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Saturday, May 30, 2009

ギリヤーク尼ヶ崎、白川軍八郎

京都文教大学人間学研究所主催の公開シンポジウム、「鬼の踊りから祈りの踊りへ~大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎 40年の軌跡」(2009年5月30日13時~16時・於・五條会館)へと足を運んだ。
大道芸人・舞踊家ギリヤーク尼ヶ崎が、生い立ちから長い芸歴にいたるまでを自ら振り返るという内容。専ら街頭での公演を活動の場とする人だから、こうした形式でのイベント出演はとても貴重な機会だ。
映像の上映、談話の後には「じょんがら一代」「よされ節」念仏じょんがら」の舞踊上演まで行われた。ファンをもって任ずる者にとっては、本当に逸するべからざる貴重な機会だったと思う。
舞台でギリヤーク尼ヶ崎の舞踏を鑑賞する機会は極めて稀なことで、一体どんな内容になるだろうかと期待と不安が入り交じった心持ちだったが、それはご本人も全く同じだったことが公演後の言葉で明らかになった。オーディエンスに対して頻りに「舞台でも大丈夫でしたか」と訊ねる、飾ることのない謙虚さに心打たれる。大丈夫、どころか、街頭では雰囲気に気圧されてなかなか見届けることのできない、細かなニュアンスの豊かさを新発見し、深く感じ入った。演目のクライマックス「念仏じょんがら」で、街頭のように水を被ることができない代わりに、紙吹雪が用いられていた。あのアクションは進行上欠かせない重要なものなので、会場の制約を克服し、なおかつ視覚に訴える形に昇華したアイディアには唸らされた。
肺気腫を患い、ついには昨年末心臓ペースメーカー施術を受けなおあの激動の舞踊を続ける意志力には感動するほかない。身体能力の限界と常に直面しながらの舞踊公演は対峙する者に「痛み」を共有させずにはいられないが、それだけに訴求する力の強さはいや増しに増し続けている。

さて、ギリヤーク尼ヶ崎と聞けば何と言っても「じょんがら」だが、このシンポジウムで面白い話があった。自身の舞踊とじょんがらの「なれそめ」について回想される中で、旅回りの津軽芸能の公演を幼い頃に鑑賞して強い感銘を受けたというエピソードがあった。「ほら、あれが日本一の三味線弾きだよ」と言われ指し示されたその弾き手の素晴らしさが今も根底にあるのだ、と。そして自身が舞踊に用いている津軽三味線は、その弾き手のものなのだ。かつて高橋竹山という名手があったが、と引きつつ、その弾き手は更に古い世代の人で、もっと速く弾く、それが自分の「じょんがら」にはピッタリなのだ、と。
その時は、具体的に誰という名は出されなかった。それが私にはどうしても気になったものだから、公演後、ギリヤークさんに直接訊ねてみた。「その弾き手は、ひょっとしたら白川軍八郎ですか?」と言うと、ギリヤークさんは「そう、よくわかったね!」と嬉しそうに仰った。「もう誰も知らない人だと思っていたから、まさか言い当てられるとは思わなかったよ。自分が子どもの頃に聴いたのがまさに白川軍八郎だった。三橋美智也の先生で、日劇で師弟協演の公演をやって…」云々。今でも青森で公演を行うと、年配の人からは「白川軍八郎だね」と指摘されることがあるという。昔の人はそれと聴いてまだ判るのだ。
私にとっては何と言っても空前絶後の津軽三味線奏者、白川軍八郎。そして、ギリヤーク尼ヶ崎が、かくも深い由緒から白川軍八郎の三味線を長年舞踊に用いてきたのだという事実に接し、この上ない感動を覚える。惹かれ合うべき者同士が自然に結びついた成り行きに相違あるまい。大道で歳月を重ね、荒々しく磨かれ続けたその芸の源流は、想像を遙かに超えて深い。

白川軍八郎については、2004年の当blogエントリー、津軽三味線(1)─白川軍八郎をご覧下さい。
 

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