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此所に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
幕藩体制期に於ける「大名」の概念は「表高一万石以上」ですから、アクセス数を石高と読み替えれば当blogも晴れて立藩と相成る訳です。
著名な一万石大名と言えば、どのようなお家が連想されるでしょうか…?
このような石高の場合、多くは大大名の分家や飛地領立藩だったりするのですが、その一方で個性豊かな単立大名も少なからず見受けられます。
大和柳生藩主・柳生家は有名ですね。柳生但馬守宗矩が一万石で大名に取り立てられ、そのまま転封も無く明治維新まで柳生藩にて存続しました。北条早雲の家系、後北條氏も氏康の五男、氏規の家系が河内狭山藩主として同様に転封も無く、明治維新まで存続。
また、老中田沼意次で知られる田沼家も、意次失脚後の消息はあまり語られませんが、数回の転封を重ねつ、一万石の藩主として明治維新まで存続しています。
こうした大名は悉くが「陣屋」と言われる屋敷を政庁として領地に構えています。幕藩体制下では、三万石以上が「城主」扱いで、それに満たない石高の大名は通例築城を行わず、陣屋を本拠としたのです。
大名陣屋は城郭に比べると建造物の現存数が極めて少なく、往時の体裁を偲ばせる史跡は極めて稀です。最近になって漸く、観光資源として復元整備に着手する自治体も現れ始めましたが、時代が平成に移ってなお、現存する建造物が虚しく取り壊されたケースも見受けられます。一目でそれと判る「城」に比べると、どうしても軽視されてしまうのでじょうか。残念な事です。
ただ、表高一万石でも「城主」であると云うケースも僅かながら存在します。
美濃苗木藩主・遠山家の場合がそれで、天然の岩山の上に石垣を設けて築城された苗木城は非常に立派で大規模な城郭です。一万石でこれほどの城郭を維持するとなると、藩財政は圧迫され通しだったのでは無いでしょうか。
それはそれとして、ちょうど一万石の大名家の財政状況を偲ばせる、手頃かつ優れた書籍があるのでご紹介致します。
◆伊予小松藩会所日記(増川 宏一/集英社新書)
伊予小松藩主・一柳家の政務記録である「会所日記」を元に編まれたこの書籍は、あまり光の当てられない小藩経営の実態が鮮やかに活写されており、興味深いです。
街道沿いに商店が数軒並んでいる所が藩内では「街」と呼ばれる。そんなささやかな規模ながら、やはり機能的には全て独立独歩の施政が執り行われていた、箱庭的な世界観。
そして、その中で随所に伺われる人間模様の有様は、殊更に専門的な関心を持たずとも、非常に面白く読まれるのでは無いでしょうか。個人的にオススメの一冊です。
それにしても、一柳(ひとつやなぎ)って格好良い姓だなあ…なんて思ったりするのですが。
さてさて、つらつらと駄文を連ねて参りましたが、次なる野望は三万石、城主格への昇格です。
あまり気負うとしんどくなる…と云う経緯はこれまでの道程でしばしば経験したので、マイペースに目指して行きたいと思っています。
今後とも宜しくお願い致します。
2005.3.19
一万アクセスを記念して
感謝と共に Tando
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