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Thursday, November 19, 2015

ロバート・クラフト逝去(2015年11月10日)

 ストラヴィンスキーの晩年、深い信頼関係で結ばれた師弟であった、アメリカの指揮者・音楽評論家、ロバート・クラフト(Robert Craft)が、さる11月10日にフロリダ州ガルフストリームの自宅で逝去したとの報である。92歳。

The Telegraphの訃報

 天寿と言うべき御歳とは言え、痛惜の念は尽きない。
 謹んで哀悼の意を捧げたいと思う。

 Columbiaには未だCD化されていない、ストラヴィンスキー以外の音源(ドビュッシー『ビリティスの歌』など)も存在する。近日発売予定のユージン・イストミンや、先年亡くなったチャールズ・ローゼンの音源と同じように、ロバート・クラフトのColumbia音源集成ボックスの発売が実現すれば、せめてもの慰めになるのだが。

 このブログを御覧になっていて、未だロバート・クラフトに邂逅していない御方がいらっしゃるようであれば、ストラヴィンスキーの1962年のソヴィエト帰国公演に帯同したクラフトの指揮による「春の祭典」(Venezia)、ロンドン交響楽団を指揮してデジタル録音された「春の祭典」

だけでもまずはお聴きになることをお勧めしたい。これほど明晰でありながら暴力的な昂奮に満ちた「春の祭典」があったのかと、きっと愕かれることであろう。
 特に前者はVeneziaレーベルの廃盤が続々続いている状況なので、購入不可となる前にご関心の向きにはこの機会のご入手を今一度強くお勧めする。上質とは言えないソヴィエトのステレオ録音と、この類の楽曲に戸惑いながら臨むオーケストラの粗が随所に散見されるものの、それら全ての悪条件を超えて未だに生々しい血の滾りを喚起せしめる不朽の記録である。

 ストラヴィンスキー、親交のあったシェーンベルクをはじめ新ヴィーン楽派から、ヴァレーズまでを徹底的に明晰に演奏する一方で、モンテヴェルディやジェズアルド、バッハの合唱曲に目の覚めるが如き清新な解釈を見せた、実にユニークな指揮者であった。
 バーンスタインとはまた異なる、「アメリカの偉大な指揮者」の在りようを、私は常にロバート・クラフトに対して見ていた。
 
 暫くの間は、大きな喪失感と共に過ごすことになりそうだ。
 
 R.I.P Robert Craft(October 20, 1923 – November 10, 2015)

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Monday, August 25, 2014

「銀璧亭」10周年

 2004年の8月25日にこのココログ「銀璧亭」を始めてから、本日をもちまして10周年と相成ります。
 
 十年一昔と申しますが、確かにあまりにも多くのことが変わりました。
 
 久々に力を込めた記事を掲載したいところですが、見合うネタが咄嗟には思い付かないのと現状では記事をまとめる気力が続かないのとで、このまま静かに里程標を据えるにとどめようと思います。

 巷間、mixiやTwitter、Facebookと自己発信のツールが変遷していく中で、nifty「ココログ」はよくぞ旧状との大差もなく維持されているものだと敬服致します。
 そして10年の歳月の間、このココログ「銀璧亭」を通じての様々な御高誼に衷心より感謝申し上げたいと思います。

 本当にありがとうございます。

 開店休業状態が長く続いておりますが、更新の意欲まで尽きてはおりません。
 興が高じた折節に記事掲載を継続していく所存です。
 今後とも宜しくお願い致します。

 感謝とともに Tando

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Wednesday, January 15, 2014

「録音歴60年」を達成した演奏家たち

 ここでは特にクラシック音楽に趣旨を限定します。ジャンルの裾野を広げると際限がなくなってしまいまそうなので。

 先日久々に、ピアニストのヴィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus/1884-1969)のデッカ音源のCDを何枚か取り出して(……と言うか山積みの中から掘り出して)聴いていました。
 彼は契約したデッカが早くにステレオ録音技術を導入したこともあり、この世代のピアニストとしては異例と言える分量のステレオ音源を遺しています。
 その掉尾を飾るのが、1969年の6月26日と28日に録音されたライヴ録音「最後の演奏会」です。6月28日の演奏会を体調不良で短縮して終えた後、7月5日にバックハウスはピアニストとしての一生を全くして長逝しました。
 ここで私がふと思い起こしたのは、バックハウスの生涯初録音でした。これはG&Tのロンドンのスタジオで1908年の9月29日と10月19日に録音された10数面のSPレコードです。録音時、バックハウスは24歳でした。未発売音源を除いたその大半は現在CDに復刻されており、容易に鑑賞することが出来ます。
 1908年の初録音から1969年の生涯最後の演奏会まで、そのスパンは実に61年です。
 仮に「演奏歴」で60年という実績を誇る人があれば、既にそれは非凡なものです。
 しかし更に「録音歴60年」ともなると、運や巡り合わせにも左右されますから、益々稀有な記録であると言えるのではないでしょうか。
 特にバックハウスの場合は、年端も行かない神童としての1908年の初録音ではなく、既に少壮ピアニストとしてのそれなのですから、「録音歴60年」は一層凄みがあります。



 これに伍する大記録の保持者としては、生涯現役を貫徹した指揮者レオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski/1882-1977)の名を挙げぬ訳にはいきません。
 ストコフスキーの初録音は1917年、フィラデルフィア管弦楽団と共にVictorへ録音したブラームスのハンガリー舞曲第5番と第6盤のSP両面盤です。そして彼は1977年6月に生涯最後の録音、ビゼーの交響曲ハ長調とメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を遺し、同年9月13日に95歳で亡くなりました。
 言ってみれば独りでも演奏行為が成立する器楽奏者とは異なり、指揮者はタクトに従う楽団が無ければ用を成しません。指揮台に立つということは、希少な例外を除けばそれなりに音楽家としても人間としても成熟した年齢に達していることを意味しています。そういう職能で「録音歴60年」というストコフスキーの記録はまさに非凡なものと言えるでしょう。

 さすがにこの「録音歴60年」の記録、指揮者ではストコフスキーぐらいしか達成していないだろう、と心当たりを数え上げていくと、昨年生誕100年を迎えたジャン・フルネ(Jean Fournet/1913-2008)がその記録を超えていてビックリしました。
 フルネの初録音は、恐らく1943-44年録音とされる、ベルリオーズの「死者のためのミサ曲」(レクイエム)です。これは何故か録音期間が年を跨いでいますが、年末年始のセッションだったのでしょうか?
 そして彼の最後の録音は、文字通り「ラストコンサート」、東京都交響楽団との2005年12月20日と21日のライヴ録音。奇しくもここでもプログラムにベルリオーズの作品、序曲「ローマの謝肉祭」が含まれています。ベルリオーズに始まりベルリオーズに終わった訳ですか。初録音からのスパンは実に62年に達します。凄い!



 こうした記録樹立も録音媒体と機会の普及によって、時代が下がるほどハードルも下がるのかもしれません。
 それでも、たとえば近年活躍目覚ましき若獅子グスターボ・ドゥダメルの録音デビューが確か2005年だった筈ですから、1981年生まれの彼は少なくとも2065年、84歳までは現役かつ録音機会を維持しなければ「録音歴60年」を達成できない計算になります。比較的現実的な数字とは言え、絶対とも言い切れない含みがあります。

 録音歴60年。既に達成した演奏家もこれから達成する演奏家も少なからず数えることができるかと思います。
 ともあれ、当世においても尚稀有なる類の記録でしょうから、レコード会社も自社で演奏家が達成した折には” Diamond Jubilee”とジャケットに銘打って華々しく顕彰してもいいのではないかと思います。

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Monday, April 29, 2013

フレデリック・ストック指揮のブラームス・交響曲第3番

ブラームス:交響曲第3番
フレデリック・ストック指揮/シカゴ交響楽団
(1940年11月23日録音/Columbia 11505/9)
※DANTE-LYS112のCD復刻有、現在廃盤。

 フレデリック・ストック(Frederic Stock/1872-1942)という指揮者のことを私は非常に高く買っている。
 シカゴ交響楽団が未だに世界的水準のオーケストラとして通用している基盤は、彼がこの団体を率いた37年間に築かれたものだと言ってもいいだろう。

 ストックは元々、シカゴ交響楽団の創設者、セオドア・トーマス(Theodore Thomas/1835-1905)が楽団員としてドイツからスカウトしたヴァイオリン奏者だった。そのうちにトーマスのアシスタントとして指揮台に立つようになり、才覚を認められるようになる。
 ところがトーマスは1905年に急死してしまう。まだまだこれから、という時期だったようだ。
 楽団は後任に、何としてもネームバリューのある欧州系の指揮者を招聘しようと、フェリックス・モットルやカール・ムック、フェリックス・ワインガルトナーなどに打診をするが不首尾に終わる。
 それでも、誰かが楽団をまとめ続けなければならない。
 その役割を担ったのが、フレデリック・ストックだった。
 そうして、ストックが楽団を切り盛りしているうちに彼の努力は実を結んだ。「ストックのままでやっていこうじゃないか」と。
 叩き上げの下士官が、遂に総司令官に昇り詰めたかのような異例の事態だ。
 ストックの真骨頂は、ここで楽団を沈滞させること無く、超一流のアンサンブルに育て上げた所にある。
 彼こそが、アメリカから生え抜きで生まれた最初の一流指揮者だったのかも知れない。

 私はストックの録音を可能な限りかき集めて重宝しているのだが、そんな中で一際気にかかる音源が、冒頭に掲げたブラームスの交響曲第3番だ。
 この演目とストックとの取り合わせは、演奏史的な意味でもっと重んじられるべきではないかと思っている。

 ストックは、元々はドイツ人である。
 ケルン音楽院でヴァイオリンと作曲とを学んだ。
 1歳年長のメンゲルベルクが同時期に在籍していたという。
 一方、この頃の教壇には、作曲家のフンパーディンクの他、フランツ・ヴュルナー(Franz Wüllner/1832-1902)がいた。メンゲルベルクは、かのアントン・シンドラーの弟子だったヴュルナーの指導を仰いだことで「自分はベートーヴェンの直系弟子」と公言していた由。ストックもまた同じ事実が該当する訳である。
 1887年に卒業した後、ストックは地元ケルンのオーケストラにヴァイオリン奏者として入団した。
 様々な略歴では”Orchestra of the City of Cologne”などとざっくばらんに紹介されがちだが、このオーケストラこそ実はケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団なのである。彼は1895年までこの楽団に在籍する。この期間に彼はブラームスやチャイコフスキーの客演を経験している。
 のみならず、1892年までの音楽監督ヴュルナーと、1892年以降の後任、フリッツ・シュタインバッハ(Fritz Steinbach/1855-1916)の采配を楽団員として経験しているのだ。
 色々とストックにまつわる記録を洗っていて、このシュタインバッハとの接点を探り当てた時、私は思わず戦慄を覚えた。

 フリッツ・シュタインバッハ。
 とうとう録音を遺さなかったこの指揮者は、ブラームスの交響曲を愛聴する後世の者にとっては、殆ど呪縛のような存在だ。
 あのトスカニーニが「1909年にミュンヘンで聴いたシュタインバッハのように」ブラームスの交響曲第3番を未だ指揮することが未だに出来ない、と嘆いたのは1935年に英国BBCへ客演した時の事だという。
 シュタインバッハは一体、如何程見事にブラームスの交響曲を指揮したのだろう!?

 どうも、その解答が、ここで挙げたストック指揮の他ならぬ交響曲第3番の中に秘められているような気がしてならないのである。

 ブラームス自身の指揮も、シュタインバッハの指揮も共に経験したストックなのだ。

 この音源に聴かれるストック晩年の指揮は、楽団の練度共々、殆どパーフェクトに近い。
 例えば彼より丁度10歳年長のウォルター・ダムロッシュが、同じくブラームスの交響曲第2番の録音で呈したような、蕪雑で見通しの悪い演奏とはまるで次元が違う。
 全体像をしっかりと構築した上で、ストックは音楽を実に流麗に進行させていく。この点では、ブラームス自身が高く評価していたというワインガルトナーの同曲録音と共通する情趣がある。だが、両者を比較すると、ストックの演奏の方がなお手際に優れ、かつ音響に重厚さを持たせることに成功しているように聴こえる。そして、ストックの方がより意気軒昂であると感じさせる。
 それでいながら、総じて印象は自然体でしなやかなのだ。
 つまるところ、トスカニーニがモノに出来ないと嘆いたシュタインバッハのやり方とは、音楽の流れの自然さ、しなやかさを損なわないままに、豊かな感情表現を実現させること――、この命題に対するものだったのではないだろうか? 非常に際どいバランスを成り立たせる試みについての核心を捉えた発言だったのではないだろうか?
 私はこのストックの演奏を検分し直して「シュタインバッハの呪縛」からの突破口を遂に見出したような気がする。
 誰の録音が「そうだ」とまでは言い切らないが、シュタインバッハの衣鉢を継いだ名演奏はHi-Fi以降の録音の中にも見出すことが出来るような、そういう手応えをストックの演奏は私にもたらしてくれた。
 
 当時から玄人好みの演目であったろうに、アメリカでよくぞこの録音が実施されたものだと、歴史の巡り合わせに感謝したい。

 繰り返すが、フレデリック・ストックは今なお傾聴に値する指揮者である。


Pay a tribute to the memory of János Starker,
The Great Cellist,
And was a principal cellist of the Chicago Symphony Orchestra.

April 29, 2013

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Friday, November 30, 2012

ジョルジュ・ドン/没後20年-1992-2012

 モーリス・ベジャールという不世出の創造者且つ強大なカリスマを2007年に喪い、そこからのベジャール・バレエ・ローザンヌの新たな歩みを記録した「ベジャール、そしてバレエはつづく」(原題”EL ESFUERZO Y EL ANIMO”/スペイン/2009)というドキュメンタリー映画を年初に視聴した。

 作中、十余作の演目が紹介される中で、序盤早々に「恋する兵士」の映像が登場する。
 ダンサーは同団体所属の日本人、那須野圭右さん。肉体で重力を完全に制御してしまったかの如く軽やかで、ブレの無い、そして朗らかなパフォーマンス。その技量とセンスに感服しながら、2008年の来日公演の際、実際に目にした時に自分が持った印象を再び手繰り寄せた。
 そして 「恋する兵士」、途中で音楽は全くそのままに、映像だけが別のものに切り変わる。
 
 -ダンサーは、ジョルジュ・ドン。
 
 「アクア・アルタ」からの抜粋同演目で、恐らく1970年代後半に撮影された映像だろう。
 ああ、ああ、ドンだ、と心腑を射抜かれたかのような瞬間的で強烈な感動がこみ上げる。
 10秒、20秒と見入っているうちに様々な想念や感情が切々と交錯し、やがてひとりでに涙が溢れ止まらなくなった。
 違うのだ、「現代」のダンサー達によるパフォーマンスと、過ぎ去りしジョルジュ・ドン。何もかもが、余りにも、こんなにも!!

 ジョルジュ・ドン/Jorge Donn が病没したのは1992年の11月30日。
 今年2012年の11月30日を以って、ジョルジュ・ドンの夭折からちょうど20年が経つ。
 ……20年だ!!

 1991年、まさか最後の来日になるとは想像もせぬまま、私はドンの実演に接する機会を永遠に逸した。その時の演目「ニジンスキー/神の道化」の事を思い出す。
 この中には、ドンが踊ってきた幾つもの演目が含まれていた。「アダージェット」も、そして「恋する兵士」も。
 バレエの事は何も知らなかった当時の私だが、「恋する兵士」は一目惚れてしまった演目だ。
 そして、この演目を構成する心浮き立つ歌曲は何という名の曲なんだろうと、その時から気になってどうしようもなくなってしまった。

 今現在の、これほどまでにWebが拡充、浸透した社会の在り方からは想像もつかぬほど、当時はごく些細な「情報」を尋ね当てる事が難しかった。手段は限定されていたし、情報を持つ者同士を結びつける媒体は原始的かつ大仰だったのだ。
 新聞や雑誌の「教えてください」投書欄なんて、今10代20代の若い人達にとってはすっかり縁遠い事だと思う。
 「◯月□□日放映の××という番組でラストシーンに流れていた英語の歌の曲名をどなたか教えてください。テレビ局に電話したのですがわからないという回答でした」などという情報提供依頼をハガキに書いて投書までして、さて、それが掲載されるかどうか…。掲載されても必要とする回答が誰かからあるのか、得られた回答の通りに然々の音源を探して買い求めて、それが本当に目的の音源なのか。
 手間暇や費やす労力、回答が得られるまでのタイムラグ。空振りであれば、浪費も発生する。
 かつてはこうだったのだ。幾つもの関心事を悔しながらに諦めてきたのだ。
 Webに何もかもが揃っていて容易にアクセスできる今はね、夢のような時代なんですよ、本当に!!
 

 私は「恋する兵士」という曲名がわからなくて、もっと言えば演目の特定さえ長らくままならないまま、3枚もカンツォーネのオムニバスCDを「空振り」購入した。3枚目の浪費でいい加減厭になって、ベジャールの演目と同じ音源を手に入れる事は無理なんだと、それで割り切って過ごしてきた。
 ところが、先述の通りに映画「ベジャール、そしてバレエはつづく」を観て、今度はもうどうしても我慢できなくなってしまった。執念深く、あれやこれやとWebでキーワード検索、試行錯誤する……。

 その、解答から先に書く。
 
 ベジャールの「恋する兵士」で用いられる音源は、カンツォーネ、正確にはナポリターナ(ナポリ民謡)の
”O Surdato 'Nnamurato”という歌だ。
 歌っているのは、マッシモ・ラニエリ(Massimo Ranieri/1951-)、サンレモ音楽祭華やかなりし頃の大スターだ。
 そして、音源が収録されているCDは、このアルバムである。

 私も自分で購入して確かめているので、ベジャールの「恋する兵士」に用いられている音源と寸分違わぬ事を請け合う。
 ラニエリの歌唱、バックオーケストラ。そしてこれも重要、ライヴ収録に伴うオーディエンスの歓声、手拍子、喝采、紛れもなくこのCDの11トラック目”O Surdato 'Nnamurato”のものだ。
 取り寄せて届いた現物を宅内のオーディオにセットした時の張り詰めた気持ち、そして、20年希求して已まなかった音楽がスピーカーから流れてきた時の感激よ!!

 
 映画「ベジャール、そしてバレエはつづく」で、映像がジョルジュ・ドンに切り替わった時、私は何故滂沱の涙を流したのか。
 
 ドンのパフォーマンスは、近年・現在の第一線の人々とは異質な何かを具えている。
 ドンの身のこなしは決して軽くはないとも思われる。体躯のコントロールについてもピタリ、カチリと「決まる」ようなものではない。言ってみれば、荒削りだ。
 早くから強く志してベジャールと道を同じくし、大成した頃にはすっかり「ベジャール・バレエのための」ダンサーとなっていたドン。
 
 舞踊芸術のフィジカルな要素は、スポーツ競技のように日進月歩の進化過程を現在も続けている。例えば30年前にシルヴィ・ギエムが世界を驚愕させた稀有なる身体能力は、今や世界的な第一線の「標準」として定まった感がある。
 ベジャール・バレエのダンサーにおいても、ジョルジュ・ドンが現役だった時代と較べると、同様の進化を遂げていると言えそうだ。
 だが、ドンはフィジカルな部分での不足を、表現力で補ってなお余りある、そういうスタイルの不思議なダンサーだった。そして、ベジャールの作品と相互に分かち難い形で存在が成り立っていた。
 
 ベジャールの演目を云々する時、私のように何かとジョルジュ・ドンの存在を懐かしんでいると、いかにも懐古的な拘りを捨てきれていない人間だと見られてしまうのかもしれない。
 だが、確かにドンだけが持っていた特別な素質はあったのだ。
 ダンサーとしての技術的な優劣というスケールでは計る事が出来ない、純粋なパフォーマーとして放たれる強烈な「力」があったのだ。
 筋肉と血流と汗と呼吸と、そして運動に直結した顔の表情と、生理的感触を剥き出しにして踊るジョルジュ・ドンの姿は、どこまでも人間的だった。喜怒哀楽、理性、狂気、人間生来の観念をダイレクトに伝えるものだった。
 ジョルジュ・ドンの「ボレロ」が私の中で決して退色しないのも、「恋する兵士」で胸の中を激しく掻き毟られるような気持ちになるのも、このような理由に因るものなのだと、没後20年を経て認識を新たにしている。

 私にとっては積年の宿願とも言うべき「恋する兵士」の使用音源が今年手に入ったのは、20年の間、追慕の気持ちを決して翳らせる事のなかった私に、ドンが彼岸からちょっとした嬉しい便宜を図ってくれたような気もするのだ。

 そして、継承と新たな創造という極めて困難な命題を担うジル・ロマンと、彼が率いるベジャール・バレエ・ローザンヌの前途を私自身も応援したいし、期待を持ち続けたいと思う。

―2012年11月30日、ジョルジュ・ドンの没後20年を偲びこの一文を記す。



 ジョルジュ・ドン、没後20年の節目である今年、彼の夭折を心から痛惜する記事をお書きになっている御方がいらっしゃいました。私の拙い記事へとリンクまでして下さっています。
 ありがとうございます。想いを同じくする者として、敬意とともにこちらからもリンクさせて頂きます。
ジョルジュ・ドン没後20年が過ぎて・・・(14時46分発~パンドラの函を開けて)



こちらは私が2004年に記した記事です。「ボレロ」を中心にドンの事を書き連ねています。
ジョルジュ・ドン十三回忌に寄せて

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Sunday, January 22, 2012

名作、絶品、NHK大河ドラマ「平清盛」

タイトルが大仰に過ぎるかも知れませんが、平成二十四(2012)年・NHK大河ドラマ「平清盛」は、現時点でこれぐらい強く賞賛・称揚しておくべきだと個人的に思いました。

何が何でもこの作品を批難して、引きずり降ろさねば気が済まぬ人々には、これまた各自の好悪や利害があるのだと思います。別にそういう方々と自己主張を闘わせるつもりはありません。敵意も害意もありません。
しかし、私が危ぶむのは、時間即応的に流布する、悪印象をもたらす逐次報道が、この作品と「観たほうがよい人」とを遠ざけ、最終的に制作現場自体を揺さぶってしまうことにあります。

個人的なことを申します。

この作品は絶品です。
今、既にして傑作、大傑作です。

コンセプトをハッキリと決め、それに対して凝らし尽くせる限りの趣向が丹念に施されています。

これは、まさにマルチメディア作品としての素晴らしい「工芸品」或いは「芸術」です。

感覚を研ぎ澄まして視聴すれば、その注力分だけ、見返りがある作品です。

私は、主だった配役が明かされるに連れて、制作の意気込みが只事では無いと思いました。

これはもう、全編保存だと思いました。

そうして長尺を採った第1話を、じっくり視聴したのですが…。

鑑賞するために、映画1本分の心的・精神的エネルギーが要りました。
私はこの作品を、毎週放送ペースに合わせて視聴する自信がありません。
録画しておいて、自分の時宜を合わせて観るのが最適だと思いました。

また個人的なことを申します。
我が家の家系図なんてものは、市街地の95%を焼尽・消尽せしめた鹿児島空襲(鹿児島は米軍の爆弾捨場だったのです)でとうに失せました。
しかし、我が氏姓名乗りと地縁と家伝・口碑と過去帳が、「尊卑分脈/諸家大系図」の世界へと、かなり具体的な形で繋いでくれます。
私の中で「源平藤橘」のうち「源平藤」までは確実に混成しています。かと言って我が家が如何程の家門であるかと訊かれれば、実にみすぼらしい評価を受けることでしょう。「微禄小身」と世に言いますが、幕藩期以降は「微禄」さえも怪しいです。でも、私はそれで構いません。兎にも角にも、この国の長く深い歴史と、自分のアイデンティティとを繋ぎ、苦しい時悲しい時に、自己を励まし善導してくれるからであります。

そういう精神土壌を持つ者が、この「平清盛」第1回を視聴しました。

冒頭、3分でもう涙が出てきました。
「男が易々と泣くな」と亡父が私を育てたので、そうそう涙もろい方では無いと思うのですが…。
そして、尺中、何度も感極まって落涙致しました。

この作品は、男泣かせであります。
些事をあげつらうと、コンセプトそのものに対する評価を誤ってしまう、そういう作品だと私は思います。

そして、たかだか100年や200年で定義されてしまった「身分の貴賎」というスケールでは捉え切れない世界の話です。
私の、或いは、貴方様の、100親等や300親等に当たる人が、この作品には必ず「等身大」で登場している筈です。作中において、予想外に高い身分に在るかも知れないし、或いは、血と糞が滲む土の上に死に物狂いでしがみついているかも知れません。

気の塞ぐような世情にあって、元気を無くしている貴方様、私も同じであります。
この作品には、恐らく、何処かに貴方様の「ご先祖様」、そうでなくとも、その方の伯父さんとか従兄弟とかは登場している可能性があります。その人が作中でカッコ良くても悪くても、いいじゃありませんか。その人達と連なる人たちが頑張り続けたから、今の我々は今生、存在するのです。

「平清盛」を観て、人間としての誇りと自信を取り戻しましょう。

コメント欄は有効にしておきますが、土足で喧嘩を売りに来るような方は願い下げです。「貴方の主張」を発表する場は、このブログが見えている以上、極めて容易に獲得できる筈です。そちらでなさって下さい。間借りに来ないで下さい。尻馬にも乗らないで下さい。
また、私自身、意見の異なる方を貶し、己が主張の相対価値を高めようとする企ても、今後に渡って一切持ちません。
久々に、苦手とする「トラックバック」も有効にしますが、制作現場とコンセプトを少しでも応援出来れば、という一心に拠る行動です。作品を褒める為だけに利用して下さい。文面引用とリンクも同様です。作品を貶したり、或いは誉めそやす体裁で良からぬ利得を企てようとする方は、一切関わらないで下さい。
スパム等は、通報できる限りの処に通報致します。

どうぞよろしく。

素晴らしいNHK大河ドラマ「平清盛」の公式サイト。
NHK大河ドラマ「平清盛」

本日、第3話放映日ですが……、録画しますけど、まだ観ません^^;
じっくり腰据えて、丁寧に観たいので。

でも、私的に並々ならぬ思い入れ有る、源三位入道の初登場だけは、リアルタイムで間に合いたいなー。
どうも、この配役には凄まじいサプライズが秘されている予感がするんですよ。
確か、配役発表、まだですよね。
昭和47(1972)年の、あの名作大河ドラマ「新・平家物語」から、ダイレクトにとてつもない御方が配役されそうな予感さえします。
この文脈が当たっていれば……、もう「あの方」か「あの方」でしょうね(笑)

源三位入道、源三位頼政、源頼政。

公卿の時代から武家の時代、平家の時代から源氏の時代へ、それを象徴する巨大なキーパーソンですから。

まあ、この予感は勿論、外れてもいいんです(笑)

しかしまあ、「義経」で、亡き丹波哲郎氏が演じられた源頼政、カッコ良かったなあー。
あれはもう、私の中で永久不滅の絵姿ですわ。

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Wednesday, January 11, 2012

伏龍興起,鳳雛羽化.壬辰一月.

今年は何か、陽を向くように世が革まる起点であるように感じられるのです。

以前のように、己が心魂を甚大に傾注した更新に復することはもうあるまいと思いますが、このブログ「銀璧亭」を再び脈動させようと思います。

何か特定の宗教や思想に発心したというわけではありませんからね^^;

しかし、幼き時から年々歳々敬慕の念、弥増しに増す、聖ジャンヌ・ダルクの生誕600年を心よりお祝い致します。

Sainte Jeanne d'Arc, priez pour nous.

そして、「心のともしび」運動のマクドネル神父さまの温かい御心に深く感謝致します。
あなたの御手の温もりは、終生忘れません。

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Dear the Rev. Fr. Graham McDonnell

Thank you very much for you gave me the other day,
For My Fater in Heaven ,,,,and For Us.

The best of health to you.

With our best regards.

Tando
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「600年」という期間は、東洋的な価値感覚の中では特別な意義を成します。
十二支と十干の組み合わせ「六十干支」の10周目にあたります。
或いは、これは天体の摂理由来なので、生命あるものにとって特別な事象と捉えるべきなのかも知れません。
そうした大きな流れの中で、人類史上の殊に大いなる救世者、聖ジャンヌ・ダルクとの結び付きを考えると、少なくとも、惨禍の極みにあった昨年からの心機一転を期する、積極的な心持ちになれるように思われませんか?

皆様と、そして我々の、大いなる幸福の開基を衷心より祈ります。

ついで、私事。
久々なので改めて申しますが、かく「銀璧亭」、『ヘキ』は『玉』の『璧』で、『完璧』の『ヘキ』なのでございます。
文字が変換されない場合は「完璧」と打つと、たいていの文字入力ソフトでも対応します。
私自身、今の文字入力ソフトに変える前、―このブログの初期―には、「璧」の変換が余りにも面倒なので、「完璧」から拾い上げて辞書登録して用を為していました^^ゞ

この旨についても申し述べているも(常時右ラインからリンク表示)、ついでにaboutもご高覧賜りましたら幸甚です。
……ここだけは、かつての雰囲気を変えないままにしている部屋です。

そして、バナーを作って下さった「紅子サマ」(※当時)、近年消息をしていません。
申し訳ありません。
お元気ですか?
貴作のバナーは、このブログが存続する限り、「篇額」として掲げ続けさせて頂きます!

それでは、本日はこれにて。
タイトルは、干支と繋げて、とにかく何が何でも「大きなめでたい」意図を込めました(^^)

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Tuesday, April 26, 2011

高射砲?拍手中断?「タモリ倶楽部」でどんな特集が…?

約1年半ぶりに「銀璧亭」を更新致します。

私自身の@nifty既得アカウント混乱(…&情報消失)によって、このblogに上手くログイン出来ない状態が続いておりました。それと、昨年のちょうど今頃に救急搬送されるような大患がありまして…。
故に、ログインと、作文、伴うコミュニケーションの随意性が高い某SNSに偏重していた次第です。

理由は上述の通りですが、それでもなお、この長期間に及ぶ不甲斐無い休眠状態を見守って下さった各位様に、心からのお詫びと御礼を申し上げます。


大変申し訳ありません。
そして、本当にありがとうございました。


…それでは、2年半ぶりに銀璧亭で「何か書いてみようか」と、機能停止していた意欲が復旧した、その動機について、です。


私はいつもクラシック音楽CDに関する新譜情報のチェックには、ほぼ毎日更新のHMV:音楽・クラシック ニュースピックアップを頻用しております。
そうすると、ここ数日の間、「タモリ倶楽部で紹介された…」と附して、歴史的録音の既発音源が複数紹介されているではありませんか。
はてさて、これは一体何事なのか、と。


同番組は特に「空耳アワー」が楽しみで、随分な年数、翌日の起床時間との兼ね合いが許す限り視聴してきました。しかし、ここ数年の間、私の放送圏は遅れネットの上に放送曜日や時間枠がフラフラ動くので、フォローし切れなくなって動向が殆ど分からずにいる状態です。
タモさんの好奇心と広範な博識ぶり、そして機知に富んだコメントは、「ブラタモリ」でも楽しめるようになりましたし…^^;


先述のHMVサイトで「タモリ倶楽部」に絡めて取り上げられていたCDは現状で2点です。


まず、ワルター・ギーゼキング(ピアノ)/アルトゥール・ローター(指揮)による、1945年1月ベルリンで収録された、マグネトフォン(録音用テープ装置の実用版原型)応用方式によるステレオ録音のベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。

(↑Amazonは新品入荷の見込みが希薄なので、HMVやTOWER RECORD等でお求め下さい!)

そして、クレメンス・クラウス(ウィーン・フィルの『ニューイヤー・コンサート』創始者)指揮による、没年1954年、最後のニューイヤー・コンサートの実況録音です。

前者は、大破局寸前のナチス・ドイツ、ベルリンで録音された音源。国防軍の高射砲音、或いは連合軍による爆撃着弾音が演奏と同時に録音されているという理由。後者は、聴衆の熱狂と大喝采が演奏を中断させてしまう、という理由で取り上げられたようです。

「タモリ倶楽部」の番組企画自体は「フルトヴェングラー没後125年」と銘打たれていたそうです。
有名過ぎるほど有名な「足音入り」1951年バイロイトのベートーヴェン「第九」

や、戦後、ベルリン封鎖への救済作戦として行われた「ベルリン大空輸」の輸送機飛行音を拾ったライヴなどが本筋として取り上げられていたのだとか。

ところが、番組を視聴なさった方のご感想をWeb等で拝見していると、スタジオの関心はギーゼキングの「皇帝」に収録された爆音の方に傾注されていった、……と思しき様子。

……やはり、ショッキングですよね。平和に依拠しながら文化の豊穣を享受して生育してきた者にとっては、尚更のことです。

さて、他に同類の音源としては、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮/ベルリン・フィルによる1944年9月9日、バーデン・バーデンで収録されたライヴ録音、ブラームス/交響曲第3番の第1楽章で聞かれる重音の連なりが、やはり高射砲音ないし爆撃着弾音なのではないか、と言われています。
これも戦時下の緊張と相まって、異様とも言える名演です。

敗北寸前の状況に陥りながらもなお、音楽上演とその録音記録をぎりぎりまで続けたナチス・ドイツ、ドイツ第三帝国末期。刻一刻と迫る「ひとつの世界の大破局」を、否が応でも聴く者に感じさせる音源が、まだ沢山遺存しています。
勿論、いつか、それらをご紹介する機会をも設けたいのですが……ここでは、敢えて異なる意味合いを有する音源を私の聴き知る中から一つ、ご紹介させて頂きたいと思います。


ワンダ・ランドフスカ(演奏楽器:プレイエル特注モダンチェンバロ"Landowska" Model"オリジナル)
スカルラッティ「ソナタ選集」

1934年から1940年までの間に、主にパリで録音された、ランドフスカ(1879-1959)によるスカルラッティのソナタ録音を集めたEMIのCDです。

今回のエントリーの趣旨から私が言い及びたいトラックは、22トラック目のソナタ ニ長調 K.490/L.206です。
録音日は1940年3月(?)の8日、または9日。
時はナチス・ドイツによるフランス侵攻の真っ只中であり、1940年6月14日にパリは陥落します。
そのような、パリがナチス・ドイツによる攻撃に瀕した非常事態下に、この録音は行われました。
(※録音データにある1940年3月初時点で、ナチス・ドイツは本格的なフランス侵攻を実行していないようです。マジノ線越境が1940年5月10日であることを考慮すると、爆音混入の理由か録音データ、いずれかに検証の余地が残されていることを付記しておきます)

後々のモーツァルトの長調ソナタを予期させるような、スカルラッティの牧歌的とも言えるニ長調の楽想が、ランドフスカの高雅な演奏によって進行していきます。

……しかし、演奏開始から約2分後(トラック02:00-02:05秒辺り)に、3回の重爆音が連続して、それも、開け放ちの窓越から入り込むようにして聞こえるのです。

その生々しさは、先述の「皇帝」や、クナッパーツブッシュのブラームスをも上回っているように感じられます。
それでも、ランドフスカの演奏は些かの動揺を見せることもありません。演奏は毅然と進み、演奏は優雅な余韻をも全くして締め括られます。
この後、パリ陥落とナチス・ドイツの侵攻・進駐に伴い、ランドフスカの住居は滅茶苦茶に蹂躙されます。彼女が長年にわたって熱心に蒐集した貴重な譜面、資料や、何より愛着深いプレイエルの愛器……、全てを毀損され、略奪されて、彼女は命からがら、身一つでアメリカへと亡命するのです。

この凄絶な意義を附帯させたドキュメントへ対峙する心持ちは、その人それぞれだと思います。
私自身、上手く言葉で言い表すことは出来ません。

ただ、先述ギーゼキングの「皇帝」、ランドフスカのスカルラッティ、……短絡的な類別を憚ること無く言葉を連ねるならば、各々が包含される国家勢力の立場上では、「加害者」と「被害者」。

……しかし、それぞれの身命に対して、巨大な破滅の危機が迫っているということ。
……そして、いずれの演奏も、なお、この上無く美しく、素晴らしいのだということ。

これは、共通しています。


人が生きる上で、文化、芸術はどの位、不可欠なものなのでしょうか?
外的要因によって生活と身命を脅かされた経験をを持たぬ私が推し量る事は出来ません。

先日、東日本大震災の関連ニュースをテレビで観ていました。
すると、津波で甚大な被害を受けた街の一つ、岩手県釜石市で、被災した人々を元気付けよう、と、釜石の郷土芸能「虎舞」(とらまい)が披露されたというニュースが。

演舞を披露する保存会の中にも、災害の犠牲となった方があったとの事です。
そして、観覧する方々の御身辺でも、尊い生命が奪われた事は想像に難くありません。それだけではなく、からくも難を逃れながらも、数多の大切なものを喪われた事でしょう。

やがて、インタビューを受けた女性が仰った言葉が、私の心に深く突き刺さり、思わず涙腺が緩みました。


「家が流されても泣かなかったのに、『舞』を見たら涙が出ました。私たちも頑張るしかないです」


インタビューに応えた方は、被災後、ずっと苦境に歯を食い縛って耐え、渾身の力を尽くして来られたのではないか。私はそのようにお察し致します。だから、その方は大切な家財一切を津波に奪われても泣かなかった。
けれども、愛着尽きない郷土の、親しみ深い伝統芸能に思いがけず接した途端、ほんの少し前までは確かに在った平和な日々への懐かしさと、演舞に奮起した保存会をはじめとする人々の営みの強さ、……そして喪われた数々の尊いものに対する実感が、ひとときに結像したのではないでしょうか?

……私は、そのように愚考致しました。


今更言うまでも無い事なのかも知れませんが、文化、芸能、芸術は、地球上のありとあらゆる時代と地域で、絶え間無く人間が、強く希求し、発展させ、継承し、敷衍してきたものなのでしょう。
それらは生命維持にとって決して不可欠ではありませんが、「人は何故生きるのか」という難しい命題とは、深く深く結びついているように思われてなりません。
だからこそ、時代、人種、国家、社会集団、思想、宗教……諸々のしがらみを超越して、人の心を共鳴させるのだとの実感を新たに致した次第です。

バラエティ番組を発端としながら、話の主題が移ってしまいましたが……。

東日本大震災による未曽有の大災禍に遭われた皆様が、一刻も早く、平穏で安寧な日々と、喪われた数々の尊い存在に値する、或いは倍する幸福を再び得られることを、不肖、衷心より願い続けます。

2011.4.26 銀璧亭 Tando


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付:

本文とは別件です。

常からSNS等々通じて親しくして頂いている"夜長姫"-"よながひめ"様が、先般blogを開設なさいました。

  栞ノオト

一日一冊ペースで読書してらっしゃるんじゃないかと思われる程の、膨大な書誌文献に対する御造詣をフルに発揮なさった書評、そして素敵かつハイペースな映画鑑賞レビューが中心の充実したblogです。
こんなに実り多い内容で更新頻度も高いのに、「インターネットで全然見付けてもらえていないみたいです」と嘆いていらっしゃいました。

これは、勿体無いの一言です。

拙blogのように書き手が怠慢なスペースからのリンクは気が引けてならないのですが、此度久々に更新した機会でもありますので、御紹介&猛プッシュさせて頂きたいと存じます。

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Saturday, December 19, 2009

トラップ一家物語~Trapp Family Story

NHK-BS2で先日まで再放送していた、「ハウス世界名作劇場」の「トラップ一家物語」(1991年本放送)。
私はリアルタイムで終盤を視聴し損なったままだったので、特に物語後半から録画していました。トラップ男爵がマリアさんに求婚するまでの辺りからです。いやあ、良かった。やっぱり名作劇場は素晴らしいっ!

それで、録り溜めていた最終回までの数話を見終えたところなのですが…、いやあ、泣きました。何処で泣いたかと言うと最終回、一家が住み慣れた家を秘密裏に去るシーン。気の好い料理人のローズィおばさんと子ども達の別れのシーン、うううう、ウルウル。そして古馴染みの、頼れるフランツさん。フランツさんは男爵が破産した時のお金のエピソードで既に私はだだ泣きだった訳ですが、このオーストリア脱出と告別の経緯にいたっては、もうたまりません。乗合バスでのトラップ男爵との別れのシーン、ああ、ダメだ、もうキー叩きながら思い出して涙腺が緩んできた。マリアさんが亡命の船上で何とは無しに歌い始める『別れ』(ムシデン)も心に迫ります。国外脱出を援けてくれた顔ぶれと共に、このよき人々に幸多かれと願わずにはいられませんでした。

さて、クリスマスを見据えた盛り上がりも正に酣、1枚のCDについて今回は書きます。

Christmas With the Trapp Family Singers~
「ひいらぎ飾ろう」「きよしこの夜」等のキャロルと、グレゴリオ聖歌、プレトリウス、バッハ、スウェーリンク、ヴィットリア、パレストリーナによるクリスマス・チャント集

The Trapp Family Singers(トラップ一家合唱団)
マリア・アウグスタ・フォン・トラップ
ウェルナー・フォン・トラップ
マリア・フランツィスカ・フォン・トラップ
ヘートヴィヒ・フォン・トラップ
アガーテ・フォン・トラップ
ヨハンネス・フォン・トラップ
エレオノーレ・フォン・トラップ

シャーリーン・ピーターソン
ハロルド・ピーターソン

フランツ・ヴァスナー(指揮)

1951-53年、Deutsche-Grammophonによる録音。時期的にはまだモノラル録音ですが、テープ機材に移行してからの収録でもあり、とても良好な音質です。リマスタリングが良いのか、適度な奥行きがあり、非常に聴きやすく感じられます。さすがは Deutsche-Grammophonの録音です。
時期的には、既にゲオルク・フォン・トラップ準男爵の没(1947年)後です。そして、ヨハンネス、エレオノーレの両氏が、トラップ艦長とマリアさんの間に生まれたお子さんです。指揮はこの合唱団結成の立役者、ヴァスナー神父が担っています。

さて、この音源なのですが、純粋な音楽CDとしての鑑賞に充分耐える、極めて優れたものです。むしろ、あまりに高尚な音楽が繰り広げられるので、名作劇場や映画『サウンド・オブ・ミュージック』のうきうきするような感動から手に取ると、却って戸惑いさえするのではないでしょうか?
私の場合が正にそれで、「さあ、届いた、どんな合唱なんだろうワクワク…」とプレーヤーにセットして、一曲目のプレトリウスが始まるや、「…え、え? こんなに素晴らしいんですか、何だかスミマセン…」と、思わず居住まいを正さずにはいられませんでした。
そもそも、プレトリウスやスウェーリンク、パレストリーナといった作曲家の名が並んでいる時点で、これが単に享楽的な意図から製作されたものではないことを察するべきでした。合唱団を指導したヴァスナー神父の高い識見に他ならぬことと思います。歌唱、アンサンブル自体も大変優秀であり、一機縁から歌の世界を生業と為すようになった家族のものとは、到底思われません。ヴァスナー神父はどのようにしてこの家族を導いたのでしょうか、本当にとてつもない人です。そして、キリスト者の信仰の篤さ、祈りの深遠さというものがここには満ち満ちています。

さまざまな形で生じた好奇心を満たしてくれるどころか、より一層の感動を与えてくれることは間違いありません。
賑やかで楽しいクリスマス・アルバムとは趣を異にしますが、「クリスマスって本来こういうものなんだよなあ」というところに立ち返らせてくれる、素晴らしい一枚だと思います。

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Friday, December 18, 2009

Maestro-X 頌

Maestro_x
今般、数年来逸したまま渇望していたCDを入手することが叶った。
Maestro X(写真)が指揮する、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」である。
これは巨匠2回目の録音であり、晩年の芸境を後世に伝える貴重な記録だ。
元よりアンサンブルを精緻に彫琢することで人後に落ちぬ巨匠、ここでもその手際は万全と言っても良い。巨匠の至芸に馴染んでいると、いつの間にかこれが当前の水準であると錯覚してしまう。些か困ったことである。その辣腕が余りにも冴え過ぎて、特定のレパートリーにおいては余りにも強烈な光輝を付与してしまうものだから、ややもするとそのイメージが一人歩きしてしまう憾みも否定出来ない。私がこの「英雄」を逸していたのも、恥ずかしながらその弊害に因る影響無しとは言えないのである。
果たして漸く入手した「英雄」は、私が渇望とともに抱いていた、遠慮がちで幾分は願望をも伴う期待に対して、応分以上に応えてくれるものだった。
このセッションでの巨匠は、自らの力量が齎す成果に対して、1回目の録音よりも更に入念な艶消しを施しているように感じられた。殊に管セクションが、時に素朴とも言うべき表情を見せたのは予想外のことだ。
眩い色艶は秘められて、代わりに悠揚とした趣が加わった。それでも、僅かながら管楽器に手を加えて音響を補強している点では、やはり19世紀に生まれた巨匠の流儀の、その余勢が尚も示されているのではあるが。
しかし、それにしても、この「英雄」は豪壮そのものであり、また全体としての構成にも配慮が行き届いて隙が無いことには唯々敬服するばかりだ。
新発掘の放送局音源に勿論心躍るものは後を絶たないけれども、存外正規音源の中にもこれだけの名演が然るべき処遇を受けないまま埋もれているのだから油断出来ない。

Maestro-X は独墺のレパートリーに多くの名演を残している。
ステレオでのベートーヴェン、ブラームスの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4番、5番などはその代表例として挙げられるだろう。或いは、彼の遺産がこれ限りだったとすれば、却って日本人好みのする高い評価に落着していたかもしれないとの邪推をも禁じ得ないのである。
CD期以降これらの音源は不遇と言うべき状況で、ベートーヴェン、ブラームスともに全集の体裁はおろか、個別にもその全てはCD化されていない。CD化されたものについても、満足のいくリマスターで頒布されてはおらず、現状では尚も彼の真価を広く世に問われていないもどかしさがある。
殊にブラームスは極め付きに近い名演揃いで、これが彼の心技ともに万全以上を記録した最良の遺産ではないかと、聴き得た音源(1,2,4番。3番のみ2009年現在未CD化で未聴)の印象から想像している。これが然るべき形で頒布されたなら、世評の大番狂わせが起きるかもしれないと私は夢想している。
実際、個人的に妄執にも等しく愛着深きブラームスの第4番、ただ一種ならば迷わず彼の録音を選ぶ。私は殆どこれで死ねるとさえ思っているし、これをあらゆる条件で凌駕する音源が今後現れるのならば、それこそ願ったり叶ったりである。

<品番>
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」-BVCC-38111(廃盤)
ブラームス:交響曲第4番-IMG Artists 7243 5 75127 2 5(廃盤)
 

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