決めた。
いくらケージでも
”A Valentine Out of Season”
”Dream”
といった表題で、そう突飛な音楽を書きはしないだろう、などと考えた。

結果から顧みれば、この選択は正しかったと思う。
その後色々な音源を対比して聴くようになったからこそ、演奏自体に幾分の物足りなさを感じはするが…実際、このCDの奏者は健闘していると思う。

まず、プリペアド・ピアノというものの音色に、このCDで初めて接した。
「マルセル・デュシャンのための音楽」、「季節はずれのヴァレンタイン」、「バッカナール」…何という不思議な音色だろう。
調律の外れたピアノ、木製のパーカッション、箏、あるいはガムラン。
音域によって様々な音色が交錯する。これが本当に一台のピアノから発せられる音なのか?
完全に打ちのめされた。これは凄い音楽だ。
ケージのことを「天才的な発明家」と評した、シェーンベルクの言葉がよぎった。
狭小なスペースで、ガムランに近い音色の生伴奏を行う必要(バッカナール/1938)から生み出されたアイディアだと言うことだが、これぞ正しく「発明」と呼ぶほかない。
そして、自らの発明に即した作曲をもやってのけたケージ。
とてつもない音楽家だと思うようになった。

このCDの奏者、ドゥルーリー(Stephen Drury)の偉いところは、作品毎に指定された楽器をこまめに使い分けていることだ。
パイプオルガンも弾くし、「トイ・ピアノのための組曲」では、きちんとトイ・ピアノを弾いている。特にこの曲を通常のピアノで弾いても、魅力は大幅に減じてしまう。それは後になって思い知ったのだけれど…さておくこととしよう。

かかる経緯によって、私はうまい具合にケージの創作世界に踏み出すことが出来たと思う。
まず最初のキーワードは「プリペアド・ピアノ」。

更に続いて手にしたCDとは、何の意外性もない出会いだった。Amazon.comで先述CDに附随して「この商品を買った人はこんな商品も買っています」で掲示されていた、それだけ。

ケージ:鍵盤楽器のための音楽 1935-1948

これはケージ本人が監修したという、「お墨付き」のCD。
ケージに関心を持った方なら、まずこのCDから入って間違いはないと思う。
プリペアド・ピアノの作品については、プリパレーション(いわゆる『調律』作業)にもケージの手が入っているので、「ケージ自身が望んだ音」を知るためにも貴重な音源だ。

このCDでの奏者、ジーン・カースティン(キルステイン)は、かなりドライな感性で演奏していると思う。ロマンティックで瞑想的な美しさを湛えた”Dream”は、ヘンクやリュビモフの“In a Landscape”を聴いた耳には、少々物足りなくも感ぜられる。
他方、プリペアド・ピアノのための作品や、「トイ・ピアノのための組曲」などは文句なしに素晴らしい。前者の一音たりとも疎かにしない正確さ、そして後者の不思議な透明感は、結局このCDでしか聴きえなかった。

今回挙げたCDを飽きることもなくひたすら繰り返し、帰りの東海道線では京都で降りる所を草津まで乗り越してしまう程に聴き込んで、私の「ケージ遍路」は更に奥の院を目指すのであった。

それにしても「マルセル・デュシャンのための音楽」は味わい深い曲だ。
「禅」的な美すら感じるのだけれど、単純にプリペアド・ピアノの音が木魚の音に聞こえるから…?
いやいや、そんなことはない筈。
  
  

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