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Thursday, November 19, 2015

ロバート・クラフト逝去(2015年11月10日)

 ストラヴィンスキーの晩年、深い信頼関係で結ばれた師弟であった、アメリカの指揮者・音楽評論家、ロバート・クラフト(Robert Craft)が、さる11月10日にフロリダ州ガルフストリームの自宅で逝去したとの報である。92歳。

The Telegraphの訃報

 天寿と言うべき御歳とは言え、痛惜の念は尽きない。
 謹んで哀悼の意を捧げたいと思う。

 Columbiaには未だCD化されていない、ストラヴィンスキー以外の音源(ドビュッシー『ビリティスの歌』など)も存在する。近日発売予定のユージン・イストミンや、先年亡くなったチャールズ・ローゼンの音源と同じように、ロバート・クラフトのColumbia音源集成ボックスの発売が実現すれば、せめてもの慰めになるのだが。

 このブログを御覧になっていて、未だロバート・クラフトに邂逅していない御方がいらっしゃるようであれば、ストラヴィンスキーの1962年のソヴィエト帰国公演に帯同したクラフトの指揮による「春の祭典」(Venezia)、ロンドン交響楽団を指揮してデジタル録音された「春の祭典」

だけでもまずはお聴きになることをお勧めしたい。これほど明晰でありながら暴力的な昂奮に満ちた「春の祭典」があったのかと、きっと愕かれることであろう。
 特に前者はVeneziaレーベルの廃盤が続々続いている状況なので、購入不可となる前にご関心の向きにはこの機会のご入手を今一度強くお勧めする。上質とは言えないソヴィエトのステレオ録音と、この類の楽曲に戸惑いながら臨むオーケストラの粗が随所に散見されるものの、それら全ての悪条件を超えて未だに生々しい血の滾りを喚起せしめる不朽の記録である。

 ストラヴィンスキー、親交のあったシェーンベルクをはじめ新ヴィーン楽派から、ヴァレーズまでを徹底的に明晰に演奏する一方で、モンテヴェルディやジェズアルド、バッハの合唱曲に目の覚めるが如き清新な解釈を見せた、実にユニークな指揮者であった。
 バーンスタインとはまた異なる、「アメリカの偉大な指揮者」の在りようを、私は常にロバート・クラフトに対して見ていた。
 
 暫くの間は、大きな喪失感と共に過ごすことになりそうだ。
 
 R.I.P Robert Craft(October 20, 1923 – November 10, 2015)

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Monday, August 25, 2014

「銀璧亭」10周年

 2004年の8月25日にこのココログ「銀璧亭」を始めてから、本日をもちまして10周年と相成ります。
 
 十年一昔と申しますが、確かにあまりにも多くのことが変わりました。
 
 久々に力を込めた記事を掲載したいところですが、見合うネタが咄嗟には思い付かないのと現状では記事をまとめる気力が続かないのとで、このまま静かに里程標を据えるにとどめようと思います。

 巷間、mixiやTwitter、Facebookと自己発信のツールが変遷していく中で、nifty「ココログ」はよくぞ旧状との大差もなく維持されているものだと敬服致します。
 そして10年の歳月の間、このココログ「銀璧亭」を通じての様々な御高誼に衷心より感謝申し上げたいと思います。

 本当にありがとうございます。

 開店休業状態が長く続いておりますが、更新の意欲まで尽きてはおりません。
 興が高じた折節に記事掲載を継続していく所存です。
 今後とも宜しくお願い致します。

 感謝とともに Tando

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Wednesday, January 15, 2014

「録音歴60年」を達成した演奏家たち

 ここでは特にクラシック音楽に趣旨を限定します。ジャンルの裾野を広げると際限がなくなってしまいまそうなので。

 先日久々に、ピアニストのヴィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus/1884-1969)のデッカ音源のCDを何枚か取り出して(……と言うか山積みの中から掘り出して)聴いていました。
 彼は契約したデッカが早くにステレオ録音技術を導入したこともあり、この世代のピアニストとしては異例と言える分量のステレオ音源を遺しています。
 その掉尾を飾るのが、1969年の6月26日と28日に録音されたライヴ録音「最後の演奏会」です。6月28日の演奏会を体調不良で短縮して終えた後、7月5日にバックハウスはピアニストとしての一生を全くして長逝しました。
 ここで私がふと思い起こしたのは、バックハウスの生涯初録音でした。これはG&Tのロンドンのスタジオで1908年の9月29日と10月19日に録音された10数面のSPレコードです。録音時、バックハウスは24歳でした。未発売音源を除いたその大半は現在CDに復刻されており、容易に鑑賞することが出来ます。
 1908年の初録音から1969年の生涯最後の演奏会まで、そのスパンは実に61年です。
 仮に「演奏歴」で60年という実績を誇る人があれば、既にそれは非凡なものです。
 しかし更に「録音歴60年」ともなると、運や巡り合わせにも左右されますから、益々稀有な記録であると言えるのではないでしょうか。
 特にバックハウスの場合は、年端も行かない神童としての1908年の初録音ではなく、既に少壮ピアニストとしてのそれなのですから、「録音歴60年」は一層凄みがあります。



 これに伍する大記録の保持者としては、生涯現役を貫徹した指揮者レオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski/1882-1977)の名を挙げぬ訳にはいきません。
 ストコフスキーの初録音は1917年、フィラデルフィア管弦楽団と共にVictorへ録音したブラームスのハンガリー舞曲第5番と第6盤のSP両面盤です。そして彼は1977年6月に生涯最後の録音、ビゼーの交響曲ハ長調とメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を遺し、同年9月13日に95歳で亡くなりました。
 言ってみれば独りでも演奏行為が成立する器楽奏者とは異なり、指揮者はタクトに従う楽団が無ければ用を成しません。指揮台に立つということは、希少な例外を除けばそれなりに音楽家としても人間としても成熟した年齢に達していることを意味しています。そういう職能で「録音歴60年」というストコフスキーの記録はまさに非凡なものと言えるでしょう。

 さすがにこの「録音歴60年」の記録、指揮者ではストコフスキーぐらいしか達成していないだろう、と心当たりを数え上げていくと、昨年生誕100年を迎えたジャン・フルネ(Jean Fournet/1913-2008)がその記録を超えていてビックリしました。
 フルネの初録音は、恐らく1943-44年録音とされる、ベルリオーズの「死者のためのミサ曲」(レクイエム)です。これは何故か録音期間が年を跨いでいますが、年末年始のセッションだったのでしょうか?
 そして彼の最後の録音は、文字通り「ラストコンサート」、東京都交響楽団との2005年12月20日と21日のライヴ録音。奇しくもここでもプログラムにベルリオーズの作品、序曲「ローマの謝肉祭」が含まれています。ベルリオーズに始まりベルリオーズに終わった訳ですか。初録音からのスパンは実に62年に達します。凄い!



 こうした記録樹立も録音媒体と機会の普及によって、時代が下がるほどハードルも下がるのかもしれません。
 それでも、たとえば近年活躍目覚ましき若獅子グスターボ・ドゥダメルの録音デビューが確か2005年だった筈ですから、1981年生まれの彼は少なくとも2065年、84歳までは現役かつ録音機会を維持しなければ「録音歴60年」を達成できない計算になります。比較的現実的な数字とは言え、絶対とも言い切れない含みがあります。

 録音歴60年。既に達成した演奏家もこれから達成する演奏家も少なからず数えることができるかと思います。
 ともあれ、当世においても尚稀有なる類の記録でしょうから、レコード会社も自社で演奏家が達成した折には” Diamond Jubilee”とジャケットに銘打って華々しく顕彰してもいいのではないかと思います。

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Friday, November 30, 2012

ジョルジュ・ドン/没後20年-1992-2012

 モーリス・ベジャールという不世出の創造者且つ強大なカリスマを2007年に喪い、そこからのベジャール・バレエ・ローザンヌの新たな歩みを記録した「ベジャール、そしてバレエはつづく」(原題”EL ESFUERZO Y EL ANIMO”/スペイン/2009)というドキュメンタリー映画を年初に視聴した。

 作中、十余作の演目が紹介される中で、序盤早々に「恋する兵士」の映像が登場する。
 ダンサーは同団体所属の日本人、那須野圭右さん。肉体で重力を完全に制御してしまったかの如く軽やかで、ブレの無い、そして朗らかなパフォーマンス。その技量とセンスに感服しながら、2008年の来日公演の際、実際に目にした時に自分が持った印象を再び手繰り寄せた。
 そして 「恋する兵士」、途中で音楽は全くそのままに、映像だけが別のものに切り変わる。
 
 -ダンサーは、ジョルジュ・ドン。
 
 「アクア・アルタ」からの抜粋同演目で、恐らく1970年代後半に撮影された映像だろう。
 ああ、ああ、ドンだ、と心腑を射抜かれたかのような瞬間的で強烈な感動がこみ上げる。
 10秒、20秒と見入っているうちに様々な想念や感情が切々と交錯し、やがてひとりでに涙が溢れ止まらなくなった。
 違うのだ、「現代」のダンサー達によるパフォーマンスと、過ぎ去りしジョルジュ・ドン。何もかもが、余りにも、こんなにも!!

 ジョルジュ・ドン/Jorge Donn が病没したのは1992年の11月30日。
 今年2012年の11月30日を以って、ジョルジュ・ドンの夭折からちょうど20年が経つ。
 ……20年だ!!

 1991年、まさか最後の来日になるとは想像もせぬまま、私はドンの実演に接する機会を永遠に逸した。その時の演目「ニジンスキー/神の道化」の事を思い出す。
 この中には、ドンが踊ってきた幾つもの演目が含まれていた。「アダージェット」も、そして「恋する兵士」も。
 バレエの事は何も知らなかった当時の私だが、「恋する兵士」は一目惚れてしまった演目だ。
 そして、この演目を構成する心浮き立つ歌曲は何という名の曲なんだろうと、その時から気になってどうしようもなくなってしまった。

 今現在の、これほどまでにWebが拡充、浸透した社会の在り方からは想像もつかぬほど、当時はごく些細な「情報」を尋ね当てる事が難しかった。手段は限定されていたし、情報を持つ者同士を結びつける媒体は原始的かつ大仰だったのだ。
 新聞や雑誌の「教えてください」投書欄なんて、今10代20代の若い人達にとってはすっかり縁遠い事だと思う。
 「◯月□□日放映の××という番組でラストシーンに流れていた英語の歌の曲名をどなたか教えてください。テレビ局に電話したのですがわからないという回答でした」などという情報提供依頼をハガキに書いて投書までして、さて、それが掲載されるかどうか…。掲載されても必要とする回答が誰かからあるのか、得られた回答の通りに然々の音源を探して買い求めて、それが本当に目的の音源なのか。
 手間暇や費やす労力、回答が得られるまでのタイムラグ。空振りであれば、浪費も発生する。
 かつてはこうだったのだ。幾つもの関心事を悔しながらに諦めてきたのだ。
 Webに何もかもが揃っていて容易にアクセスできる今はね、夢のような時代なんですよ、本当に!!
 

 私は「恋する兵士」という曲名がわからなくて、もっと言えば演目の特定さえ長らくままならないまま、3枚もカンツォーネのオムニバスCDを「空振り」購入した。3枚目の浪費でいい加減厭になって、ベジャールの演目と同じ音源を手に入れる事は無理なんだと、それで割り切って過ごしてきた。
 ところが、先述の通りに映画「ベジャール、そしてバレエはつづく」を観て、今度はもうどうしても我慢できなくなってしまった。執念深く、あれやこれやとWebでキーワード検索、試行錯誤する……。

 その、解答から先に書く。
 
 ベジャールの「恋する兵士」で用いられる音源は、カンツォーネ、正確にはナポリターナ(ナポリ民謡)の
”O Surdato 'Nnamurato”という歌だ。
 歌っているのは、マッシモ・ラニエリ(Massimo Ranieri/1951-)、サンレモ音楽祭華やかなりし頃の大スターだ。
 そして、音源が収録されているCDは、このアルバムである。

 私も自分で購入して確かめているので、ベジャールの「恋する兵士」に用いられている音源と寸分違わぬ事を請け合う。
 ラニエリの歌唱、バックオーケストラ。そしてこれも重要、ライヴ収録に伴うオーディエンスの歓声、手拍子、喝采、紛れもなくこのCDの11トラック目”O Surdato 'Nnamurato”のものだ。
 取り寄せて届いた現物を宅内のオーディオにセットした時の張り詰めた気持ち、そして、20年希求して已まなかった音楽がスピーカーから流れてきた時の感激よ!!

 
 映画「ベジャール、そしてバレエはつづく」で、映像がジョルジュ・ドンに切り替わった時、私は何故滂沱の涙を流したのか。
 
 ドンのパフォーマンスは、近年・現在の第一線の人々とは異質な何かを具えている。
 ドンの身のこなしは決して軽くはないとも思われる。体躯のコントロールについてもピタリ、カチリと「決まる」ようなものではない。言ってみれば、荒削りだ。
 早くから強く志してベジャールと道を同じくし、大成した頃にはすっかり「ベジャール・バレエのための」ダンサーとなっていたドン。
 
 舞踊芸術のフィジカルな要素は、スポーツ競技のように日進月歩の進化過程を現在も続けている。例えば30年前にシルヴィ・ギエムが世界を驚愕させた稀有なる身体能力は、今や世界的な第一線の「標準」として定まった感がある。
 ベジャール・バレエのダンサーにおいても、ジョルジュ・ドンが現役だった時代と較べると、同様の進化を遂げていると言えそうだ。
 だが、ドンはフィジカルな部分での不足を、表現力で補ってなお余りある、そういうスタイルの不思議なダンサーだった。そして、ベジャールの作品と相互に分かち難い形で存在が成り立っていた。
 
 ベジャールの演目を云々する時、私のように何かとジョルジュ・ドンの存在を懐かしんでいると、いかにも懐古的な拘りを捨てきれていない人間だと見られてしまうのかもしれない。
 だが、確かにドンだけが持っていた特別な素質はあったのだ。
 ダンサーとしての技術的な優劣というスケールでは計る事が出来ない、純粋なパフォーマーとして放たれる強烈な「力」があったのだ。
 筋肉と血流と汗と呼吸と、そして運動に直結した顔の表情と、生理的感触を剥き出しにして踊るジョルジュ・ドンの姿は、どこまでも人間的だった。喜怒哀楽、理性、狂気、人間生来の観念をダイレクトに伝えるものだった。
 ジョルジュ・ドンの「ボレロ」が私の中で決して退色しないのも、「恋する兵士」で胸の中を激しく掻き毟られるような気持ちになるのも、このような理由に因るものなのだと、没後20年を経て認識を新たにしている。

 私にとっては積年の宿願とも言うべき「恋する兵士」の使用音源が今年手に入ったのは、20年の間、追慕の気持ちを決して翳らせる事のなかった私に、ドンが彼岸からちょっとした嬉しい便宜を図ってくれたような気もするのだ。

 そして、継承と新たな創造という極めて困難な命題を担うジル・ロマンと、彼が率いるベジャール・バレエ・ローザンヌの前途を私自身も応援したいし、期待を持ち続けたいと思う。

―2012年11月30日、ジョルジュ・ドンの没後20年を偲びこの一文を記す。



 ジョルジュ・ドン、没後20年の節目である今年、彼の夭折を心から痛惜する記事をお書きになっている御方がいらっしゃいました。私の拙い記事へとリンクまでして下さっています。
 ありがとうございます。想いを同じくする者として、敬意とともにこちらからもリンクさせて頂きます。
ジョルジュ・ドン没後20年が過ぎて・・・(14時46分発~パンドラの函を開けて)



こちらは私が2004年に記した記事です。「ボレロ」を中心にドンの事を書き連ねています。
ジョルジュ・ドン十三回忌に寄せて

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Saturday, September 15, 2012

タラソフ「前進せよ、今がその時だ」-遂に諦めがついた!

最近になって、Webを通じて、とあるロシア人の御方とご交流頂くようになりました。
先様が日本語と日本文化に対して深い造詣をお持ちなので、そのお陰様で、私の拙劣な語学力でもコミュニケーションが成り立っています。本当に得難くありがたいことです。
それで、私にしては大分と頑張って、以前よりもキリル文字に慣れてきました。

このような経緯から、ごく私的な領域での嬉しい副産物があったので、ここに記します。


きっと、日本に3人か5人ぐらいはこのエントリーを喜んで下さる方が有る筈だ(笑)

2009年に「ロシア革命アニメーション 1924-1979」というオムニバス形式のアニメーション映画が配給されました。
2部構成に分割して、ソヴィエト時代のプロパガンダアニメーション作品を紹介したものです。

ロシア・アヴァンギャルド大好きな私としては、そういうものを大いに期待して当時映画館に足を運んだのですが、さすがにロドチェンコやステンベルク兄弟みたいなド直球にクールな作品はありませんでした。
特に中盤、冷戦期の資本主義陣営に対するネガティヴ・キャンペーン作品群は退屈だったり鬱々とさせられたりで、楽しい鑑賞ではありませんでした。

しかし、それでもトータルで「やっぱり観て良かった!」と思わせてくれたのは、おおよそ我々の社会状況からは生まれにくい強烈な作品が幾つも含まれていたからに他なりません。
「ジガ・ヴェルトフがアニメ撮ってたんだー」なんていう歴史的な感動があったり、はたまた「惑星間革命」の構成にロシア・アヴァンギャルドが生んだ空前のSF映画「アエリータ」(1924)を連想させられたり。

純然たるプロパガンダ作品としては「電化を進めよ」(1972年制作/イワン・アクセンチュク監督/Иван Семёнович Аксенчук/1918-1999)が最高でした。
映像も音楽も発想も、もうビキビキです(笑)

しかし、この上映を鑑賞なさった方の過半数は、恐らくAプロ・Bプロ共に掉尾を飾った、ウラジーミル・タラソフ(Владимир Ильич Тарасов/1939-)による「射撃場」(1979)と「前進せよ、今がその時だ」(1977)の2作品を強く印象に残していらっしゃるのではないでしょうか?
私にとっては特に後者、「前進せよ、」が強烈でした。
非 常 に っ . ょ ぃ.. 中毒 性 が あ  り ます. 。

マヤコフスキーのテクストを元にした映像作品で、ディテールをつぶさに読み解こうとしてもしょうがないんじゃないかなーこれは。或いは、その時代、その国に生きた若者でないとダメなのかもしれない。
映像としてももうバリバリのキタキタ(゚∀゚)なんですが、冒頭、ブンブン振れるモンケーンと共に鳴るソヴィエト・ロックがタマランのです。

この予告編の冒頭部分でお確かめ下さい……。

Youtube 竹書房アカウント
ロシア革命アニメーション 1924-1979予告編

どうです、ヤミツキになりませんか?


みょんみょんみょんみょん♪
みょんみょんみょんみょん♪♪
みょんみょんみょんみょん......♪
.......................♪
ぎょわーん☆☆☆♪♪♪


フピリョード!♪
スタラナ!♪
スクォリェーーーーエ♪
マヤッ!♪


こうなると是が非でもCDを手に入れ、自宅のオーディオでこの曲を鳴らしたくなる、或いはカーステレオで運転中のBGMとして流したくなる……、ような、気がしませんか?(笑)
私はそうだッ!!

この一連の「ロシア革命アニメーション」は、日本より先に英語圏で配給された様子なのです。
直接リンクはしませんが、英語字幕を付したヴァージョンが、この「前進せよ」についてもYoutube他、各種動画投稿サイトにアップロードされており、視聴可能です。
そして、そのエンドロールで、この映画のテーマソングのパフォーマーとして"The Tin Soldiers"というクレジットを見出すことが出来ます。

"The Tin Soldiers"、つまり「ブリキの兵隊」。
さて、これをロシア語に訳して拾うと……、

ОЛОВЯННЫЕ СОЛДАТИКИ
また、エンドロールには、"А.Горин"という人名が、この曲を作曲した人名としてクレジットされています。

さあ、この2つの鍵を使って、ネチネチと検索検索!!

アッ――――――(゚∀゚)タ――――――!!!!!!!!!!!!

<注意:リンク先を開くと大き目の音量で音楽が流れます>

ОЛОВЯННЫЕ СОЛДАТИКИ

バリバリ現役のロック・グループでした。皆さんお元気そうで何より(^^)
このグループ、結成が1968年ということで、既に40年以上も活動しているんですね。
オフィシャルサイトも見つかったところでディスコグラフィを見るのですが、この「前進せよ、」(1976年制作)のテーマソングは
………………………………無い………………………………、
…………………全く見当たらない………………………………。

ロシア、或いはソヴィエト限定で発売された形跡だけでも探せないだろうかと、更に色々検索すると、興味深いページを発見しました。

Вперед, время! (Владимир Тарасов)

ロシア版のYoutubeみたいな動画投稿サイトだと思います。
これに付いたロシアのユーザーさん達のコメントが、この「前進せよ、」が、当のロシア本国では現在どのような状況に置かれているのかを断片的に教えてくれます。


ユーザーさんА:
どうもありがとう!(英語の)厄介な字幕無しで、このアニメの動画を探していました!

 ……ふむふむ、ひょっとすると一連の「ロシア革命アニメーション」作品群、海外から逆輸入的にロシア本国でもリバイバルしたのかな?


ユーザーさんБ:
長い間、この曲を探しているのだけれど……

 ……どうやらロシア本国でも見付からないのか、この曲。


ユーザーさんГ:
仲間よ、私もアンドレイ・ゴリンによる「前進せよ、今がその時だ」の曲を探しています。彼らのウェブサイト上で誰かがそれについて質問していました。でも、返事がありません……。

 ……直接訊いた勇者がいたのかーッ!!


それで、返事が無いということは、どう捉えるべきなのか。
つまり、ОЛОВЯННЫЕ СОЛДАТИКИのメンバーにとって「前進せよ、今がその時だ」は、既に過去そのものなのだという事なのでしょう。

記事タイトルに付したように、ロシア本国の人が訊ね探して、それでダメだと言うならもう、この「前進せよ、今がその時だ」のテーマ曲を、まして日本国在住の日本人がCDで手に入れようなどという儚い望みは諦めるしかありません。
突き詰めるところまで突き詰めて、スッキリ、サッパリしました。

前掲、ロシアのネットユーザーの反応の中には、ソヴィエト共産主義、ボリシェヴィズムに対する露骨な誹謗も含まれていました。
既に覆った体制、制度、思想、社会が生み出した、かかる作品群の振り返りは、とりわけ当事者にとって容易い事では無いと思います。それがダイレクトに、プロパガンダ的性質を伴って制作されたのならば、尚更でしょう。

しかしながら、ヴラディーミル・タラソフの2作品は、露骨なまでの思想統制的な作品群とは決定的に性質が異なると私は感じます。明らかにタラソフは、当時の体制、状況下で許容される目一杯の先取的な作品を創造しています。それが、ある視聴者を今日なお強く惹き付ける要素となっているのでは無いでしょうか。
ОЛОВЯННЫЕ СОЛДАТИКИによるテーマ曲についても全く同様だと思います。

CDで手に入らないならば、ただいつまでも口ずさむのみ!
強烈に刻みつけられた映像を思い浮かべながら。

Вперед!
Страна!
Скорей  моя!!



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Sunday, January 22, 2012

名作、絶品、NHK大河ドラマ「平清盛」

タイトルが大仰に過ぎるかも知れませんが、平成二十四(2012)年・NHK大河ドラマ「平清盛」は、現時点でこれぐらい強く賞賛・称揚しておくべきだと個人的に思いました。

何が何でもこの作品を批難して、引きずり降ろさねば気が済まぬ人々には、これまた各自の好悪や利害があるのだと思います。別にそういう方々と自己主張を闘わせるつもりはありません。敵意も害意もありません。
しかし、私が危ぶむのは、時間即応的に流布する、悪印象をもたらす逐次報道が、この作品と「観たほうがよい人」とを遠ざけ、最終的に制作現場自体を揺さぶってしまうことにあります。

個人的なことを申します。

この作品は絶品です。
今、既にして傑作、大傑作です。

コンセプトをハッキリと決め、それに対して凝らし尽くせる限りの趣向が丹念に施されています。

これは、まさにマルチメディア作品としての素晴らしい「工芸品」或いは「芸術」です。

感覚を研ぎ澄まして視聴すれば、その注力分だけ、見返りがある作品です。

私は、主だった配役が明かされるに連れて、制作の意気込みが只事では無いと思いました。

これはもう、全編保存だと思いました。

そうして長尺を採った第1話を、じっくり視聴したのですが…。

鑑賞するために、映画1本分の心的・精神的エネルギーが要りました。
私はこの作品を、毎週放送ペースに合わせて視聴する自信がありません。
録画しておいて、自分の時宜を合わせて観るのが最適だと思いました。

また個人的なことを申します。
我が家の家系図なんてものは、市街地の95%を焼尽・消尽せしめた鹿児島空襲(鹿児島は米軍の爆弾捨場だったのです)でとうに失せました。
しかし、我が氏姓名乗りと地縁と家伝・口碑と過去帳が、「尊卑分脈/諸家大系図」の世界へと、かなり具体的な形で繋いでくれます。
私の中で「源平藤橘」のうち「源平藤」までは確実に混成しています。かと言って我が家が如何程の家門であるかと訊かれれば、実にみすぼらしい評価を受けることでしょう。「微禄小身」と世に言いますが、幕藩期以降は「微禄」さえも怪しいです。でも、私はそれで構いません。兎にも角にも、この国の長く深い歴史と、自分のアイデンティティとを繋ぎ、苦しい時悲しい時に、自己を励まし善導してくれるからであります。

そういう精神土壌を持つ者が、この「平清盛」第1回を視聴しました。

冒頭、3分でもう涙が出てきました。
「男が易々と泣くな」と亡父が私を育てたので、そうそう涙もろい方では無いと思うのですが…。
そして、尺中、何度も感極まって落涙致しました。

この作品は、男泣かせであります。
些事をあげつらうと、コンセプトそのものに対する評価を誤ってしまう、そういう作品だと私は思います。

そして、たかだか100年や200年で定義されてしまった「身分の貴賎」というスケールでは捉え切れない世界の話です。
私の、或いは、貴方様の、100親等や300親等に当たる人が、この作品には必ず「等身大」で登場している筈です。作中において、予想外に高い身分に在るかも知れないし、或いは、血と糞が滲む土の上に死に物狂いでしがみついているかも知れません。

気の塞ぐような世情にあって、元気を無くしている貴方様、私も同じであります。
この作品には、恐らく、何処かに貴方様の「ご先祖様」、そうでなくとも、その方の伯父さんとか従兄弟とかは登場している可能性があります。その人が作中でカッコ良くても悪くても、いいじゃありませんか。その人達と連なる人たちが頑張り続けたから、今の我々は今生、存在するのです。

「平清盛」を観て、人間としての誇りと自信を取り戻しましょう。

コメント欄は有効にしておきますが、土足で喧嘩を売りに来るような方は願い下げです。「貴方の主張」を発表する場は、このブログが見えている以上、極めて容易に獲得できる筈です。そちらでなさって下さい。間借りに来ないで下さい。尻馬にも乗らないで下さい。
また、私自身、意見の異なる方を貶し、己が主張の相対価値を高めようとする企ても、今後に渡って一切持ちません。
久々に、苦手とする「トラックバック」も有効にしますが、制作現場とコンセプトを少しでも応援出来れば、という一心に拠る行動です。作品を褒める為だけに利用して下さい。文面引用とリンクも同様です。作品を貶したり、或いは誉めそやす体裁で良からぬ利得を企てようとする方は、一切関わらないで下さい。
スパム等は、通報できる限りの処に通報致します。

どうぞよろしく。

素晴らしいNHK大河ドラマ「平清盛」の公式サイト。
NHK大河ドラマ「平清盛」

本日、第3話放映日ですが……、録画しますけど、まだ観ません^^;
じっくり腰据えて、丁寧に観たいので。

でも、私的に並々ならぬ思い入れ有る、源三位入道の初登場だけは、リアルタイムで間に合いたいなー。
どうも、この配役には凄まじいサプライズが秘されている予感がするんですよ。
確か、配役発表、まだですよね。
昭和47(1972)年の、あの名作大河ドラマ「新・平家物語」から、ダイレクトにとてつもない御方が配役されそうな予感さえします。
この文脈が当たっていれば……、もう「あの方」か「あの方」でしょうね(笑)

源三位入道、源三位頼政、源頼政。

公卿の時代から武家の時代、平家の時代から源氏の時代へ、それを象徴する巨大なキーパーソンですから。

まあ、この予感は勿論、外れてもいいんです(笑)

しかしまあ、「義経」で、亡き丹波哲郎氏が演じられた源頼政、カッコ良かったなあー。
あれはもう、私の中で永久不滅の絵姿ですわ。

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Wednesday, January 11, 2012

伏龍興起,鳳雛羽化.壬辰一月.

今年は何か、陽を向くように世が革まる起点であるように感じられるのです。

以前のように、己が心魂を甚大に傾注した更新に復することはもうあるまいと思いますが、このブログ「銀璧亭」を再び脈動させようと思います。

何か特定の宗教や思想に発心したというわけではありませんからね^^;

しかし、幼き時から年々歳々敬慕の念、弥増しに増す、聖ジャンヌ・ダルクの生誕600年を心よりお祝い致します。

Sainte Jeanne d'Arc, priez pour nous.

そして、「心のともしび」運動のマクドネル神父さまの温かい御心に深く感謝致します。
あなたの御手の温もりは、終生忘れません。

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Dear the Rev. Fr. Graham McDonnell

Thank you very much for you gave me the other day,
For My Fater in Heaven ,,,,and For Us.

The best of health to you.

With our best regards.

Tando
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「600年」という期間は、東洋的な価値感覚の中では特別な意義を成します。
十二支と十干の組み合わせ「六十干支」の10周目にあたります。
或いは、これは天体の摂理由来なので、生命あるものにとって特別な事象と捉えるべきなのかも知れません。
そうした大きな流れの中で、人類史上の殊に大いなる救世者、聖ジャンヌ・ダルクとの結び付きを考えると、少なくとも、惨禍の極みにあった昨年からの心機一転を期する、積極的な心持ちになれるように思われませんか?

皆様と、そして我々の、大いなる幸福の開基を衷心より祈ります。

ついで、私事。
久々なので改めて申しますが、かく「銀璧亭」、『ヘキ』は『玉』の『璧』で、『完璧』の『ヘキ』なのでございます。
文字が変換されない場合は「完璧」と打つと、たいていの文字入力ソフトでも対応します。
私自身、今の文字入力ソフトに変える前、―このブログの初期―には、「璧」の変換が余りにも面倒なので、「完璧」から拾い上げて辞書登録して用を為していました^^ゞ

この旨についても申し述べているも(常時右ラインからリンク表示)、ついでにaboutもご高覧賜りましたら幸甚です。
……ここだけは、かつての雰囲気を変えないままにしている部屋です。

そして、バナーを作って下さった「紅子サマ」(※当時)、近年消息をしていません。
申し訳ありません。
お元気ですか?
貴作のバナーは、このブログが存続する限り、「篇額」として掲げ続けさせて頂きます!

それでは、本日はこれにて。
タイトルは、干支と繋げて、とにかく何が何でも「大きなめでたい」意図を込めました(^^)

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