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Sunday, November 15, 2009

ギーゼキングのベートーヴェン「皇帝」(1945年1月ステレオ録音)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73 『皇帝』
ヴァルター・ギーゼキング(Walter Gieseking/1895-1956,ピアノ)
アルトゥール・ローター(Artur Rother/1885-1972,指揮)
ベルリン帝国放送管弦楽団(盤中表記は Grosses Funkorchester)
1945年1月23日録音(STEREO)
米MUSIC&ARTS CD-1145


録音史上において最初期に属する、ステレオ方式で記録された音源。


ステレオ録音の実験としては、1930年代にベル研究所が着手したものや、1940年公開のディズニー映画「ファンタジア」における、特異なマルチトラック収録・再生の試みなどが挙げられる。
しかし、我々が現在オーディオで鑑賞出来る音源の中で、今日的な「ステレオ録音」の概念と一致する音響を実現したものとしては、ナチス政権下のドイツ帝国放送局がマグネトフォンを用いて行った、1944-45年の放送用音源をもって「史上初」と定義して良いのではないかと考える。


ここに復刻されたギーゼキングの独奏による協奏曲は、単なる実験記録としての意義にはとどまらない、驚くべき高いクオリティを示している。
元よりドイツで当時採用されていたマグネトフォン(テープ録音の原型)機器による録音は、録音の起源以来行われてきたレコード盤面へのダイレクト・カッティング方式とは異次元の明瞭な音質記録を実現していた。それに加えて、ここでは既に極めて高度な立体音響が成されている。
明瞭な音質と、ほぼ安定した定位、録音年代を伏せて聴いたなら、これが第二次大戦中、1945年の録音であると言い当てることは出来ないだろう。



個人的に、この音源と自ら出会う機会が今になったことを、遅過ぎたのか機が熟したのかよく分からずにいる。CD初出は今を遡ること15年以上も前だし、文献で読み知ったのも同じくらいの時期だ。しかし、何やら如何物食いめいた物々しさを感じたまま、ずっと接する機会も設けず時を過ごしてきた。
それが先般、偶々掲出のHMVサイトで「在庫あり」の状態となっていることが目に留まり、何となく興趣が昂じて発注した次第。MUSIC&ARTSというレーベルは供給が不安定で、一回あたりの生産ロットが払底したら、次はいつ入荷するか分からない。それもこの音源を長く逸してきた要因の一つだ。
手に入るうちに聴いておくのも悪くはないか、という程度の軽い気持ちで初対面と相成った訳である。


結果としては、あまりの素晴らしさに愕然とするばかりだった。間違いなく、一期に必ず出会っておくべき音源だった。
素晴らしい音質、そして、感動的な演奏!


音質については、先に触れた通り。異常とさえ言える質の高い記録だ。却ってあたら言葉を連ねないことを以って他に、その物凄まじさを強調する術は無いと感じる。実際に聴いて驚くのが、誰にとっても最上の喜びだろう。


そして、この演奏はどうだろうか。
従来個人的に、ギーゼキングというピアニストに対して関心を持たずにいたことを大いに悔いることとなった。
このピアニストは、現代的で万能な奏者としての側面ばかりが無闇と強調され過ぎなのではないか。こうして年代不相応の音質で接する演奏は、紛れも無く古き佳き時代の、極めて丹念な手工芸の姿を呈している。入魂の輝かしい音色が、豪壮な作品の楽想を否応なく昂ぶらせる。特筆すべきはアルトゥール・ローターの指揮による管弦楽で、単なる添え物どころの話ではない。行き届いた采配と、重厚でいてしなやかな音響、そして終始漲る緊張感は、何やら尋常ならざるものを感じさせる。


そうだ、この演奏は総じて尋常事ではない。時折混入する奇怪な重低音は、国防軍の高射砲なのだと言う。ドイツにとっては、時既に敗色明らかな大戦末期なのである。この録音の僅か3ヶ月後には、凄惨なベルリン市街戦の火蓋が切られるのだ。
言うなれば、これは破滅の瀬戸際に行われた記録だ。そして、人間は絶望的な危機に瀕してなお、かくも美しくあろうとするのだということを、接する者に思い知らせずにはいない。


私としては、とうに厭いてもはや進んで聴くこともなかった「皇帝」という作品だが、唯この音源一つを以って、かけがえの無い存在となった。
このような音楽は、求めてもそう多くあるものではない。
 
 

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Comments

はじめまして
いきなりで恐縮ですがこの演奏はもしかして第三楽章のあたま部分の録音がすこーし欠けてる演奏でしょうか。そうだとしたら確かにとんでもない名演だと思います。

Posted by: kaytii | Saturday, January 23, 2010 at 04:51 AM

>kaytiiさま

はじめまして。
お返事を半年以上も出来ずに申し訳ありません。実はこのエントリーの後、文中のM&AのCD現物が宅内で行方不明になってしまい確認が出来ませんでした。
やっと探し出して聴いていますが、仰る3楽章冒頭の欠落というのは私には判りませんでした。

同じCDでお聴きになっての現象ですか?

Posted by: Tando | Friday, October 01, 2010 at 08:04 PM

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