書籍・雑誌

Friday, February 13, 2009

よみがえる自作朗読の世界II


 

1. 北原 白秋 「詩朗読」 (水上・月夜の風)
2. 野口 米次郎 「詩朗読」(詩の金堂)
3. 北原 白秋 「短歌朗読」 (春・夏・秋・冬)
4. 佐佐木 信綱 「短歌朗読」(南京にて 他)
5. 前田 夕暮 「短歌朗読」 (箱根に遊ぶ 他)
6. 尾上 柴舟 「短歌朗読」 (夕暮の空に富士あり 他)
7. 太田 水穂 「短歌朗読」 (みんなみの海のはてより 他)
8. 窪田 空穂 「短歌朗読」 (上総大原の海辺にて 他)
9. 土岐 善麿 「短歌朗読」 (近詠)
10. 高浜 虚子 俳句の話(一) (「俳句とは何か」~「花鳥諷詠」)
11. 高浜 虚子 俳句の話(二) (「深は新なり 古壷新酒」~「特異な詩」)
12. 西條 八十 <西條 八十 歌謡詩集(第1集)(第2集)>より
(「はじめ詩」~「汽車の窓にて」~「おわりの詩」)
(西條 八十(朗読)/古関 裕而(ハモンド・オルガン)
13. 坪内 逍遙 「沙翁劇朗読」 (ベニスの商人)

ぼんやりしているうちに、こんなCDが去年出ていたことを知る。
妻への稟議も省いて、大慌てて購入。
いやあ、こういう企画は本当に素晴らしい。
野口米次郎の詩朗読も良かったし、高浜虚子の俳句講話も感動的だった。

畏怖すべき芸達者の坪内逍遥は、今回発売分の収録時間は短め(2分弱)でちょっと欲求不満。
この際、全録音を聴きたいぞ!(まだあります)
しかし、役者だなあ。こういう大先生の講義を聴けた人々は幸せだったろうなあ。

そして、古関裕而のハモンド・オルガン伴奏付き、西條八十の詩朗読!
これは必聴の稀少音源ですぞ!
不滅の名曲、「王将」ですよ、「青い山脈」ですよ?!
(本当に好きな歌です!!)

ところが、あやかしの詩「トミノの地獄」や、山本タカト装丁の「女妖記」等々、多彩な姿を見せて頂いたお陰で、最近個人的にどんどん深みへと引き込まれてしまった八十センセ…。
ここでは何と「栄冠は君に輝く」「六甲おろし」の古関裕而センセの、ノスタルジックかつ威風堂々としたハモンド・オルガンを伴奏に、名状しがたき独特の世界を見せて下さいました。

このシリーズ、まだまだ続かないかなあ。
あ、最初の500枚プレス限定だったCDには入っていた佐藤春夫は今回も収録無しですね。
あの飾らない訥々とした語り口は何とも言えない味わいがあるのですが。

それと、今年は太宰治生誕百年なので、ラジオ音源とか出てきたら嬉しいなあと思います。

ちなみに既発音源については過去エントリ坪内逍遙の熱演に脱帽に記しております。
もしよろしければご参照下さい。
 

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Tuesday, December 20, 2005

「パリ・ロンドン放浪記」~ジョージ・オーウェル

この半月程の間で、じりじりと心身を消耗したようである。
原因は仕事以外にありようもない。またも厄介な「病気」が頭をもたげつつある現況に、手を焼いている。
家に帰っても、食事と入浴以外には一切何もする気にならない。他に何か挙げるなら、新しく届いたCDがあれば、一通り聴いてみる。それくらいのものだ。しかし、本当はその封を切ることさえも億劫である。
そんな状況下でこのblogも、随分と長い間放り出したままになってしまった。
レスピーギの自作自演も、フェインベルグの新譜も、既に手元へ届いているし、一通り聴き終えもした。
実に、素晴らしかった。
更に、他にも色々と感銘を受けたCDがあるのだけれど、それらの感想を文章へと置き換える作業が、どうしても出来なかったのです。

入眠の前に呟く言葉は決まっている。「ああ、しんど」か、「もうあかん」か、「はよ仕事やめよ」の、いずれか一つ。そうやって寝付いて、起きて…また2時間の道程を経て出社する。
それでも、自発的に仕事を辞めよう筈は無いのである。傘も、行く当ても持たないのに、豪雨の中へと飛び出すなんて真っ平御免なのである。

弱音と愚痴との湿り気は、冬の寒さの所為で一向に乾く気配がない。


連日、通勤時間の片手間に読んでいるのが、ジョージ・オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」(岩波文庫/小野寺 健 訳)。再読であるが、時を得たものか、滅法面白く感じられる。
文中一人称の筆者は、寄る辺なき身上という訳ではない。記述される貧乏生活も、やむなき仕儀というより、社会的経験を目当てに、進んで飛び込んでいった感がある。道楽とまではいかなくとも、どこか悠揚とした雰囲気が支配的なのも、その所為だろう。

貧乏譚が面白いとすれば、それは何故か。
そこに人間の智慧としぶとさが凝縮されているからだろう。特にこの作品には、「死ぬか生きるか」といった切迫感が希薄なので、食いつないで行くこと自体が、ゲーム的な感覚さえも伴っている。
海千山千の登場人物達の姿も、実に魅力的だ。ただ、彼らは筆者とは異なって、いつ行き倒れになるとも知れない境遇なのである。たまさか筆者によって書き留められ、永の寓居を得た彼らの、本当の死に様は知りようもない。


この作品を通じて、つまるところ私は、自分に何を納得させようとしているのか?
畢竟、食いつなぐ術があるというのは、兎にも角にもそれだけで有難い、ということに他ならない。
必要最低限以上の食事にありつけて、なお享楽的な目的に費やすだけの収入がある。
更に求めるものがあるのならば、相応の努力を払わねばならない。
結局私のフラストレーションも、紐解いて整理してみれば大したことはないではないか。

以上、今日一日、体調不良で欠勤して、医者に行って、半日を寝て過ごした「成果」である。

「パリ・ロンドン放浪記」、特に私と年齢的にも近くて、かつ毎日の仕事に倦んでいる方であれば、一読をお勧め致します。無いものばかりが気になって、どん詰まりに陥った時、大事な持ち物の方へと目を向けてくれる一冊です。

 
 

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Thursday, October 13, 2005

坪内逍遙の熱演に脱帽

◆よみがえる自作朗読の世界~北原白秋、与謝野晶子、堀口大學ほか~(日本コロムビア/COCP-33360)

「だがっき」と「おと」の庵のサンタパパ様から、トラックバックと文中リンクを頂戴したことで、初めてリリースを知り得てはや1ヶ月。
ようやっと購入した次第である。

このCDは、以前の拙blogのエントリー「落花の雪」─ふたたび、美しい日本語中で紹介した「晶子/朔太郎/春夫/白秋 他 自作朗読の世界」(日本コロムビア/COCF-15290)に、坪内逍遙の自訳朗読「ハムレット生死疑問独白の場」を追加して、仕様を改めたもの。
佐藤春夫の自作詩朗読と、北原白秋の短歌朗詠12首の計3トラックが新ヴァージョンでは省略されているので、どちらを持つべきかは悩ましい所だ。或いは、旧ヴァージョンCDを持つ人間の心証に配慮した措置なのだろうか。
とまれ、私の手元には両者共に揃う仕儀と相成った。

私個人の買い方としては、坪内逍遙ただ一人が目当てとなった恰好だが、これがすこぶるつきの熱演で、思わず聴き惚れてしまった。
ハムレットとオフェーリア、二人の掛け合いが逍遙一人によって演じられるのだが、兎にも角にも、実に巧いのである。
以前に僅かばかり聴き得たのは、丁度オフェーリアの声色の部分だったのだが、これがいけなかった。昔気質の文士が講談調に、お涙頂戴の愁嘆場を演じているかの如き印象を持ったものの、大変な誤解であった。聴き入りながらただただ不見識に恥じ入るばかり。

パフォーマンスとしての質を問うならば、逍遙の朗読は他の文人達とは別次元の高みにある。
抑揚、語気、間の取り方。
悉くが、完全に玄人のそれだ。更に玄人は玄人でも、限られた者しか持ち得ない風格を纏っている。
逍遙は安政年間の生まれだが、その語り口の鮮やかさにも驚く。現代演劇の礎は、既にここで完成されていると言って差し支えない。
種板の保存状態が余程良かったものか、息遣いをも具に伝える、生々しい音質が、驚きに一層の拍車をかける。

何よりも逍遙は声が良い。
正しく、語り、聴かせるための、深い、声である。
敢えて似た声質を挙げるなら、声優の大塚周夫に近い。
実にシブい声だ。

こうして文面を連ねながらも、繰り返し繰り返し聴いているのだが…つくづく、巧いなあ。
極めてマルチな文化人たる実像が偲ばれる、またと無いよすがと言えるだろう。
早稲田大学が演劇博物館を建て、偉業を顕彰したのも、さもありなん。

全く以て、恐れ入りました。
 
 

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Saturday, February 26, 2005

さようなら世界夫人よ

世界はがらくたの中に横たわり
かつてはとても愛していたのに
今 僕等にとって死神はもはや
それほど恐ろしくはないさ

さようなら世界夫人よ さあまた
若くつやつやと身を飾れ
僕等は君の泣き声と君の笑い声には
もう飽きた

世界は僕等に愛と涙を
絶えまなく与え続けてくれた
でも僕等は君の魔法には
もう夢など持っちゃいない

さようなら世界夫人よ さあまた
若くつやつやと身を飾れ
僕等は君の泣き声と君の笑い声には
もう飽きた

(『さようなら世界夫人よ』 by 頭脳警察 1972)

引き続き「さよなら世界夫人」をクローズアップします。
前回エントリー冒頭に掲げた、植村敏夫訳の旺文社文庫版と比べてみて下さい。本当に、随分と印象が異なります。

わたくしにとってヘッセの「世界夫人」と言えば、まず「頭脳警察」のバラードでした。
…いや、正確には「この訳詩と言えば」と言うべきなのかも知れません。
しかしながら、今以て「頭脳警察」自体の、真摯なリスナーにはなりきれていないのですが…。

この詩の原題は“Leb wohl, Frau Welt,”です。
大学生活を通じて惨憺たる苦闘を味わったドイツ語ですが、この機会にちょっと学習(…と、怖じる自分に言い聞かせるのである)。
もっぱら素人講釈ですが、御寛容願います。

" Leb wohl "は、「告別」といった意味合いなので、ニュアンスを汲めば「さらば」となるでしょうか。
そして、" Frau Welt, "です。"Frau"は女性への敬称、"Welt"は、世界。

単純な組み合わせですけど、「詩的」に翻訳するとなると、解釈が分かれるようです。
たとえば現在も刊行されていて、最も入手が容易と思われる「ヘッセ詩集」(訳:高橋健二/新潮文庫刊)では、「ごきげんよう、浮き世夫人よ」となっています。
「頭脳警察」のバラードに出会うまで、わたくしはこちらの翻訳を知り得るのみでした。

だから、「世界夫人」と云う直截な訳出と出会った時には、ガツンとやられたような心地を味わいました。詩的な観点から言えば「巧い」訳は、きっと「浮き世夫人」なのでしょう。
しかしながら、1944年、未曾有の戦禍の傍らで書かれた原詩に漂う虚無感は、「世界夫人」と云う即物的な訳だからこそ、より鮮烈な印象として読み手へと伝わるように感じられます。
頭脳警察のアルバムでは、確かに「植村敏夫 訳詩」とクレジットされています。それと判れば、是非この翻訳を読んでみたいと思いました。

でも、該当するエディションは、書店では一向に見付かりません。
「頭脳警察」のバラードも、自分が生まれるより更に何年も前に世に出たものだ。きっと、遠い昔に絶版になったんだろう。
そう思っている間に時は過ぎ、出典の探索もすっかり忘れ去ってしまいました。

再びこの詩に心惹かれるようになったのは、心身共に持ち崩してからの事です。
抑鬱と不眠とを抱えながら世事にアンテナを張っていると、やりきれなくなるようなニュースばかりが自分の中に鬱積します。
跳躍する力を喪った、自分自身への諦観。

そして、自分を取り巻いている世界は─。

そんな折々に於ける惹句となっていったのが、頭脳警察「さようなら世界夫人よ」の、

世界はがらくたの中に横たわり
かつてはとても愛していたのに
今 僕等にとって死神はもはや
それほど恐ろしくはないさ

と云う部分だったのです。この箇所は、わたくしの荒んだ精神に、不思議と子守歌のような安らぎをもたらしてくれました。

前回エントリーで引いた「オリジナル」と、頭脳警察による歌詞とは、リフレインや省略、あるいは語気の変更などを相観すると、印象がまるで異なる事に驚きます。
今やどちらもわたくしにとって大切な詩なので、相違にまつわる是非を論ずるつもりはさらさらありません。でも、これ程の改編が施されていると云う事実については、もっと広く知られた方が良いと思います。


それと、今回旺文社文庫版の「ヘッセ詩集」を割愛頂いた書店様、非常に丁寧な保護フィルム包装が施されていた事、そして、お店独自の素敵なブックカバーが附随していた事が、何とは無しに心を捉えました。
いわゆる「ユーズド商品」を方々で購入していると、時折そのお店独自のセンスが香るようなご対応を頂く事があります。勿論現物が確かな状態で手に入れば、それに勝るものはありません。
でも、ブックカバー一つでも、一期一会のやり取りが印象深いものになる事は、確かだと思います。その事については、また改めて書く機会もある事でしょう。

今回お世話になったのは黄麦堂と云う、横浜市のWeb通販専門の古書店様です。
検索が元になった、偶然の御縁でしたが、何か「ただ者では無い」含蓄を感じたので検索してみたんですよ。
そこで逢着したのが、店主様の奥様へのインタビューページ。
古書店経営にまつわる著書を出版してらっしゃるんですね。

「古本屋の女房」(平凡社刊)、なかなか面白そうな書籍です。

この御縁に、「黄麦堂」様をショップリストに追加させて頂きましょう。
またお世話になる機会もあるかと存じますので…。
 
 

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Sunday, February 20, 2005

さよなら、世界夫人

世界は がらくたの中に よこたわっている
かつては とても 愛していたのに
いま ぼくらにとって 死に神は
もはや それほど 怖ろしくはない

世界を 辱めては いけない
とても 多彩で 荒あらしく
古代の魔法が いまもなお
世界の像(すがた)のまわりに ただよってくる

ぼくらは 感謝して 別れを つげよう
世界の 偉(おお)きな 賭けごとから─
世界は 楽しみも 悩みも 与えてくれた
世界は 多くの愛も 与えてくれた

さよなら 世界夫人よ
若く つやつやと 身を飾れ
ぼくらは きみの幸福(しあわせ)と
きみの泣き声に もうあきた

(ヘルマン・ヘッセ:『さよなら世界夫人』/訳:植村敏夫/旺文社文庫刊『ヘッセ詩集』より)

長く当て所の無い「探索の旅路」も、その突破口は意外な形で訪れるものです。

わたくし、Webを通じての古書購入は、Amazon.comのマーケットプレイスの利用経験を幾度か数えるのみです。何よりも現状に明らかなように、CDや新品書籍の購入では、極めて頻繁にWebを活用しているのですが…。
我ながら、未だに理由がよく分からない「使い分け」です。

冒頭に掲げた「さよなら、世界夫人」は、旺文社文庫刊「ヘッセ詩集」(初版:昭和43年)所載の、植村敏夫(1908-…)による翻訳です。
先週の初め、何とは無しに「ヘッセ+植村敏夫+詩集」で検索を行ってみたところ、上掲の文庫版を知り得ました。そして、現物を在庫してらっしゃる、複数の古書販売サイトをも見出した次第です。
苦労して探し続けた割に、何と呆気無い。どうして今まで、この方法を試みなかったのでしょうか…?
もっけの幸いと発注したところ、週半ばには現物を手にする事が叶いました。

昭和50年代に生まれたわたくしが、書店で自ら「文庫本」を選んで読み始めた時期は、中学生1年生の頃です。その時分には既に、「旺文社文庫」って、馴染みの無い存在になっていたように思うのですが、実際はどうなのでしょう。やはり見かけなくなった「福武文庫」の場合は、規模縮小を続けながらも高校生の間はずっと店頭に並んでいた記憶があります。
キーワード検索で確認するのはたやすいですが、個人的な「余韻」とでも申しましょうか、今はそれを重んじたくもあるので、敢えて調べないままにしておきましょう。

とまれ、旺文社文庫の書籍を手にする機会自体が、初めての事です。どんな雰囲気に仕立てられていたのでしょうか。ちょっとワクワクします。

そうして届いた書籍を紐解いた第一印象は、「あ、いいな、この文庫、素敵だな。」と云った感じ。読み進めると、更にそれは具体的な実感として固まりました。

時には「常用漢字」にもルビが振ってあるので、青少年を対象とした文庫だったのでしょう。詩の一編毎には、訳者によるささやかな、しかし含蓄に富む解説が付されています。
余白の所々は和やかな挿絵で飾られ、巻末には写真を交えた、ヘッセにまつわる仔細で読み易い解説文…。
総じて、とても丁寧に、読み手を思いやった体裁に仕立てられています。

翻訳のスタイルについては、最上の意味で「児童文学的」だと感じられました。難解な語彙を駆使するのでは無く、平易な口語の中から選り抜かれ、編まれた訳文です。原典の雰囲気と同寸なのかは、ちょっと怪しいかも知れない。でも、とても綺麗で、広々とした響きを持つ、素敵な詩になっていると思います。


冒頭に掲げた「さよなら、世界夫人」は「頭脳警察」の名高いバラード、「さようなら世界夫人よ」の出典です。
同曲では確かに「植村敏夫 訳」と記されています。しかし、旺文社文庫版に接して初めて知りましたが、随所に自在な改変が施されていたんですね。
冒頭に引いた訳文が、いわば「オリジナル」の姿です。
旺文社文庫版の現物を手に取り、わたくしが真っ先にページを開いたのは「さよなら世界夫人」でした。

バラード「さようなら世界夫人よ」の中に見出して以来、ずっと探し続けていたのは、直截に、虚無的に拡がる「世界への挽歌」─。

それだけに、「オリジナル」の姿に接した印象は、とても意外なものでした。

思いの丈はまだ続きますが、今回は此所で一区切りと致しましょう。
 
 

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Sunday, February 06, 2005

「落花の雪」─ふたたび、美しい日本語

落花の雪に踏迷う、片野の春の桜がり、
紅葉の錦衣て帰、嵐の山の秋の暮、
一夜を明す程だにも、旅寝となれば懶に、
恩愛の契り浅からぬ、我故郷の妻子をば、
行方も知ず思置、年久も住馴し、
九重の帝都をば、今を限と顧て、
思はぬ旅に出玉ふ、心ノ中ぞ哀なる。

(太平記第二巻『俊基朝臣再び関東下向の事』)


以前に「美しい日本語─『名訳詩集』」と題したエントリーをアップロード致しましたが、今回はその続編です。

「落花の雪」は「太平記」巻中で、囚われの身となった日野俊基が、京から鎌倉に護送される行程を描写した段です。
巧みな語彙と七五調とが相まって、古来より名文、名調子として愛誦されました。

わたくしの手元にある「晶子/朔太郎/春夫/白秋 他 自作朗読の世界」(日本コロムビア/COCF-15290)と云うCDには、土岐善麿(とき・ぜんまろ,1885/明治18年-1980/昭和55年,歌人、国文学者、批評家)が朗読する同段が収録されています。

実はこのCD、タイトルからもお察し頂けるかと存じますが、戦前に活躍した詩人、歌人、俳人たちによる自作朗読音源を収録したものなのです。
昭和12-13年に録音されたと言う全19トラックに名を連ねているのは、まさに錚々たる文人です。
参考までに登場順に列挙すると─与謝野晶子、萩原朔太郎、河井酔茗、室生犀星、川路柳虹、佐藤春夫、斎藤茂吉、釈迢空(折口信夫)、西條八十、堀口大学、高浜虚子、土岐善麿、北原白秋─。
なんだかクラクラしてきます。読書人必携、と言いたくなってしまいますが、在庫している店舗は思いの外少なく、収録内容には不相応なくらい知名度も低いのです。
殊に「音源交歓」的な機会へ携行すると、いつも非常に歓迎されます。

何方であれ、必ず1トラックは心惹かれるものが収録されているのではないでしょうか。個人的には北原白秋の自作朗読「邪宗門秘曲」が、たまらない音源です。
まだまだ現役盤扱いのようなので、ご関心の向きは是非にとお勧めする次第であります。

さて、話を「落花の雪」に戻しましょう。
実はわたくし、本編とは離れた形でこの段を知ったので、前後の経緯を殆ど把握出来ていませんでした。ただ、典型的な「日本語の名調子」として著名である旨から、心に留まっていたのです。

今更、と云う感じも致しますが、先頃思い立ち、文中の単語を拾って調べてみました。
「嵐の山」は京都の嵐山で、わたくしの生活圏とも程近く、非常に馴染み深い場所。では、「片野の春の桜がり」の「片野」とは何所なのでしょうか…?
実はこの「片野」、現在では字面が替わり、「かたの」と、同じ読み方のまま「交野」となっています。つまり、これは現在の大阪府交野市を指していたのです。
やはりわたくしの生活圏から程近い…、と申しますか、身辺の某私鉄でそのままアクセスできる地理ではありませんか。
独り、秘やかに驚いている次第なのです。

まだ寒い毎日が続くものの、先頃立春を過ぎ、春への秒読みが始まりました。
花の季節はもう暫く先になりますが、今年は機会を設けて交野の桜を見に行こうかな、などと考えています。
 
 

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Sunday, January 09, 2005

美しい日本語─「名訳詩集」

「読書百遍、意自ずから通ず」(或いは『読書百遍義自ずから見る』)と云う言葉があります。文意が難しくて意味の判らない箇所も、繰り返し読んでいる内に段々と理解出来るようになる…そんな意味です。
わたくしが今更説明などを連ねずとも知れ渡っている言葉ですが、日頃の生活に当てはめてみると、なかなか実感が伴わなくなっているような気がしませんか…?
強いて挙げるならば、中学、高校の古文や漢文の授業や、或いは外国語のテキストリーディングに及んで初めて、そのような経験をするのかも知れません。

「読書百遍」の日常性を考えるならば、それこそ漢文素読などが一般教養だった時代にまで遡る必要があります。あらゆる言語表現に言文一致が浸透した現在にあっては、「百遍も再読」しなければ理解出来ないような文章と接する機会は、少なくなるのが当然なのでしょう。
しかしながら、かつての文語体が生命を失ったかと言えば、そうは思われないのです。勿論社会生活に於いて求められる機会こそ稀ですが、「美しい日本語」の姿は、 殊に明治・大正期の文語体の中で精華となっているのではないでしょうか。

ただ語意のみにとらわれず、言葉や文が持つ固有の響きに親しむ。
先年のベスト・セラー、「声に出して読みたい日本語」(齋藤孝 著/草思社)や、NHK教育の「にほんごであそぼ」などは、その趣旨の具体的な例として非常に興味深いと思います。
たまに「にほんごであそぼ」などを観ていると、「こんな難しい語彙を子どもに刷り込んで、理解出来るんかいな…?」なんて思う事もしばしばですが、思考の柔軟な時期に覚え込んだ味わい深い日本語の数々が、時を経て再び「本来の意味」を伴って甦ってくる。その意義の大きさは計り知れないものがあります。

何を以て「美しい日本語」と為すかは、人それぞれです。
しかし先述の、「読書百遍」に繋がる時代の日本語…語感と音読した時に解き放たれる美しさ。それが凝縮された一冊を、この機会を得てご紹介したいと思います。

「名訳詩集 新装版─青春の詩集 外国篇」(西脇順三郎 編/白凰社)

弱輩のわたくしが殊更に申すのもどうだろうか…気が引けるのですが、この一冊の中には文語的な表現や語彙、古い仮名遣いの美しさがぎっしりと詰め込まれているのです。
編者の西脇順三郎自身、戦前戦後の著名な詩人であった事もあり、絢爛たる翻訳の数々が編まれています。
連なる訳者を眺めても、森鴎外、二葉亭四迷、夏目漱石と言った文学史の授業で馴染み深い文人から、上田敏、土井晩翠、永井荷風、蒲原有明、有島武郎、はた、高村光太郎、日夏耿之介、竹友藻風、堀口大學、西條八十、矢野峰人、西脇順三郎、鈴木信太郎、三好達治、神西清、中原中也…まだまだ枚挙に暇がありません。
そうした人々による名訳で、欧米の様々な詩を鑑賞出来るのが、この一冊なのです。

「…さはれさはれ 去年の雪 いまは何處」(ヴィヨン/鈴木信太郎訳)
「昔ツウレに王ありき…」(ゲーテ/森鴎外訳)、
「山のあなたの空遠く…」
(ブッセ/上田敏訳)、
「秋の日のヴィオロンの…」
(ヴェルレーヌ/上田敏訳)

…など、何処かで耳の奥底に残るフレーズが溢れています。

たとえ意味の上では馴染みが無くとも、音読してみるとそのリズムがなんと美しいことか。
「読書百遍」を自ずと実感する瞬間です。
そして、ただ活字を眺めているだけで、それだけでも美しいと感じられるような文が幾つも存在します。言うなればこの「名訳詩集」は、日本語表現のロマネスクなのかも知れません。

わたくしが殊の外好きなのは、フランソワ・ヴィヨンのバラッド、「疇昔の美姫の賦」です。
「さはれ、今何處、いかなる國に在りや…」と始まり、先述の「さはれさはれ 去年の雪 いまは何處」と云う、呪文のような惹句のルフランで歌い継がれる「疇昔の美姫」達の姿…。

昔の人々は好きな詩の幾つかを暗誦していた、と聞きますが、こうした「美しい日本語」の姿に触れると、それがさもありなんと思われるのです。
 
 
続編記事>>「落花の雪」─ふたたび、美しい日本語
 
 

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Monday, November 08, 2004

ムチャクチャな盤遍歴

わたくしがクラシック音楽の魅力に開眼したきっかけは、幼時に聴いた一枚のレコードでした。亡父が所有していた中の一枚、ヤッシャ・ハイフェッツが演奏するサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」が、それです。これは圧倒的な名演で、その後レビンやパールマンの録音も聴きましたが、ハイフェッツの印象を上回る演奏には未だ出逢っていません。

やがて小学校も高学年になると、大分と漢字も読めるようになったものですから、LP盤記載の解説文にも関心を向けるようになりました。当然の如く「ツィゴイネルワイゼン」についても、多大な関心を抱きながら楽曲解説を読んだ次第。そこで目に留まったのが、次のような記述、
「…サラサーテ自身も優れたヴァイオリニストでした。ビクターの古いカタログには、サラサーテが録音した『ツィゴイネルワイゼン』のレコードが掲載されて…」
云々、といった内容です。
子供心にこの事実は大きな衝撃を与えました。そして、「作曲した本人が演奏した録音が残っているなら、それが一番いい演奏に違いない」という結論に到達するまで、さほど時間はかかりませんでした。

程無く中学校に上がり、わたくしも漸く月々の小遣いというものを貰うようになります。父親のレコード頼みだったクラシック音楽への関心を、自らのものとする機会の到来というわけです。出だしは情報も少なく、可愛らしくも(?)「とりあえずカラヤン」という買い方をしていたのですが、通学路の書店で面陳してあった一冊の書物が、わたくしを一息に魔の道へと引き込んだのです。
その「運命の一冊」こそ、音楽之友社刊の「クラシックCDカタログ」でした。実に1000ページ以上にも及ぶこのカタログは、「レコード芸術」掲載の盤評を基に編集されており、盤評要約と「特選盤・推薦盤」、更に音質採点までが1枚1枚に附記されているのです。
その後、レコード各社からの抗議(よくよく考えてみれば、カタログに盤評が載っているというのは不公平に思われますよね)でも受けたのか、1990年代前半にはこのカタログの刊行もストップしてしまいました。
ともあれ、このカタログは未だに重宝しています。今や大半が廃盤ですが、データブックとしての参照性の高さは抜きん出たものです。
昨今のネットオークションで高嶺の花となっている、ムラヴィンスキー指揮のショスタコーヴィチ/交響曲第8番(1982年ライヴ/PHILIPS)などを目にすると、さすがに当時の不見識を呪いたくもなりますが(^^;

話を本題に戻しましょう。
そのカタログ巻末の演奏家別索引(50音順)で、わたくしが真っ先に調べ上げたのは、思い付く限りの作曲家名でした。当時でもさすがにモーツァルトやベートーヴェン自身の録音が残されているとは思わなかったので、少なくとも20世紀まで存命していた人が対象です。
残念ながらサラサーテの自作自演はCDになっていなかったものの、リヒャルト・シュトラウスが見つかりました。シベリウスも、ストラヴィンスキーもありました。当時、器楽演奏には殆ど関心が無かった(サラサーテは例外)ので、リストアップするのは指揮による自作自演が中心です。
その結果、まず目星を付けたのが、ラヴェル指揮/ラムルー管弦楽団による「ボレロ」と、プロコフィエフ指揮/モスクワ交響楽団による「ロメオとジュリエット」第2組曲とがカップリングされたCD(PHILIPS)。
近辺で在庫している店舗が無いので、品番メモを携えて駅前のCD店へ発注に行きました。1週間ほど経って、遂に現物が入荷、ラヴェル自身が指揮する「ボレロ」、期待が高まります!

しかしながら、聴き慣れぬ戦前SPの復刻に接した結果は、火を見るよりも明らかです。
なんやこれ…」以外の感想が出る筈もなく、戦前映画のサウンドトラックのような音質を前に、ただ呆然とするほかありませんでした。
ラヴェルの指揮ぶりが、これまた実に無愛想で、あの小気味良いスネア・ドラムなど、殆ど聴き取ることが出来ません。この演奏の真価に気付いたのは、ずっと後になってからの事です。
しかし、そこで懲りていれば良かったものを、ラヴェルの自作自演を以て、古い録音に対する免疫を身に付けてしまったのです。カタログの中にめぼしい自作自演を見出しては、発注する、という事を繰り返す日々が続きました。

そんなわたくしに、更なる転機が到来します。
この時も父親が一緒だったと思うのですが、まだ河原町通の大黒町にあった頃の、十字屋の三条店を訪れたのです。2階のクラシック専門フロアに上がると、見たこともないようなCDがずらりと並んでいるではありませんか。
これぞまさしく、「輸入盤」なる概念との邂逅でした。しかも、そこで真っ先に目にしたタイトルが、実にマズかった。国内では発売されておらず、その存在すら知らなかった、ホルスト指揮の「惑星」を復刻したCDが、それです。
これを機にわたくしは、「輸入盤ならもっと凄い音源が手に入る」という事実を知ってしまったのです。
魔の道は、更に奥へ奥へと続きます…。

手探りを続けているうちに、録音を遺している作曲家と、そうでない作曲家との年代的な区分が朧気ながら判り始めてきました。関心の方向性が定まると、それに見合った情報が自然と集まるものです。
わたくしに大きな指針を与えたのは、レオンカヴァルロ自身のピアノ伴奏が目当てで購入した、エンリコ・カルーソーの最初期録音集でした。
EMIのGRシリーズから発売されていたそのCDの解説書には、カルーソーが1902年に初録音を行った際の経緯が詳細に述べられていました。わけても目を惹いたのは、
「録音当時、蓄音機はまだ『音の出るオモチャ』程度の認識に止まっていた。1902年に録音された、カルーソーによる10面の録音が大ヒットしたことで、レコードは漸く音楽の鑑賞媒体としての地位を確立したのである…」
といった旨の記述です。わたくしの中に「1902年」という年号が、録音の有無を左右する重大な分岐点として深く刻印されました。

知識は更に細分化されてゆきます。
父がマーラーを殊の外愛好していた事から、わたくし自身の関心もまた、比較的早い時機にこの作曲家へと向けられることとなりました。
新潮文庫刊の「カラー版作曲家の生涯/マーラー」を買ってきて、本がクタクタになるまで読み返したのも、今となっては懐かしい思い出です。
このシリーズは単に作曲家の伝記のみに止まらず、当時の音楽界に於ける群像をも描き出した、非常に優れたものでした。豊富な図版に見入りつつ、わたくしはマーラーの波乱に満ちた生涯に惹き付けられていったのです。
不思議な事に、わたくしの関心の対象となったのは、マーラーの作品そのものではなく、指揮者としてのマーラーの姿でした。ビューローやブラームスを感歎させたというその演奏は、一体如何なるものだったのか。
マーラーが指揮した録音の有無に対する、新たな探求が始まりました。手始めに、先述のCDカタログの中から、手当たり次第に古い管弦楽の録音を探したものの、どれだけ遡ってもせいぜい1920年代止まりです。マーラーが没したのは1911年、これでは録音どころではありません。

そんなわたくしが探り当てた(…てしまった?)CDが、ベルリン・フィル第2代常任指揮者、偉大なるアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)が1913年に録音した、ベートーヴェンの「運命」だったのです。1913年という録音年は、他の様々な歴史的録音に比べると抜きんでて古く、兎にも角にも買って聴いてみよう、という結論に至りました。
初めてこの録音を聴いた時の衝撃と言ったら、ラヴェルの自作自演など比較になりません。埃まみれさながらの頼り無い音質に、ただ愕然とするほかありませんでした。
なぜこの録音はこんなに音質が悪いのか、いくら古いとは言っても、1926年録音のホルストの「惑星」は、もっと聴ける音質だった(この録音を既に『聴ける音質』と位置付けている中学生なんて…)じゃないか。
その疑問に対する答えは、故・岡俊雄氏による解説文中にありました。すなわち、レコード録音史は1925年のマイクロフォン実用化以前と、以後とで大きく分かれる、ということ、そして、マイクロフォンの実用化以前には、アクースティック録音(機械録音)という、メガホンと振動板を用いた原始的なカラクリでレコード録音が行われていたということ。更にショッキングだったのは、このニキシュによる1913年の録音こそが、有名指揮者とオーケストラによる初の本格的なレコードであった、という事実です。これでは、マーラーの録音など遺されていよう筈もありません。
1902年に続いて、1913年という年号が深く深く記銘されました。
メープルソン・シリンダーに録音された、フェリックス・モットル(1856-1911)のライヴ(1904年)や、フランスのパテ社が縦振動レコードに録音した、エドゥアール・コロンヌ(1838-1910)の演奏(1906年)の存在を知ったのは、青春の花も嵐も踏み越えた、その更に後の事でございます。

ともあれ、ヴァイオリニストとしてワーグナーやリストの指揮を経験し、指揮者となってからはブルックナーやブラームス、チャイコフスキーから絶大な信頼を寄せられたというニキシュ、その録音に接した事 は、わたくしにとって大きな転機となりました。わたくしがクラシック音楽を聴く上で、未だに大きな指標となっている、「作曲家が認めた演奏家の録音」への探求が、ここに始まるのです。
その後の長い期間、わたくしは楽曲を選ぶよりも先に、可能な限り古い世代に属する演奏家の録音を買い求めるようになりました。

さあ、今回のタイトルに掲げた「ムチャクチャな盤遍歴」を一挙公開です。
生まれて初めて「全曲」に接した録音が、いわゆる「歴史的録音」だった有名楽曲を思い付くままにリストアップ致しました。嘘偽り、事実改変等は一切ございません。
( )内は録音年を表しています。

◎J.S.バッハ
「トッカータとフーガ」ニ短調 ─ アルベルト・シュヴァイツァー(1936)

◎モーツァルト
交響曲第40番/同41番 ─ リヒャルト・シュトラウス指揮/ベルリン国立歌劇場o(1928/1926)

◎ベートーヴェン
交響曲第3番「英雄」 ─ フェリックス・ワインガルトナー指揮/ウィーンpo(1936)
交響曲第5番「運命」 ─ アルトゥール・ニキシュ指揮/ベルリンpo(1913)
交響曲第6番「田園」 ─ フランツ・シャルク指揮/ウィーンpo(1928)
ピアノ・ソナタ第14番「月光」 ─ イグナツ=ヤン・パデレフスキ(1937)

◎ウェーバー
歌劇「魔弾の射手」/「オベロン」序曲 ─ ニキシュ指揮/ロンドンso(1914)

◎シューベルト
交響曲第8番「未完成」 ─ ブルーノ・ワルター指揮/ウィーンpo(1936)
交響曲第9番「グレイト」 ─ レオ・ブレッヒ指揮/ベルリン国立歌劇場o(1928)

◎ショパン
ピアノ・ソナタ第2番「葬送」 ─ セルゲイ・ラフマニノフ(1930)
夜想曲第2番 op9-2 ─ ヴラディミル・ド=パッハマン(1915)
前奏曲第15番「雨だれ」 ─ ド=パッハマン(1923)
ポロネーズ第6番「英雄」 ─ パデレフスキ(1937)
練習曲第3番「別れの曲」 ─ パデレフスキ(1928)

◎シューマン
交響曲第2番/第4番 ─ ハンス・プフィッツナー指揮/ベルリン国立歌劇場o
謝肉祭 ─ レオポルド・ゴドフスキ(1929)

◎リスト
「パガニーニによる大練習曲」第3曲「ラ・カンパネッラ」─ パデレフスキ(1912)

◎ブラームス
交響曲第1番-第4番 ─ ワインガルトナー指揮/ロンドンso/ロンドンpo(1938,1940)

◎サン=サーンス
交響詩「死の舞踏」 ─ オスカー・フリート指揮/ベルリンpo(1928)

◎チャイコフスキー
交響曲第6番「悲愴」 ─ メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウo

◎マーラー
交響曲第2番「復活」 ─ フリート指揮/ベルリン国立歌劇場oほか(1924)

◎リヒャルト・シュトラウス
交響詩「英雄の生涯」/「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」
 ─ リヒャルト・シュトラウス指揮/ベルリン国立歌劇場o/バイエルン国立o(1926,1940)

◎ラフマニノフ
ピアノ協奏曲第3番
 ─ ラフマニノフ(ピアノ)/オーマンディ指揮/フィラデルフィアo(1941)

◎ラヴェル
ボレロ ─ モーリス・ラヴェル指揮/コンセール・ラムルーo(1930?)

◎プロコフィエフ
「ロメオとジュリエット」第2組曲
 ─ セルゲイ・プロコフィエフ指揮/モスクワso(1938)


反抗期の真っ直中、一頃確かに意地になっていたと思います。
今でこそナクソス・ヒストリカルで1000円も出せば手に入る音源も少なくありませんが、当時はPearlやKoch、Preiserのような歴史的録音専門のレーベルを片っ端から当たって、苦労の末にこうした音源を聴いていたものです。
輸入盤ばかり買っていた割に、英語の成績はさっぱりでした…(^^;

それにしてもこのラインナップ、さながらクラシック音楽の「大正野郎」ここにあり、といった感じですね。

所有している音源が古い録音ばかりと言うことで、ちょうど多感な時期だった事から、それなりに苦い経験もありました。
特にショパンとリストはなあ…女の子から「貸して」って頼まれたことが、何度もあるんですよ…。
勿論お貸ししましたよ、ド=パッハマンも、パデレフスキも!

結果はまあ、ご想像にお任せ致します…(*ノ-;*)

紆余曲折を重ねた盤遍歴も、現在ではそれなりに落ち着く処へ落ち着いております。
様々なご依頼にも、ちゃんとお応え出来る…筈です。

…ちょっとあやしいかな。
 
ちなみに、全ての出発点となったサラサーテの自作自演「ツィゴイネルワイゼン」は、その後英OPALからの復刻盤にて聴く事が叶いました。
現在は
"The Great Violinists-Recordings from 1900-1913"(TESTAMENT SBT2.1323)
に、より聴きやすい音質で復刻されています。
サラサーテとヨアヒムは残された全ての録音を収録、その他にもバルツェヴィチやグリゴローヴィツと言った珍しいヴァイオリニストの音源を聴く事が出来ます。

このCDは以前の記事、フランツ・フォン・ヴェチェイ(ヴェッチー)でもご紹介致しました。
 
 

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Monday, October 11, 2004

隻眼のマッド・バロン

ロマン=ニコラウス・フョードロヴィッチ・フォン=ウンゲルン=シュテルンベルグ男爵(Baron Roman Nikolaus Feodorovitch von Ungern-Sternberg/1885-1921)という、帝政ロシア末期の軍人があります。
これが、混迷を極めたロシア革命史の中にあって、一際異彩を放つ怪人物なのです。
わたくしは、岩波文庫の「トゥバ紀行」(メンヒェン=ヘルフェン/田中克彦訳)によって、初めてウンゲルン男爵の存在を知りました。
本文と注釈中の決して多くはない記述を総合しても、現代史離れした無軌道な生き様が垣間見えて、関心は尽きません。

ウンゲルン男爵は1885年、エストニアに生まれました。自身が語るところによれば、その家系は12世紀にロシアに侵攻したドイツ騎士団に起源を持ち、さらに匈奴の血をも引いているということです。
ロシア革命の混乱期、男爵は当初シベリアで白軍の部隊を指揮していました。しかし、赤軍に追われたことでモンゴルのクーロン(庫倫/現ウランバートル)へと転進します。そこで男爵は、モンゴル在来の中国人を放逐して、反革命の拠点、ひいては自らの帝国を興すことを画策するのです。寄せ集めの部隊1000人(2000人とも)を率いた男爵は勝敗を繰り返しながら、遂にはクーロン攻略に成功しました。モンゴル人は当初、長く続いた中国人支配からの解放者として、男爵を大歓迎したといいます。
しかし男爵の統治は残虐極まりないもので、程なく完全に人心を失うことに。やがて侵攻してきた赤軍との戦いに度重ねて敗れ、1921年、護送先のノヴォシビルスクで銃殺されました。

日本語で男爵の名を目にする機会というのは、専らモンゴル史に関する文献が中心です。「隻眼のマッド・バロン」という異名で呼ばれていたとか、その部隊には100人にものぼる日本人が参加しており、「日の丸大隊」と称していた─など、断片的な情報は見出せても、まとまった伝記に逢着することはありません。
海外サイトで発見した肖像は、エピソードに違わぬ悪相ぶりを呈しています。何やら風格すら漂わせているではありませんか。

ungern.jpg

なお、モンゴルにおける男爵の活動と人となりを諸外国に知らしめたのが、ポーランド出身の探検家、フェルディナンド・オッセンドフスキ(またはオッセンドウスキ/1876-1944/Ferdinand Ossendowski)です。
彼はロシア革命からの亡命の途上、ウンゲルン男爵の知遇を得て、一時期をその帷幕で過ごしています。
オッセンドフスキの記述によると、男爵はオカルトにのめりこんだ半狂人で、殺した人間の生き血を飲んだりしていたとか。西欧では未だにこのイメージが定着しているようで、ルーマニアの「串刺し公」ヴラド・ツェペシュや、ハンガリーの「血の伯爵夫人」エリザベート・バートリーと並んで、実在人鬼の系譜に加えられることも少なくありません。
しかし、「トゥバ紀行」のメンヒェン・ヘルフェンは同著の中で、それら全てが虚構であることを喝破しています。そもそもオッセンドフスキ自身が、地底王国の存在をレポートするなど、胡散臭さ溢れる人物なのですが…。
ともあれ、ウンゲルン男爵が常軌を逸した残虐性の持ち主であったことは確かなようです。


さて、ウンゲルン男爵、ごく最近になって知ったのですが、フランスのアニメーション映画に登場しているらしいのです。

その作品はコルト マルテーズ(Corto Maltese)
ユーゴ・プラット(Hugo Pratt/1927-1995)原作の大ヒットコミック(フランスではバンド・デシネ-Bande Dessineeと呼ぶ)のアニメーション化で、今年の前半に日本でも配給されたとのこと。寡聞にして知りませんでした。
詳しくは前掲サイトをご覧頂きたいのですが、とにかくこの作品、一度観たくてたまらない! 
舞台設定、登場人物、キャラクターの造形、見れば見る程、個人的なツボを押さえ切った雰囲気を漂わせているのですよ~o(>_<)o

DVDが国内発売されているとのことなので、購入を真剣に検討しているところです。

スタッフに目を移して気付いたのですが、マリー・トランティニャンが声優として出演しているのですね。
この人の最期は、本当に気の毒なものでした。
胸が痛みます。


続編記事>>コルト マルテーズ(Corto Maltese)
 
 

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Thursday, September 16, 2004

光なき海─ホアン・ブレーバ(その2)

前回に引き続き、ホアン・ブレーバ(1844-1918)の第2回目記事、今回は残されたレコードについてです。

ブレーバの復刻には、まずフランスのMANDARAレーベルがCD1枚を割きました。しかしながら、これは同一音源の重複やドン・アントニオ・チャコン(1869-1929)の古い録音を混同した粗雑な代物。通して聴いて甚だ落胆した記憶は、わたくしの中で未だに生々しいものです。
その後、ブレーバの全録音は、スペインのPRODUCCIONES arによる「カテドラ・デル・カンテ」(CATEDRA DEL CANTE)というシリーズ中に復刻されました。これは正真正銘、残された10面のレコードに基づくものです。
ただ、この復刻についても泣き所があります。シリーズ全体を通して言えることなのですが、トランスファーが雑なのか、ノイズが多く残留している割にカサカサとした音質で非常に聴きづらく、歌い手の存在感がかなり削がれているのです。
それでも目下の所、ブレーバの全音源を収めた復刻盤は他に存在しないので、存在価値は非常に高いと言えるでしょう。

実は、ブレーバの録音を聴くにあたって、全てを差し措いてお勧めしたい復刻があります。
日本国内のEsutudio Cascorroから発売されている、グラン・クロニカ・デル・カンテ(Gran Cronica del Cante)というシリーズに収録されたものが、それです。ここでブレーバの録音は、第2集と第4集に、各2トラックずつ聴くことができます。
詳細情報と購入方法についてはアクースティカ該当ページをご覧下さい。
このシリーズは、全トラックに歌詞と対訳、そしてきわめて浩瀚で含蓄のある解説が付されている点で比類がありません。そして何よりも、聴く者を歌い手の芸境へと導く大きな力が、解説文中には満ち溢れています。

ブレーバのレコードでは、カンテ(歌)・フラメンコには比較的珍しい演奏スタイルが聴かれます。ここで伴奏を担っているのは、伝説的なフラメンコ・ギター奏者ラモン・モントージャ(Ramón Montoya/1879/1880-1949)なのですが、その傍らではブレーバ自身もギターを奏でているのです。
歌のみならずギターも巧みだったというブレーバ、その音色を録音からつぶさに聴き取ることは難しいのですが、1860年代生まれの奏者を聴くことさえ難しいフラメンコ・ギターの録音史にあっては、大変貴重な記録と言えそうです。
達人モントージャもここでは比較的シンプルなスタイルを取っていて、ほとんどコード弾きに近いブレーバのギターとの間に、素朴な調和を現出しています。
ただ、ここで言う「素朴」とは、あくまでも演奏上の効果、という程度の意味であるとお考えになって下さい。

むしろわたくしはブレーバのレコードを聴いていると、常に宿命に煽られ続けているかのような、人を安住させない何かが感じられてなりません。ローカルな舞曲の俤を残した古いマラゲーニャ、ベルディアーレスのみならず、ソレアーの中にも、全ての録音に於いて同様のものを…。

ロルカが"voz de niña"と形容した歌声は、確かに男性歌手の中にあって高い声域に属するものです。そこからは澄み渡った叙情が絶えることなく溢れているのですが、決して甘美さに終始する性質のものではありません。
それはまるで、尽きない水を思わせる歌、小さな泉などではなく、もっと遠く深い処から届く水音。

歌声に誘われて巡る想念が、再びロルカの言葉に戻ったとき、わたくしは総身が震えるような感動を覚えます。

嘆き、レモン、涙、海の塩─
─光なき海、しぼられたオレンジ…。

 
 

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Wednesday, September 15, 2004

光なき海─ホアン・ブレーバ(その1)

Juan Breva tenía
ホアン・ブレーバは持っていた
cuerpo de gigante
巨人の体と
y voz de niña.
少女の声と。
Nada como su trino.
たとえようのない、そのさえずり。
Era la misma
それはまさしく、
pena cantando
笑顔のうしろでうたっている
detrás de una sonrisa.
嘆きそのもの。
Evoca los limonares
ねむれる女、マラガの街の、
de Málaga la dormida,
レモンの木々を思わせる、
y hay en su llanto dejos
その涙にあるものは
de sal marina.
海の塩の後味だ。
Como Homero cantó
あのホメロスのように、
ciego. Su voz tenía,
盲目となって、うたった。
algo de mar sin luz
その声は、光なき海、
y naranja exprimida.
しぼられたオレンジのようだった。


<フェデリコ・ガルシア=ロルカ 『カンテ・ホンドの詩』より『ホアン・ブレーバ』>


スペインはグラナダに生まれた詩人、フェデリコ・ガルシア=ロルカ(1898-1936)。
フラメンコに想を得た詩編「カンテ・ホンドの詩」(Poema del cante jondo/1921)は、その創作の前期を代表する作品です。ショスタコーヴィチの交響曲第14番「死者の歌」では、「深き淵より」と「マラゲーニャ」の2篇がテキストとして用いられています。
上掲の詩は作中からの一篇、マラガ出身のカンタオール(フラメンコ歌手)、ホアン・ブレーバ(Juan Breva/1844-1918)に寄せられたものです。

この詩編の中には、シルベリオ・フランコネッティ、ドローレス・"ラ・パラーラ"、アントニア・"ラ・ローラ"、そして、ホアン・ブレーバといった、実在したカンタオール/カンタオーラ(女性のフラメンコ歌手を表す語)の名が登場します。いずれも19世紀に活躍した名人ばかり、詩が生まれた時には既に、その歌の俤は古老の昔語りの中へと収められつつありました。
しかしロルカは、貝殻の奥底に眠る海、その響きを聴くかのようにして、彼らの歌を、姿を甦らせたのです。

わたくしの手許には長谷川四郎による名訳、「ロルカ詩集」(みすず書房)がありますが、「カンテ・ホンドの詩」からの抜粋中、上述の人々を描いた作品は残念ながら一篇も収録されていません。
冒頭に掲げた対訳は、恥ずかしながら、この機会の為にわたくしが手掛けたものです。
拙い作品を皆様のお目にかけることも、原詩の魅力に少しでも近付きたい一心からのこと、どうぞ御斟酌下さいませ…。


数ある中からホアン・ブレーバを殊更に取り上げたのは、同作品中にあって恐らく唯一、レコードを遺している人物だからです。
ブレーバは、1910年に5枚10面のレコードを吹き込みました。フラメンコという音楽ジャンル全体を見渡しても、ブレーバは商業録音を行った最年長者に属するものと思われます。

また、同時代のカンタオールの中にあって、ブレーバはその人気と名声で突出した存在でした。
高い技量を持ちながらも、大衆的な人気に背を向けて自らの道を貫いた人が多く存在する一方で、ブレーバの音楽活動は、より外へ外へとの志向と共にあったようです。
1890年代、豊かな財力と人脈を駆使して、名だたる音楽家や名士のレコードを、当時としては奇跡的な高音質で製作したジャンニ・ベッティーニ。そのカタログの中には、アデリーナ・パッティ、リーナ・カヴァリエリ、ジャン・ド・レシュケといった、オペラ史に燦然と輝く大スターと共に、ホアン・ブレーバの録音が記載されています。
ただ、肝心のレコード(正確には蝋管)そのものは、他の貴重な音源共々、戦災で焼失してしまったようですが…。

そして何よりも、ひとたびならずスペイン王室の御前で歌った、という事実が、当時ブレーバの名声が如何に高いものであったか、ということを端的に示していると言えるでしょう。


さて、今回は当ウェブログを立ち上げて以来初めての、フラメンコ関連の記事となりました。
その嚆矢としてホアン・ブレーバを取り上げたのですが、我がことながら驚く程に思いの丈が横溢していることを実感した次第です。
文面の長さを1回分相応で止めるためにも、レコードの感想は次回記事へと繰り延べることに致します。
どうぞ、よろしくお付き合いの程お願い申し上げます。
 
 

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