映画・テレビ

Saturday, December 19, 2009

トラップ一家物語~Trapp Family Story

NHK-BS2で先日まで再放送していた、「ハウス世界名作劇場」の「トラップ一家物語」(1991年本放送)。
私はリアルタイムで終盤を視聴し損なったままだったので、特に物語後半から録画していました。トラップ男爵がマリアさんに求婚するまでの辺りからです。いやあ、良かった。やっぱり名作劇場は素晴らしいっ!

それで、録り溜めていた最終回までの数話を見終えたところなのですが…、いやあ、泣きました。何処で泣いたかと言うと最終回、一家が住み慣れた家を秘密裏に去るシーン。気の好い料理人のローズィおばさんと子ども達の別れのシーン、うううう、ウルウル。そして古馴染みの、頼れるフランツさん。フランツさんは男爵が破産した時のお金のエピソードで既に私はだだ泣きだった訳ですが、このオーストリア脱出と告別の経緯にいたっては、もうたまりません。乗合バスでのトラップ男爵との別れのシーン、ああ、ダメだ、もうキー叩きながら思い出して涙腺が緩んできた。マリアさんが亡命の船上で何とは無しに歌い始める『別れ』(ムシデン)も心に迫ります。国外脱出を援けてくれた顔ぶれと共に、このよき人々に幸多かれと願わずにはいられませんでした。

さて、クリスマスを見据えた盛り上がりも正に酣、1枚のCDについて今回は書きます。

Christmas With the Trapp Family Singers~
「ひいらぎ飾ろう」「きよしこの夜」等のキャロルと、グレゴリオ聖歌、プレトリウス、バッハ、スウェーリンク、ヴィットリア、パレストリーナによるクリスマス・チャント集

The Trapp Family Singers(トラップ一家合唱団)
マリア・アウグスタ・フォン・トラップ
ウェルナー・フォン・トラップ
マリア・フランツィスカ・フォン・トラップ
ヘートヴィヒ・フォン・トラップ
アガーテ・フォン・トラップ
ヨハンネス・フォン・トラップ
エレオノーレ・フォン・トラップ

シャーリーン・ピーターソン
ハロルド・ピーターソン

フランツ・ヴァスナー(指揮)

1951-53年、Deutsche-Grammophonによる録音。時期的にはまだモノラル録音ですが、テープ機材に移行してからの収録でもあり、とても良好な音質です。リマスタリングが良いのか、適度な奥行きがあり、非常に聴きやすく感じられます。さすがは Deutsche-Grammophonの録音です。
時期的には、既にゲオルク・フォン・トラップ準男爵の没(1947年)後です。そして、ヨハンネス、エレオノーレの両氏が、トラップ艦長とマリアさんの間に生まれたお子さんです。指揮はこの合唱団結成の立役者、ヴァスナー神父が担っています。

さて、この音源なのですが、純粋な音楽CDとしての鑑賞に充分耐える、極めて優れたものです。むしろ、あまりに高尚な音楽が繰り広げられるので、名作劇場や映画『サウンド・オブ・ミュージック』のうきうきするような感動から手に取ると、却って戸惑いさえするのではないでしょうか?
私の場合が正にそれで、「さあ、届いた、どんな合唱なんだろうワクワク…」とプレーヤーにセットして、一曲目のプレトリウスが始まるや、「…え、え? こんなに素晴らしいんですか、何だかスミマセン…」と、思わず居住まいを正さずにはいられませんでした。
そもそも、プレトリウスやスウェーリンク、パレストリーナといった作曲家の名が並んでいる時点で、これが単に享楽的な意図から製作されたものではないことを察するべきでした。合唱団を指導したヴァスナー神父の高い識見に他ならぬことと思います。歌唱、アンサンブル自体も大変優秀であり、一機縁から歌の世界を生業と為すようになった家族のものとは、到底思われません。ヴァスナー神父はどのようにしてこの家族を導いたのでしょうか、本当にとてつもない人です。そして、キリスト者の信仰の篤さ、祈りの深遠さというものがここには満ち満ちています。

さまざまな形で生じた好奇心を満たしてくれるどころか、より一層の感動を与えてくれることは間違いありません。
賑やかで楽しいクリスマス・アルバムとは趣を異にしますが、「クリスマスって本来こういうものなんだよなあ」というところに立ち返らせてくれる、素晴らしい一枚だと思います。

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Sunday, March 08, 2009

「懺悔」「タブラ・ラサ」

もっと効率の良い記述方法に注ぐ努力の余地はあるが、順序を優先して書かせて頂きたい。

昨年夏に発売され、私を驚喜させたのがセルゲイ・パラジャーノフの監督作品「火の馬」DVDプレミアムエディション/デジタルリマスター版だった。

「ざくろの色」をはじめ、その後私をパラジャーノフの虜にした端緒がこの作品だったので、良質な形のサプライは本当に嬉しかった。そして、色々と特典映像を附随させた仕様となっている点も、この種の映画を嗜好する者としては有難いことだ。

複数の特典の中で、私が「はて」と首を傾げた映像がある。
それはテンギズ・アブラゼ監督の「懺悔」というグルジア映画のトレーラーで、英語字幕のみが附されている。
時間的には3-5分程だろうか?
過去と現在のソヴィエト地方都市と白日夢のようなイメージが錯綜する、強烈な印象を残すものだった。
しかし、より以上の情報が一切無い。近日DVDが出ると言うことなのか、それとも……?
ともあれ、機会があれば是非観たい映画として、脳裏の一隅に留め置かれた。

・・・・・・

先日、映画魔の妻が入会している京都シネマからの月報を、私が郵便受けから取り出した。
そうすると筆頭に「懺悔」上映情報が掲げられている。何という偶然!
「この映画はいつから上映が始まるの?」すがりつくようにして妻に訊いた。
私がシアターに足を運ぶことを億劫がるので、滅多に映画の話を持ち出さない妻だが、珍しく一声掛けようという心づもりでいてくれたらしい。
美味なるワイン、音楽、バレエ、ピロスマニの国、グルジア。
私が愛着を寄せるその国の映画ということで、空振りを承知で勧めるつもりだったそうだ。
夫婦の絆である。

岩波ホールを発信元として、全国で上映されるスケジュールらしい。
懺悔(1984)|ZAZIE FILMS

ああ、「懺悔」、遂に観ることが叶った。
滅多にシアターに足が向かない私の、その期待に違わない名作だった。

事後の感想として、ソヴィエト時代末期、体制とシンクロニシティを有しながらこの映画を観た人々は、さぞかし感動しただろうなあと思う。
皆が体験しながらも重く口を閉ざしてきた粛清の暗黒時代を、いざ、となってどのように振り返るのか、「懺悔」はそのアプローチの一つとして実に傑出した作品だった。
他方、この作品が時を得て世に出て、多くの観衆の絶大な支持を受けたのは僥倖(実際にその通りなのだ)で、同じように秀逸な企画が恐らく無数に葬られていったであろうことは想像に難くない。

何にせよ「雪どけ」期のソヴィエト社会は、追い掛けてみると面白い。
中世都市とまっすぐ一本に繋がったような生活風景と、最悪の統制社会に喘ぐ灰色の時代と、西欧の最新ヒットチャートから一年遅れくらいのポップカルチャーとが混在している世界。
配給元のサイトで配信されている予告編よりよりは、「火の馬」DVD付属のトレーラーの方が遙かに的確に、キャッチーに作品の美しさを凝縮しているのがもどかしいが……、とにかく多くの方にご覧頂きたい作品だ。

・・・・・・

そこで、アルヴォ・ペルトの「タブラ・ラサ」に話は繋がるのである。

この映画の中盤、とりわけ重く哀しいシーンに、静謐で美しい音楽が寄り添う。
「これはペルトの『タブラ・ラサ』じゃないか」と思いながら観ていたら、沈鐘のようなプリペアド・ピアノの音が入ったので間違いないと確信した。
1984年のソヴィエト映画で、「既に」ペルトの「タブラ・ラサ」が用いられている。驚愕した。
これは一体何処から持ってきた音源なのだろう。
まさかECMの音盤だというのか?
帰宅して音盤を手に取る。
"1984 ECM Records"とクレジットがある。そうだよな、発売時期と前後するよな、と思いながら収録年月日を確認して今一度驚愕した。「タブラ・ラサ」は1977年、ボン/ケルン西ドイツ放送によるライヴ・レコーディングとある。
そうか、1984年の「懺悔」制作時、既にECM盤収録の「タブラ・ラサ」は数年の時を経た音楽だったのだ。
ちなみに、同時期においてアルヴォ・ペルトは日本において未だ知る人ぞ知る音楽家である。
……だとすれば、「タブラ・ラサ」は一体、当初はどういう形態で、どの経済圏に供給されたのか?
思えば、アルフレード・シュニトケがプリペアード・ピアノを弾いているのも妙だ。
この人も自作自演が幾つかあるが、積極的にパフォーマンスを行う作曲家というイメージはない。
それが、他作の演奏に参加するとはどういうことだろう?
ペルトの人徳なのか、それとも、1977年のボンでのライヴは、それだけ歴史的な機会だったのか?
これは、今後の探求課題としよう。

・・・・・・

タブラ・ラサ──この音楽を如何に語ろう?

光 闇
陽光 陰影
水脈 流水 水滴
乳白 青白 純白 空白

至純

静謐

普段から「銀璧亭」にご来訪頂いている方には、私がお勧めするまでもないことは百も承知のこと。
あなた方には、改めて深謝と親愛の念を。

そして、何かの偶然でこの長文を読んで下さった貴方に、私は語りかけたい。
私は、私個人の使命で10枚のCDを世に遺す使命を附されたのならば、この一枚は必ず手に取るだろう。
どうか、少しでも多くの方にペルトを知って欲しい。
どんなジャンルの音楽を聴く人でも構わない。
時代が病んでいる今、このCDに収録されている音響は、静かに貴方に寄り添うだろう。あるいは、やわらかに包み込むことだろう。

とりとめもないようでいながら、日常は連鎖している。

セルゲイ・パラジャーノフ。
テンゲズ・アブラゼ。
アルヴォ・ペルト。

・・・・・・そして・・・・・・?
 

 
 

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Friday, December 31, 2004

今年を振り返って

8月末に開始したこの「銀璧亭」、ご来訪下さる皆様のお陰をもちまして、ウェブログとしての体裁を保ちつつ、年越しを迎える事が出来ました。
このスペースを通じて、様々な御縁に与ったのは無上の喜びです。このウェブログをブックマーク頂き、常々ご来訪下さっている方、拙い記事に嬉しいコメントを下さった方、相互リンクを御寛容下さった方…。
皆様に、心の底から感謝致します。
本当にありがとうございました。

さて、ウェブログで迎える初の大晦日と言う事で、もう1本だけ本年の総括的な記事を書いてみます。備忘録…と言うよりは、思い付くままに連ねるだけですが(^^;

<今年印象に残ったCD>

◆バッハ:平均律クラヴィーア組曲/リヒテル(p,1973年インスブルック・ライヴ)
版権のグレー・ゾーンを擦り抜けて(?)、中国限定で再発された(中国POLOARTS/CL4B-86080-2)「幻の名演」。日本への正規輸入ルートが存在しなかったこのCD、中国にお住まいの畏友、2号機様のご厚意で入手が叶いました。深沈たる名演奏です。
◆Nuestro Flamenco 2(ヌエストロ・フラメンコ/Vol.2)
RTVE(スペイン国立放送)のVTR音源のCD化第2弾。録音嫌いの伝説的トカオール(フラメンコ・ギタリスト)、ディエゴ・デル・ガストール(Diego de El Gastor,1908-1973)によるソロ演奏を初めて聴いた。僅か20分程の音源、でも、かつてないインパクト。これまで積み重ねてきた価値観が根底から覆った!
◆マリヤ・ユーディナのスクリャービン
正規発売の音源ではありません。Webを通じての御縁から何かとご厚誼に与っている、さるお方にお譲り頂きました。事の性質上詳しく書けないのが残念ですが、聴く者を魔境に引き込むような恐るべき演奏。正規発売を望みます。ご厚意への尽きない感謝と共に挙げる次第です。

<今年印象に残ったかわいいもの>

◆キユーピー
たぶん来年末にも挙がると思うな(笑)
今年も色々楽しませてくれました。「3分劇場」然り、「たらこキユーピー」然り。
でも、今の印象を支配しているのは、「3分クッキング」お正月メニュー特集。画面後方の木製テレビ枠(?)の中で凧揚げしているキユーピーちゃん…かわいい!
◆野生パンダの赤ちゃん
NHKの特集番組「岩合光昭、野生のパンダを撮る!」より。
ご覧になった方も多いでしょうか…?
問題は最初のアプローチの場面。崖の下を見下ろすと、茂みの狭間、朽ち葉の上に、白いマクラないしモチ状の「フカフカした物体」が小さく見えます。まさかと思ったら、それがパンダの赤ちゃん…思わず顔が緩んでしまいました(*^^*)

<今年よく効いた薬>

◆吸出し青膏(たこの吸出し)
今年のMVP薬品(なにそれ)は、何と言っても「たこの吸い出し」
言わば古典的常備薬ですが、時代は変わっても病気の本質は変わりません。現代人にもちゃんと効く妙薬、むしろ今、ニーズは高まっているのでは…?
発売元の町田製薬さま、僭越ながら宣伝攻勢を強化しては如何かと存じます。

<今年凄いと思った言い訳>

◆「客観的に事実なんだろうと思う」(橋本龍太郎元総理/一億円ヤミ献金疑惑への釈明コメント)
「記憶にございません」に続く、政界発の「名言い訳」がまた生まれました。いや、皮肉でも何でもなく、こんな繰り言が出てくる発想力・自己保身センスは凄いと思いますよ。
アニメ「機動戦士Zガンダム」に、パプテマス・シロッコと云う、舌を噛みそうな名前の悪漢が登場します。戦争の重大局面での日和見を上官に咎められた際、彼はこう切り返しました。

「心苦しく思っております。ジュピトリス(彼の指揮艦)が好きに動いてくれませんでした。

うーん、これも絶妙な言い回し。
「好きに動いてくれませんでした」を「アニメ発」の「名言い訳」として加える事で、「記憶にございません」ともども、人生に役立つ3大言い訳として長く銘じたいと思います。

<今年悲しかった事>

マンションに居着いていた猫が、11月に交通事故死しました。人なつっこいけど、何処か分限を心得た所があって、そこが好きでした。
大分時間が経ってから知りましたが、本当に悲しかった。まだ悲しい。
付かず離れず、の間柄だったけど、感情移入していたんだな…と実感します。

<今年嬉しかった事>

色々あります…。結構今年は多難な一年でした。
でも、父と祖母とが相次いで逝去し、母が交通事故に遭った一昨年を思えば、大抵の苦難は乗り越えられるように思ってますし、今年もまたそうしてきたつもりです。

日頃の交友でかけて頂く様々なご厚意。
探していたCDを、出先の中古屋で思いがけず発見した瞬間。
聴きたかった音源が翌月CDになる…と聞けば、その時までは絶対に生きていようと思います。
そんな事を積み重ねながら、自分の人生は絶えず進み続けます。ボートを漕ぐように、過ぎたものしか確かめる事は出来ないけれど、前へ、前へと。


2004年も残り少ないですが、どうにか乗り切って参りました。
来る年がどうか、一層実り多き一年となりますように。


そうそう、大晦日と言う事で今日限りのネタを一つ。
日本のトイレには古来より「加牟波理入道」(カンバリニュウドウ)と云う神様がおわします。大晦日の晩にトイレで一人(普通は一人で入りますよね?!)、「カンバリニュウドウ、ホトトギス」と声に出して言うと、翌一年はトイレで妖怪を見ないで済むそうです。

これで人里離れた民宿も、サイコ・ホラーの話題作も恐るるに足りませんね!
お試しあれ。

それでは皆様、よき新年を…。
 
 

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Wednesday, December 01, 2004

ジョルジュ・ドン十三回忌に寄せて

1992年11日30日にジョルジュ・ドンが亡くなってから、昨日で丁度12年が経った。我々の流儀で言うならば、十三回忌である。
私がジョルジュ・ドンという舞踊家の存在を初めて認識したのは、中学1年生の時だ。
彼はクロード・ルルーシュの映画「愛と哀しみのボレロ」に、ソ連の舞踊家セルゲイ・イトヴィッチ(モデルはルドルフ・ヌレエフとの事だ)役で出演している。
そのTV放映を観たのだ。
フランス、ロシア、ドイツ、アメリカ─各々の国で数世代に渡って繰り広げられる群像劇。その綾は、年端もいかぬ私にとっては複雑に過ぎた。

けれども私は、録画したビデオを幾度と無く繰り返し、観た。
劇中でジョルジュ・ドンがベジャールの振付で踊るラヴェルの「ボレロ」、それを観たい一心で。
たとえ作品本編の印象が薄れようとも、ジョルジュ・ドン渾身の舞踊が誘った、あのクライマックスだけは終生忘れる事は無いだろう。そう思いながら、何度も観た。

それから程なく、ジョルジュ・ドンは来日した。やはりベジャールの手になる演目「ニジンスキー/神の道化」の公演の為だ。
来日に併せてジョルジュ・ドンは、「美の造化」と題されたNHKの特集番組に出演した。番組では京都でのインタビューに交え、「ボレロ」を含む代表的な演目、そして「神の道化」の全編が放送された。
ルルーシュの映画では、分断、そしてカットが施されていた「ボレロ」。「美の造化」によって、私は漸く全編を観る事が叶ったのだ。映画での印象が如何に素晴らしくはあっても、終始一貫した様態に接すること無くして、その真価は伝わりようもない。
暗黒の中、交錯するスポット・ライトに照らし出される、ジョルジュ・ドンの肉体。
静かに張りつめたモーションの一つ一つを、ただ固唾を呑んで私は見守っていた。
楽曲が、そして舞踊が高潮するに連れて、同種の芸術からはかつて経験した事のない強烈なカタルシスに導かれていった。

「神の道化」の来日公演は、私が住む街でも催された。
私は、それを事前に知っていたのである。
だが、未知の芸術境に対して尻込みしたものか、実際に足を運ぶ事は無かった。
TV放映で「神の道化」を観た時の感想は、今以て名状し難い。ただ言えるのは、これほどスピリチュアルな舞台芸術は、おおよそ存在し得ないのではないか、と云う事だ。もはや、素晴らしいと言うよりも、危うかった。
ジョルジュ・ドンは、ニジンスキーを感じ、演じるがままに、踏み込んではならない領域に踏み込んでしまったのではないか。
無類の感動と共に、得体の知れぬ恐ろしさをも感じた。

ジョルジュ・ドンがエイズで逝去したのは、翌年の事だ。辛うじて写真は添えられていたが、その記事スペースたるや申し訳程度のもので、折が悪ければ見落としていたかもしれない。その時点では、病名については伏せられていた筈だ。

だが、突然の逝去も、後に知ったその病名についても、私はごく冷静に受け止めていた。何らの意外性を感じる事もなく、全てが順当に繋がっていったのだ。
先述の「美の造化」でインタビューに答えるジョルジュ・ドン、舞台と違ってノーメイクのその素顔は、驚く程に生気を欠いていた。
既に彼は死病に蝕まれていたのであり、それを私も無意識のうちに感知していたのだと思う。

ともあれ、私はジョルジュ・ドンの舞台に接する、たった1度のチャンスを永遠に逸してしまった。

ジョルジュ・ドンが踊る「ボレロ」、映画では男女のヴォカリーズが附随した演奏を用いているが、これは普段の上演とは異なった音源だ。彼が「ボレロ」の上演に用いていたのは、ジャン・マルティノン指揮/パリ管弦楽団による演奏である。

この演奏は本当に素晴らしい。世に称揚されている「ボレロ」の名盤として、アンドレ・クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団による演奏が在るが、私は絶対的にマルティノンに左袒する。
エスプリに溢れるクリュイタンスの演奏は、言うならば熟したオレンジだ。爽やかな芳香と、甘さ。対するマルティノンの演奏は、レモンである。甘美では無いが、その酸味は心地よい。絞られた時に放つ芳香は、オレンジに倍して爽快だ。
クレッシェンドに伴われ、血と汗の滾りの中でクライマックスを迎えるジョルジュ・ドンのボレロ。マルティノンの演奏は、これ以上無い程に似つかわしい。

私はマルティノンの「ボレロ」を、何らの予備知識も無く手に入れた。だが、繰り返し聴くに連れて、ジョルジュ・ドンの舞台姿が脳裏に浮かび、大いに戸惑った。
先述の如き事実を知り得たのは更に後、全くの偶然を介してである。
マルティノンのボレロはジョルジュ・ドンのボレロとなり、私にとってはかけがえの無い演奏となった。

もはやジョルジュ・ドンの舞台姿を目の当たりにする事は叶わない。しかし、マルティノンの演奏を聴いている時、私は確かにジョルジュ・ドンの舞台姿を追体験しているのである。
 
 
関連記事>>ニジンスキーのオーケストラ
 
 

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Sunday, October 17, 2004

コルト マルテーズ(Corto Maltese)

先日の記事「隻眼のマッド・バロン」にて触れたフランスのアニメーション映画、「コルト マルテーズ/Corto Maltese」、とうとう購入してしまいました!

maltese.JPG


ろくろく商品説明も得られないまま購入に踏み切ったのですが、ちゃんと日本語吹き替え音声も付属していて、感心することしきり。
でも、どこをどう検索しても、吹き替えキャストの情報には逢着しないので、本体記載のクレジットを抜き出しておきましょう。

コルト・マルテーズ:堀内賢雄
ラスプーチン:菅生隆之
公爵夫人マリーナ・セミノワ:田中敦子
上海リー:山田里奈

どちらかと言うと、洋画吹き替えに近いスタンスでのキャスティングですね。吹き替え版は未だ全編を観ていないのですが、オリジナルに比べると若干印象が異なるようにも感じます。

さて、全体の感想です。

正直なところ、過剰な期待は禁物、という腹づもりで観始めたものの、なかなかの佳作だと思います。始終抽象的なダイアログに振り回される、くらいの覚悟はしていたのですが、しっかりとストーリーに引き込むだけの力は持っている作品です。詰め込みすぎ、という印象もあまりありませんでした。

しかしながら、確かに物足りなさは残ります。
これは、原作コミックの雰囲気に従順な翻案であるが故に生じた問題なのでは無いか、とわたくしは感じました。
最終的に複数のキャラクターの独白を用いて、ストーリーを補足している要素があるのですが、個人的にさほどの不快感は覚えません。
同時に、この場合に於ける、コミックスとアニメーションという二つの形態の齟齬を示している方法だとも言えます。
ラストシーンで語られた物語の結末が、さほど心に残らないのも、恐らくプロットの限界に因るものではありません。登場人物とその命題との結びつきが、切実さを欠いたままに描写されているからです。
コミックスでは可能な補完的受容も、リアルタイム進行のアニメーション作品で成立させることは難しい、ということを痛感した次第です。

でも、わたくしはこの作品に対する好悪を訊かれたならば、迷わず「好きだ」と答えることでしょう。
作品世界を覆う物憂い雰囲気は、決して付け焼き刃では生まれ得ないものです。わたくし個人の嗜好も関係しているとは思いますが、やはり抗い難い魅力を感じてしまいます。
後先が在るともつかない、鉄路の行く末にその身を委ねる公爵夫人、そしてキャラクターデザインを難じたくなるような、上海リーでさえも、作中にあっては美しいのです。

ただ、公爵夫人の退場の仕方、これはわたくしが抱いた最大の不満点と言えます。こんなにも魅力的なキャラクターを、あのように扱ってしまう神経、少なからず疑いたくもなるというものです。
勿体無いこと、この上ないです。わたくし、怒ってます。

…と、ぼやいてしまう程、公爵夫人は印象的かつ魅力的なキャラクターでした。
作中、蓄音機から流れるチャイコフスキーの「花のワルツ」、年代と照合して誰の演奏なのかを妄想するのも、また楽しです。

さて、本件の発端とも言えるウンゲルン男爵、後半にちゃんと登場しました。冷酷さを伺わせる描写はあるものの、その前に登場したセミョーノフがさんざん暴れ回ったこともあり、期待を裏切る(?)まともな描写に止まっています(^^;
それでも、ようやく目の当たりにすることが適ったキャラクタライズは、なかなかに格好良いもので、一応の満足は得ることが出来ました。
それと、僭越ながらも、過日の記事で連ねた男爵の略伝を留め置いて下さると、作品への理解の一助となるかと存じます。そういう描写が、登場するのです。
 
でも、ウンゲルン男爵が伝奇的に描かれる余地は、まだまだ残されていそうですね。 
次なる活躍の舞台(?)を用意するのは、またも欧州圏なのでしょうか、それとも…?
 
 

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Monday, October 11, 2004

隻眼のマッド・バロン

ロマン=ニコラウス・フョードロヴィッチ・フォン=ウンゲルン=シュテルンベルグ男爵(Baron Roman Nikolaus Feodorovitch von Ungern-Sternberg/1885-1921)という、帝政ロシア末期の軍人があります。
これが、混迷を極めたロシア革命史の中にあって、一際異彩を放つ怪人物なのです。
わたくしは、岩波文庫の「トゥバ紀行」(メンヒェン=ヘルフェン/田中克彦訳)によって、初めてウンゲルン男爵の存在を知りました。
本文と注釈中の決して多くはない記述を総合しても、現代史離れした無軌道な生き様が垣間見えて、関心は尽きません。

ウンゲルン男爵は1885年、エストニアに生まれました。自身が語るところによれば、その家系は12世紀にロシアに侵攻したドイツ騎士団に起源を持ち、さらに匈奴の血をも引いているということです。
ロシア革命の混乱期、男爵は当初シベリアで白軍の部隊を指揮していました。しかし、赤軍に追われたことでモンゴルのクーロン(庫倫/現ウランバートル)へと転進します。そこで男爵は、モンゴル在来の中国人を放逐して、反革命の拠点、ひいては自らの帝国を興すことを画策するのです。寄せ集めの部隊1000人(2000人とも)を率いた男爵は勝敗を繰り返しながら、遂にはクーロン攻略に成功しました。モンゴル人は当初、長く続いた中国人支配からの解放者として、男爵を大歓迎したといいます。
しかし男爵の統治は残虐極まりないもので、程なく完全に人心を失うことに。やがて侵攻してきた赤軍との戦いに度重ねて敗れ、1921年、護送先のノヴォシビルスクで銃殺されました。

日本語で男爵の名を目にする機会というのは、専らモンゴル史に関する文献が中心です。「隻眼のマッド・バロン」という異名で呼ばれていたとか、その部隊には100人にものぼる日本人が参加しており、「日の丸大隊」と称していた─など、断片的な情報は見出せても、まとまった伝記に逢着することはありません。
海外サイトで発見した肖像は、エピソードに違わぬ悪相ぶりを呈しています。何やら風格すら漂わせているではありませんか。

ungern.jpg

なお、モンゴルにおける男爵の活動と人となりを諸外国に知らしめたのが、ポーランド出身の探検家、フェルディナンド・オッセンドフスキ(またはオッセンドウスキ/1876-1944/Ferdinand Ossendowski)です。
彼はロシア革命からの亡命の途上、ウンゲルン男爵の知遇を得て、一時期をその帷幕で過ごしています。
オッセンドフスキの記述によると、男爵はオカルトにのめりこんだ半狂人で、殺した人間の生き血を飲んだりしていたとか。西欧では未だにこのイメージが定着しているようで、ルーマニアの「串刺し公」ヴラド・ツェペシュや、ハンガリーの「血の伯爵夫人」エリザベート・バートリーと並んで、実在人鬼の系譜に加えられることも少なくありません。
しかし、「トゥバ紀行」のメンヒェン・ヘルフェンは同著の中で、それら全てが虚構であることを喝破しています。そもそもオッセンドフスキ自身が、地底王国の存在をレポートするなど、胡散臭さ溢れる人物なのですが…。
ともあれ、ウンゲルン男爵が常軌を逸した残虐性の持ち主であったことは確かなようです。


さて、ウンゲルン男爵、ごく最近になって知ったのですが、フランスのアニメーション映画に登場しているらしいのです。

その作品はコルト マルテーズ(Corto Maltese)
ユーゴ・プラット(Hugo Pratt/1927-1995)原作の大ヒットコミック(フランスではバンド・デシネ-Bande Dessineeと呼ぶ)のアニメーション化で、今年の前半に日本でも配給されたとのこと。寡聞にして知りませんでした。
詳しくは前掲サイトをご覧頂きたいのですが、とにかくこの作品、一度観たくてたまらない! 
舞台設定、登場人物、キャラクターの造形、見れば見る程、個人的なツボを押さえ切った雰囲気を漂わせているのですよ~o(>_<)o

DVDが国内発売されているとのことなので、購入を真剣に検討しているところです。

スタッフに目を移して気付いたのですが、マリー・トランティニャンが声優として出演しているのですね。
この人の最期は、本当に気の毒なものでした。
胸が痛みます。


続編記事>>コルト マルテーズ(Corto Maltese)
 
 

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Wednesday, October 06, 2004

ジャン・ヴィエネ(ヴィーネ)の即興演奏

一年越しで探し続けていたCDが、とうとう手に入りました。Amazon.comで3回発注をかけた挙げ句、入荷しないまま「在庫切れ」扱いになってしまった因縁の一枚なのです。

事の発端は、サティでした。
チッコリーニによる旧全集と並んで、最も早い時期にサティのピアノ作品全集を完成させたピアニストが、ジャン=ジョエル・バルビエ(Jean-Joël Barbier/1920-1994)です。
今以て名盤として高く評価されている同全集ですが、4手作品のセカンド・パートを受け持っている人、これが実は見落とせません。
その人の名はジャン・ヴィエネ(Jean Wiener/1896-1982/『ヴィーネ』『ウィエネ』『ヴィエネル』とも)。画家のブランクーシ、指揮者のロジェ・デゾミエール、作曲家のロベール・カビーらと共に、サティの臨終に侍した一人なのです。
そのような由緒を知ってからというもの、ヴィエネに対する関心は俄然高まりました。他に録音は存在しないのか、また作曲家でもあったということで、どのような作品を書いているのか、などなど。
調べているうちに、更に驚くべき(あくまでわたくし個人にとって、ですが)事実を知ることとなりました。
ヴィエネは1930年代から数々の映画音楽を手掛けたということなのですが、その名は知らずとも、一度ならず目にした作品が多数含まれているのです。

goo 映画─Jean Wiener(ジャン・ヴィーネ)


とりわけジュリアン・デュヴィヴィエとの共同作業が多く、古くは「白き処女地」「商船テナシチー」、戦後の「巴里の空の下セーヌは流れる」「殺意の瞬間」、その他にはジャック・ベッケルの「現金に手を出すな」など、枚挙に暇がありません。
驚きました。全然意識せずに観てました…うーむ…。

さて、そのような発見を伴いつつ逢着した音源が、本日届いた一枚のCDなのです。

Jean Wiener/Piano Improvisation


Amazonで在庫切れになってしまったため、その後長らく入手の方法が閉ざされていたのですが、先日HMVでアーティスト名ではなくレーベル名から検索したところ、商品リストに掲載されているではありませんか。
慌てて発注してみれば、ものの一週間も経たないうちに入荷。折良く在庫が有ったのでしょうか、嬉しいことです。

待望久しかっただけに、寄せる期待も相当に膨らんでいました。そして実際の音楽は、予想を遙かに上回る素晴らしさです!
音質こそまちまち(年代の古い音源は些か聴き辛いかもしれません)ではあるものの、早くもマイ・フェイヴァリットです。エヴァー・グリーンです。

タイトルにもあるように、このアルバムに収録されているのは全て、ヴィエネによるピアノの即興演奏です。ラジオ・フランスの番組、"Et bonjour chez vous"(こんにちは、みなさん)中で披露された、1950年から1964年までの放送録音が集められています。
大半が"Et bonjour tout le monde"(こんにちは、世界のみなさん)という同一タイトルのものですが、そのスタイルは実に多様です。

リュリやクープランを思わせる演奏がある一方で、1920年代のチャールストンやフォックス・トロット風のもの、更に下って、よりモダンなスウィングを踏襲した演奏に至るまで、聴く者を厭かせることがありません。
とにかく、ヴィエネの音楽はセンスが良い!
クラヴサンをフィーチャーした「J.S.バッハの様式による即興演奏」の擬古的かつ新鮮な美しさは、自由な創意あって初めて生まれたものでしょう。更には「ジェルメーヌ・タイユフュールのスロー・ダンスによる即興演奏」に聴かれるエスプリ、11分にも及ぶ「アメリカの歌による即興演奏」の、洗練されていながらも訴求力に溢れる音楽、その音楽的土壌は、驚くべき拡がりを見せます。

才覚ある音楽家から如何にして作品が生まれるのか、その瞬間を捉えたこれらの記録は、まるで錬金術の秘法を目の当たりにするようです。ラジオ・フランスには一体どの程度録音が保存されているのかわかりませんが、残っているものは片っ端から復刻して欲しいと願ってやみません。

関心をお持ちになられた方には、是非ともお聴き頂きたい一枚です。
 
続編記事>>ジャン・ヴィエネふたたび
 
 

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Friday, September 24, 2004

ヴィラ=ロボス、ヴィーヴァ!(その2)

オードリー・ヘップバーンが1959年に主演した「緑の館」(Green Mansions)という映画があります。共演はアンソニー・パーキンス、そして監督は当時の夫、メル・ファーラーです。かの早川雪洲が出演しているのも、我々日本人としては見落とせない要素と言えるでしょう。

わたくしは実際に観ていないので、内容について云々することは出来ないのですが、調べていると、作品そのものに対する好意的な評はあまり見受けられません。ヘップバーンの主演作品の中では、かなり地味な存在となっているように感じられます。

しかしながら、この作品の音楽を担当したのが、他ならぬヴィラ=ロボスなのです。
彼による映画音楽は、2作品存在します。
一つはブラジルの映画監督、ウンベルト・マウーロ(Humberto Mauro/1897-1983)による、「ブラジル発見」(O Descobrimento do Brasil/1937)という映画の附随音楽です。後にヴィラ=ロボスは映画版のスコアを演奏会用に改訂、そのままの題名で4編の連作組曲集として発表しました。こちらは前回記事でご紹介した6枚組のCDで、自作自演を聴くことが出来ます。
そして、もう一作品が先述「緑の館」の附随音楽です。
1959年に公開された同作品の興行成績と評判は、実際のところ芳しくはありませんでした。その結果に落胆したヴィラ=ロボスは、自らの作品を救済するべく、これらの音楽についても「ブラジル発見」同様、演奏会用に改訂を施します。大幅に編成を拡大した上で、1959年の7月12日、ニューヨークにて初演されたのが、合唱とソプラノ・ソロを伴った組曲「アマゾンの森」(Floresta do Amazonas)なのです。

ヴィラ=ロボスは並はずれた多作家だったこともあり、作品の全貌は未だ完全に整理されていません。実際、いつ頃まで創作活動が続けられていたのか判然としないのですが、ヴィラ=ロボスがリオ=デ=ジャネイロで亡くなったのが1959年の11月17日、「アマゾンの森」初演から僅かに4ヶ月後なので、遺作という位置付けに限りなく近い創作と考えられるでしょう。まして、大編成の作品ともなれば尚更です。

そしてこの「アマゾンの森」、ヴィラ=ロボスによる自作自演録音が残されています。
CDはEMI CLASSICS から"INSPIRATION BRAZIL"というタイトルを付された上で、
"HEITOR VILLA-LOBOS/FOREST OF THE AMAZON" (7243-5-65880-2-8)として1996年に発売されました。
いつものように通販サイトの在庫ページへのリンクを記載したいのですが、残念なことに、日本国内では発見することが出来ませんでした。廃盤なのかどうかは判然としないので、お探しの際にはクラシック輸入CDを取り扱っている店舗にて問い合わせてみては如何でしょうか。
CDに録音年月日の記載がないので、初演と録音とのどちらが先行したのかまでは不明確です。ただ、収録場所は初演時と同様にManhattan Towers Hotelと記載されているので、さほどの隔たりは無いものと見なしてよいでしょう。

管弦楽はシンフォニー・オブ・ジ・エアー(NBC交響楽団がトスカニーニの引退後に改称した団体)、ソプラノ・ソロはブラジルが生んだ往年の名歌手、ビドゥ・サヤーン(サヤーオ/Bidú Sayão/1902-1999)が担当しています。サヤーンは1958年に引退公演を行っているので、このセッションはその後に残された録音ということになります。そして、シンフォニー・オブ・ジ・エアーは資金難から、4年後の1963年に解散してしまいました。ヴィラ=ロボスに至っては、ほぼ間違いなく生涯最後のレコーディングでしょう。様々な意味での感慨を禁じ得ないところです。
モノラル期に主たる録音歴をほぼ終えてしまった、これら三者の顔合わせでありながら、ステレオ技術で録音されている点でも貴重極まりないと言えます。

聴いていてまず感じるのが、シンフォニー・オブ・ジ・エアーの並はずれた巧さ。さすがトスカニーニによって研ぎ澄まされた名手集団、随所に演奏困難なパッセージが鏤められたスコアに対して、完璧に対応しています。ステレオ録音だからこそ、その美質もより鮮明に窺い知ることが出来るというもので、音場の豊饒であることと言ったら、トスカニーニ時代、8Hスタジオで収録された録音群を思うと夢のよう。それだけでもわたくしは泣きたくなってきます。
サヤーンのソロについては、盛時を過ぎていることもあってか、些か時代がかった印象は否めません。しばしば単独でも取り上げられる「愛の歌」など、もう少し柔軟・繊細であっても良いような気もするのですが…。
その一方で、おおらかな歌唱が音楽を一段と雄大なものにしているのも事実、総じて作品に相応しい、胸を打つパフォーマンスだと思います。
そして、鮮明な録音を介して接するヴィラ=ロボスの指揮は、想像以上に細やかです。管弦楽の技量も手伝ってか、意図されたものが演奏の隅々まで浸透しています。
死の直前とも言える時期のセッションながら、持ち前のバイタリティが極限まで発揮されている点、ひたすら感動的としか言いようがありません。

全曲中で最もセンチメンタルな美しさを誇る「愛の歌」の旋律は、終曲でもう一度、ヴォカリーズによって歌われます。あざとい音楽と映ってしまえば仕方ないことなのですが、わたくしは過剰な感情移入のせいでしょうか、何度聴いても直截に泣けてしまいます。
サヤーンの声量の衰えが、ここでは却って渾身の絶唱を生みました。
そしてヴィラ=ロボス率いる管弦楽は、巨大な波形を描きながら、大河アマゾンとシンクロして、やがて地平の彼方へ消えてゆくかのようです。

これが音楽家・演奏家としての「遺言」であると思えば、ああ、ヴィラ=ロボス、あまりにもカッコ良すぎるではありませんか!
 

続編記事>>ヴィラ=ロボス、ヴィーヴァ!(その3)
 
 

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Tuesday, September 21, 2004

DARK WAS THE NIGHT─COLD WAS THE GROUND

ヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」(PARIS,TEXAS/1984)を観ました。何年ぶりになるでしょうか。
顧みないままに、思いがけず長い時間を過ごしていたようです。
「好きな映画だ」と、かつて人に語ったことがある作品なのだけれど、何故好きなのか、それは伝えていなかったような気がする。ただ、「いい映画だよ」とだけ言ったのかな?

先日、深夜放送で流れていたのを思いがけず途中から観て、その時は、途中で止めました。
たしかに見覚えのある場面がテレビに映し出されている。何が起きているのか、そしてこれから何が起こるのか、自分は知っている。場面と、交わされる言葉とをなぞることで、いつしか記憶を遡りつつある自分が在ります。
やがて、何も取り戻せないまま、物語が自ら語り始めたことを悟り、そこでテレビの電源を落としました。
少し時間を措いて、より具に記憶を探り始める。あんなにも心に残った映画のことが、思い出せません。試みに作品レビューを幾つか読んでもみましたが、自分が受けた感動に立ち戻る糸口は、探し出せないまま。

そして、目の前で何年も置き去りにしていたビデオテープを手許に引き寄せ、今一度作品と向き合う機会を設けました。此処に至って、漸く。
個別に記憶していた場面が、決して多くはない言葉の印象が、次第に有機的な結合を取り戻し始めます。彷徨、家族の絆、愛と齟齬 ─ 掬い上げたままに乾いてしまったエレメントが、また作品の中へと帰ってゆきます。
かつての感動を言葉に表すことが出来ず、遂には思い出すことさえ出来なくなったのは何故か。それが解った時には、より以前の自分に立ち戻って、物語と再会を果たしていました。
今なら、感動の仔細を言葉に換えることも不可能ではありません。でも、敢えてそれをしようという気にならないのは、実際の感触を差し措いて言葉を連ねても、それはまたすぐに乾いてしまうからです。

この作品には、再会した男女がハーフ・ミラーを隔てて言葉を交わす場面があります。一方には一方の姿が見えていて、もう一方からはそれが叶わない。あまりにも象徴的と言える状況設定ですが、初めて観た時には既に、どこか一片で自分と重なるものを感じていたように思います。
時間を積み重ねることで、接点は想像以上に大きくなっていました。その大きさを量りかねた焦り故に、先日の放送では、途中から正視出来なくなったのかも知れません。
 
作品全体の心音のように響く、ライ・クーダーによるスライド・ギターは、サントラ盤を通じて聴いていた時よりもずっと、心の深い処へと沁みました。
そして、映画が終わったら、改めて聴こうと思っていた音楽があります。この記事のタイトルでもある、
"DARK WAS THE NIGHT─COLD WAS THE GROUND"(夜は暗く、地は冷たく)
という曲が、それです。
作品の中でライ・クーダーが奏でている同曲は、もともとブラインド・ウィリー・ジョンスン(Blind Willie Johnson 1902/3-1947)というゴスペル・シンガーが1927年に吹き込んだレコードによるもの。オリジナルの姿には、ジョンスン自身が極めつきのような濁声で歌う、ハミングが附随しています。
歌詞もなく、ただ声とスライド・ギターとで紡がれるキリスト磔刑への挽歌、ジョンスンが遺した30面ほどの全録音の中でも、一際異彩を放つ感動的なテイクです。

映画を観て暫く経った後に、サントラ盤を見つけて、更に時間が過ぎて、ブラインド・ウィリー・ジョンスンの録音に逢着。全てが偶然と共にあった出逢いです。
自分にとっての容れ物を度々変えながら、「パリ、テキサス」はその中でいつも息づいている筈でした。
でも、いつしか容れ物の触感だけに安住するようになり、それに気付かないまま時間を過ごしていたようです。

思いがけず辿り始めた心の軌跡は、まだブラインド・ウィリー・ジョンスンの歌へは戻っていません。点と点は繋がらず、前もって望んでいた予定調和は拒絶されたまま。

作品と自分とが二重露光のようになった今、フレームの中には、重なる被写体と、重ならない被写体とが混在しています。
その奇妙な調和と混乱を見つめつつ、また新たに動き始めた秒針の音を拾おうとしているところです。
 
 
 

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Wednesday, August 25, 2004

第1回です

皆様、はじめまして。Tandoと申します。
音楽関連の話題を中心に扱う目的で、当ブログをこの度立ち上げました。
日頃聴くジャンルはクラシックを中心に、フラメンコ、民族音楽、また、ロックもブルーズも、ジャズもシャンソンも(このあたり順不同です)、聴きたいものを気儘に、という感じ。
CDは平均すれば週に3~4枚くらいのペースで増えてます。
かつてはサイトの運営を試みたこともあるのですが、欲張りすぎて出だしから躓いてしまいました。
上述のような聴き方と相まって、日々移ろう感興を新鮮なままにコンテンツ化してゆくことの難しさ。その点でブログという形式は、私にとって目下のところ最適な情報発信形態だと思います。
全くの見切り発車ですが、息の長い更新を目指しますので、どうぞよろしくお願い致します。


さて、記念すべき第1回。えてして私は、こういう機会に力みすぎて後が続かなくなるのです。RPGでNew Gameを立ち上げると、ネーミングの段階で最低一時間は迷うのが常…と申せば、私がいかなる性分の人間か容易におわかり頂けることでしょう(^^;
そんなわけで、殊更に気負うこともなく、最近『いいな』と思ったCDから始めたいと思います。

先日、とあるストアを訪れたところ"complete BLUES"というデジパック仕様のタイトルが20点ばかり入荷されていていました。チャーリ-・パットンやブラインド・レモン・ジェファソンといった戦前の人々から、マディ・ウォーターズあたりまでを網羅した、相当な充実ぶりです。
それに加えて、1点あたりの価格が1000円弱というのですから、未聴のアーティストをフォローする好機として申し分ありません(^-^)

その日私が購入したのは、ブラインド・ウィリー・マクテル(1901-1959)の録音を集めた1枚。
http://www.instant-shop.com/snapper/product8230018.html?session=1839298006348

有名曲ながら入手が比較的難しかった『ステイツボロ・ブルース』も、ちゃんと収録されてます。
SONYの2枚組『ザ・コンプリート・ブラインド・ウィリー・マクテル』(SRCS 7388-9/廃盤)には入ってなかったんですよね。同系列Epic/SONYの、リロイ・カー『ブルース・ビフォア・サンライズ』(ESCA 7514)にも、『ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルース』が入ってなかったりするし…。レコード会社が違うから、正規リリースである以上仕方のないことなんですけどね。それでも、もどかしい限りです。

そんな経緯に気詰まりを感じたまま、ずっと未聴だったブラインド・ウィリー・マクテル。その素晴らしさに触れた今、上述SONY盤を入手しなかったことを、猛烈に悔やみ始めました。これから頑張って探そう。

まず耳を奪われるのが、12弦ギターが紡ぐシンフォニックな音。この人は譜面が読めたということですが、一聴しただけでも、さもありなんと思われます。声質は丸みを帯びたハイ・トーン、それがまたある種の哀調となって、ギターとともに緩やかな波形を描きながら聴く者の心に浸透します。
そう思って聴いていると、ぐっと声のトーンが落ちたラグ・タイム調のナンバーが現れて、些か面食らうことに。録音データの記載が無いもの、収録音源の年代にはかなりの幅があるみたい。印象の差は、そのままマクテルのスタイルの変化に伴ったものであることに気付かされます。
私の心を捉えたのは、どうやら1920年代末の、マクテルにとっては初期に属する録音であるようです。そうなると、今後どういう音源を探すべきかも自ずと定まってきますね。

まだ心象を深めている最中なので、結局大した感想は書けませんでした。
でも、また1つ新しい音楽との出逢いがあって、それをこうして留めたということで、第1回目としては悪くないトピックかもしれません。

TVをつけたら、偶然ルネ・ラルーの『ガンダーラ』(1987)の放映に遭遇、鑑賞の傍らでテキストを打ち込んでいたらこんな時間になってしまいました。
うーん、正直言って『ファンタスティック・プラネット』(1973)ほどの衝撃は無かったなあ。怪異・奇抜なイメージ群は変わることなく素晴らしいのですが…。
なんと言うか、あの硬質で冷ややかな幻想性が後退しているように感じます。
 

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