民俗音楽・純邦楽

Saturday, May 30, 2009

ギリヤーク尼ヶ崎、白川軍八郎

京都文教大学人間学研究所主催の公開シンポジウム、「鬼の踊りから祈りの踊りへ~大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎 40年の軌跡」(2009年5月30日13時~16時・於・五條会館)へと足を運んだ。
大道芸人・舞踊家ギリヤーク尼ヶ崎が、生い立ちから長い芸歴にいたるまでを自ら振り返るという内容。専ら街頭での公演を活動の場とする人だから、こうした形式でのイベント出演はとても貴重な機会だ。
映像の上映、談話の後には「じょんがら一代」「よされ節」念仏じょんがら」の舞踊上演まで行われた。ファンをもって任ずる者にとっては、本当に逸するべからざる貴重な機会だったと思う。
舞台でギリヤーク尼ヶ崎の舞踏を鑑賞する機会は極めて稀なことで、一体どんな内容になるだろうかと期待と不安が入り交じった心持ちだったが、それはご本人も全く同じだったことが公演後の言葉で明らかになった。オーディエンスに対して頻りに「舞台でも大丈夫でしたか」と訊ねる、飾ることのない謙虚さに心打たれる。大丈夫、どころか、街頭では雰囲気に気圧されてなかなか見届けることのできない、細かなニュアンスの豊かさを新発見し、深く感じ入った。演目のクライマックス「念仏じょんがら」で、街頭のように水を被ることができない代わりに、紙吹雪が用いられていた。あのアクションは進行上欠かせない重要なものなので、会場の制約を克服し、なおかつ視覚に訴える形に昇華したアイディアには唸らされた。
肺気腫を患い、ついには昨年末心臓ペースメーカー施術を受けなおあの激動の舞踊を続ける意志力には感動するほかない。身体能力の限界と常に直面しながらの舞踊公演は対峙する者に「痛み」を共有させずにはいられないが、それだけに訴求する力の強さはいや増しに増し続けている。

さて、ギリヤーク尼ヶ崎と聞けば何と言っても「じょんがら」だが、このシンポジウムで面白い話があった。自身の舞踊とじょんがらの「なれそめ」について回想される中で、旅回りの津軽芸能の公演を幼い頃に鑑賞して強い感銘を受けたというエピソードがあった。「ほら、あれが日本一の三味線弾きだよ」と言われ指し示されたその弾き手の素晴らしさが今も根底にあるのだ、と。そして自身が舞踊に用いている津軽三味線は、その弾き手のものなのだ。かつて高橋竹山という名手があったが、と引きつつ、その弾き手は更に古い世代の人で、もっと速く弾く、それが自分の「じょんがら」にはピッタリなのだ、と。
その時は、具体的に誰という名は出されなかった。それが私にはどうしても気になったものだから、公演後、ギリヤークさんに直接訊ねてみた。「その弾き手は、ひょっとしたら白川軍八郎ですか?」と言うと、ギリヤークさんは「そう、よくわかったね!」と嬉しそうに仰った。「もう誰も知らない人だと思っていたから、まさか言い当てられるとは思わなかったよ。自分が子どもの頃に聴いたのがまさに白川軍八郎だった。三橋美智也の先生で、日劇で師弟協演の公演をやって…」云々。今でも青森で公演を行うと、年配の人からは「白川軍八郎だね」と指摘されることがあるという。昔の人はそれと聴いてまだ判るのだ。
私にとっては何と言っても空前絶後の津軽三味線奏者、白川軍八郎。そして、ギリヤーク尼ヶ崎が、かくも深い由緒から白川軍八郎の三味線を長年舞踊に用いてきたのだという事実に接し、この上ない感動を覚える。惹かれ合うべき者同士が自然に結びついた成り行きに相違あるまい。大道で歳月を重ね、荒々しく磨かれ続けたその芸の源流は、想像を遙かに超えて深い。

白川軍八郎については、2004年の当blogエントリー、津軽三味線(1)─白川軍八郎をご覧下さい。
 

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Tuesday, July 05, 2005

京劇大典

またまた大変なCDを購入してしまいました。

かねてから壷天路さんの在庫を虎視眈々と狙っていたのです。その名も「京劇大典」(中国唱片上海公司出版)。
しかし、26枚組仕立てと非常に大部であることから、購入へと踏み切れずにいた次第…。かと言って、この在庫を逃したら入手の機会はもう無さそうです。
そんなもどかしい状態で、かれこれ一年近い月日が経過しました。

そうしている間に、このセットが在庫処分品リストへと入っているではありませんか。価格も大幅に引き下げられています。
値下げを待っていたようで、何だか大変イヤラシイ気がしますが、とうとう購入を決意しました。

発注後は早々にご発送頂いた上、京劇に関する書籍まで添えて頂き感慨無量です。ありがとうございました。
それにしてもまあ、26枚組ともなると大変なボリュームですね。一枚一枚開封するのも一苦労、まして聴くともなるとどれくらい時間がかかるものやら…。


それはさておき、京劇で往年の名優と言えば、誰の名が挙げられるでしょうか。

伝説的な梅蘭芳(1894-1961)を筆頭に、尚小雲(1899-1976)、荀慧生(1900-1968)、程硯秋(1904-1958)の「四大名旦」などは吹き込みや映像記録も盛んで、日本語の書籍でも目にすることが多い名です。この人達はいわゆる旦角(若い女性役)ですね。
わたくしの場合、その他には老生(中年・老年の男性役)の周信芳(1895-1975)くらいしか、録音の存在を意識してはいませんでした。更に以前の人々は、もはや歴史の彼方の存在に思われます。

しかし、この「京劇大典」に収録されている人々は、それどころの世代ではありません。
最古の録音で1908年、清朝末期の吹き込みです!
ジャケットに掲載された役者の写真も、辮髪だったりするんだもんなあ。
四大名旦、四小名旦は言うに及ばず、四大須生、後三傑(後三鼎甲)まで揃い踏みなのですから、とてつもない話です。孫菊仙や譚鑫培、陳徳霖といった名が見受けられます。光緒帝や西太后の御前で演じていた世代の人々ですよ?! すっげえ!

古い音源を含めて、復刻状態は想像以上に良好です。音質補正を加えすぎた感もありますが、鑑賞に差し支える程ではありません。でも、多分SP盤の原音はもっと良い音なのでしょうね。

…で、購入後の現状はと言うと、殆ど持て余している状態です(^^;
所作が全く見えない、音声だけの鑑賞ですから、価値を判断するにも相応の素養が求められるところでしょう。これは長期的な宿題にしたいと思います。
それでも、譚鑫培の風格、陳徳霖のか細い媚態の美は、無知なりに解るような気がするのです。

ともあれ、、個人的には持っているだけで意義深いと感じるセットです。今後何かと持ち出す便宜があるかも知れません。
 
 

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Tuesday, October 19, 2004

二泉映月─阿炳の二胡録音

蒋風之に続いて、いよいよ今回は阿炳自身による録音について書きます。

阿炳こと華彦鈞(1892/3-1950)は、江蘇省の無錫に生まれました。前回記事の蒋風之を始め、劉天華、陸修棠も江蘇省の出身です。日本とはさすがに規模が違う(省全体の人口は実に7000万人を超えます!)括りですが、古くからの芸どころ、民間音楽の盛んな地域であったようです。
彦鈞の父親は道教寺院の道師を務めていました。その教育を受けて幼時から様々な楽器に習熟し、10代半ばで既に楽才をもって近隣に知られていたと伝わります。
25歳の時に父親が亡くなり、彦鈞は跡を継いで道師となりました。しかし、その前後からに眼病を患っており、35歳で完全に失明。そのために檀家や周辺からの迫害を受けたことから寺院を退き、やむなく辻音楽士として生計を立てるようになります。「盲目の阿炳」の名で呼ばれるのは、これより後のことです。

さて、更に年数を経て、新中国成立後間もない、1950年の夏に話は移ります。
中央音楽学院(北京)の楊蔭瀏教授らは、かつて当代随一の楽士として知られていた阿炳の音楽を、どうにかして残せないものかと思案していました。
そして、探索の結果、無錫市に住む阿炳の所在を突き止め、演奏を録音させてくれるよう依頼します。
しかし、阿炳はその申し出を拒みました。長らく演奏から遠ざかっているから、という理由でしたが、実際は巷間で味わった積年の惨苦と差別体験が、もはや阿炳にとって音楽を容易ならざるものに変えてしまっていた、というのが真相のようです。
しかし楊教授らはなおも粘り強く説得を続け、遂に阿炳も録音を承諾しました。もとより自らの芸に厳しかった阿炳、再練習のため3日間の猶予を願い出た後、3日目の夜に二胡と琵琶との演奏を、それぞれ3曲ずつ録音したのです。
この際阿炳は、より万全な状態での録音を希望し、翌年に再録音を行う約束を楊教授らと取り交わしました。
しかし、その約束は果たされないまま、阿炳は同年12月に病没します。
弟子も無く、記譜も行わなかった阿炳の音楽は、僅かに遺された6曲の録音のみが伝えるところとなりました。
やがて録音からの採譜が行われ、阿炳の音楽は中国民族音楽の至宝として、全土に、そして後世に受け継がれたのです。


わたくしが阿炳を知ったきっかけは、NHKの「名曲アルバム」で放送された「二泉映月」です。その後、上掲のエピソードを知るに至り、是が非でもその演奏を聴きたい、と願うようになりました。
更に調べていると、全録音を収録したトリビュート盤が、香港のレーベルから発売されているとのこと。様々な曲折を経て、遂に手に入れたのが、以下にご紹介するCDです。

◆民間音楽家 華彦鈞(阿炳) 紀念専集/ROI PRODUCTIONS(龍音製作有限公司)
ahbing01.JPG

日本国内からの入手は想像以上に難しく、個人輸入の形で取り扱っている店舗以外には、現在の所その手だては無いかと思われます。
Webを通じての通販では、神田神保町の内山書店が取り扱っていらっしゃるようなので、ご関心の向きはお問い合わせになっては如何でしょうか。300ページ近いブックレット付属の豪華仕様ということもあって、価格はおよそ7000円弱になります。

阿炳の自作自演トラックは以下の通りです。

二泉映月(二胡独奏)
寒春風曲(二胡独奏)
聴松(二胡独奏)

龍船(琵琶独奏/オリジナルソース破損につき、SP盤からの復刻)
昭君出塞(琵琶独奏)
大浪淘沙(琵琶独奏)
龍船(破損したオリジナルソースからの復刻。途中欠落あり。)


阿炳が二胡演奏に用いていた弦は、古式の絲弦(絹製の弦)、それも琵琶の弦として用いるような太いものだったと伝わります。以前にご紹介した張鋭の演奏も清代の古い二胡を用いていましたが、録音に聴く阿炳の音色は、更に分厚くかすれたものです。当世風の整った音色を聴き慣れていると、およそ異なる趣に戸惑うかもしれません。

前回、蒋風之の演奏について、語るような雰囲気がある、といった旨を書きましたが、阿炳の演奏にも同じ事が言えるでしょう。
阿炳の演奏は、大道で春秋を重ねた芸のみが持ちうる訴求力と、強靱さを備えています。同時に、抑揚を具に慈しむような弓づかいは、内なる方向へ限りなく拡がっているかのようです。
今日も広く聴かれる「二泉映月」ですが、阿炳自身の演奏ほど、聴きながらに長い時間を過ごしたと感じさせる演奏は無いように感じるのです。細かなフレーズに対してどのように接しているのか、恐らくその差が聴感にも歴然と現れるのでしょう。
 
 
 

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Monday, October 18, 2004

漢宮秋月─蒋風之の二胡演奏

先月の初めに「病中吟」と題して、張鋭の二胡演奏CDを取り上げました。

記事の中で阿炳自身の録音について触れているにも関わらず、その後二胡に関するトピックを扱うことはありませんでした。そこで今回と次回とに渡り、阿炳の録音も含めて、手許のCDから再び書き連ねたいと思います。

今回は江蘇省出身の巨匠、蒋風之(1908-1986)の演奏を収録した、2枚のCDについて。

二胡や琵琶といった、中国の伝統的な器楽を独奏芸術の域にまで高めた、不世出の作曲家にして演奏家、そして偉大な教育者、劉天華(1895-1932)。
蒋風之はその直弟子です。
1929年に彼は、北京大学(当時は北平大学)の教官を勤めていた劉天華を訪ね、以後、公私に渡る薫陶を受けることになります。
蒋風之自身もまた、独自の教育メソッドのもと、北京芸術学院、中央音楽学院、中国音楽学院などで多くの優秀な弟子を育成しました。その活動は、上海音楽学院を中心として教育に勤しんだ同世代の名手、陸修棠(1911-1966)と並んで、「南陸・北蒋」とも称される一大流派を形成したとのことです。

蒋風之の演奏は、以下の同系2枚のCDに復刻されています。

◆中国民族管弦楽音像大百科─二胡演奏大師 蒋風之(1)(2)/中国音楽家音像出版

jiang.JPG

2枚で合計26曲に渡るトラックが収録されていますが、詳細は割愛致します。
1枚目は「漢宮秋月」「高山流水」のような伝統曲、2枚目は「病中吟」や「空山鳥語」といった、劉天華の作品が中心です。

録音年代が明示されていないので仔細は不明ですが、音質にはかなりのばらつきが見られます。SP盤からの板起しと思しき音源、そしてモノラルでのテープ録音と、概ね2種類の傾向に大別出来るものの、音像はより古いと思しき前者の方が鮮明です。テープ録音の方は残響が過剰気味で、鍾乳洞か何かを思わせる音場が、非常にもどかしく感じられます。

演奏を聴いていて感じること、これは全てのトラックに当てはまるのですが、何処か饒舌さを拒んでいる雰囲気があるのです。
非凡な技量を持ちながらも、蒋風之は楽器を闇雲に「鳴り響かせる」ことを目指してはいません。その技量は、専ら楽器自らを「語らせる」為に用いられているかのようです。
艶麗な音色の追究を敢えて捨て去り、更に深遠な境地を志向する蒋風之。あらゆる音楽ジャンルを問わず、今日では殊に稀になった美意識を感じさせます。
蒋風之自らの採譜・編曲によって名高い「漢宮秋月」の音質は、前述のうち残念ながら「鍾乳洞」の方に属するものです。しかし、ひとたびその芸境に接すると、もはや言葉も無く傾聴するほかありません。
緩徐な楽想の中、肌理細やかな運弓によって、古の宮女の悲憤、怨情、憂愁を描き出す「漢宮秋月」。
蒋風之が奏でる沈々とした趣は、昔語りの世界も、はた、現世をも越えて、ただ静かなる彼岸の域を思わせます。
 

さて、次回はいよいよ阿炳自身の録音です。
 
 

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Monday, September 20, 2004

おいしいコーヒーと音楽

わたくしにとって、コーヒーは数少ない嗜好品の一つです。日常的に少なからぬ量を喫飲しています。
淹れる方法は専らドリッパーです。シンプルな方法ながら、湯気に導かれて立ち上る香りともども、よい気分転換にもなります。この淹れ方もなかなか奥が深く、道具一つ、手順一つを変えただけも味わいが違ってくるもの。湯注ぎのポットを細口に変えるだけでも、また、湯を沸騰の後5分程冷ますだけでも、仕上がりは随分とおいしくなるものです。

今回は、出来上がったコーヒーを飲みながら聴く音楽の話。
勿論折々に好きなものを選べばよいのですが、ここでは特にわたくしからお薦めしたいタイトルをご紹介致します。

「アコーディオン・パリ」(学研/プラッツ)、Vol.1-Vol.5までの5枚シリーズで発売されています。
音楽ジャンルの上では『ミュゼット』と呼ばれるものですが、このジャンルを簡潔に説明することはなかなか難しい。
その起源は、オーヴェルニュ地方出身者がダンス・パーティの伴奏で奏でていた音楽です。彼らは19世紀を通じて度々パリへと大挙して移住し、共同体を形成してゆきました。1870年代になって、そこにイタリア系移民が入り込むようになります。両者なかなか相容れない関係の中、紆余曲折を経てイタリア人がミュゼットの中にもたらした楽器、それがアコーディオンでした。
その後、様々な名奏者の手を経ながら、アコーディオンはミュゼットの中で大きな地位を占めるようになります。やがてミュゼットは、時代の推移と共にサロン音楽やロマの音楽、そしてジャズなどを取り込みながら、街角の音楽としてより広く浸透してゆくのです。

今回ご紹介したシリーズは、1994年にVol.1-Vol.3がまず発売されました。この時の選曲と解説はcobaこと小林靖宏氏によるもの。その後1年を隔てて、Vol.4とVol.5が発売され、全5枚で完結となります。
収録されている演奏は、シャルル・ペギュリやエミール・ヴァシェのような、アコーディオン・ミュゼット草創期の巨匠、そして、「タタヴ」ことギュス・ヴィズール、メダール・フェレロ、トニー・ミュレナといった、ミュゼットの全盛期を築いた20世紀生まれの名手達によるものです。
時折、ダミアやジャン・ギャバン、そしてエディット・ピアフといった人達との共演が聴かれるのもまた、大きな楽しみとなっています。

このような蘊蓄はさておき、「ミュゼット」という音楽ジャンルにお馴染みのない方は、ひとまず音楽自体をお聴きになってみて下さい。「初めて聴く真っ新の音楽だ!」という感想をお持ちになる方は、そう多くはないかと思います。
実は、ミュゼットという音楽ジャンルは言うに及ばず、ご紹介したCDに収録されている音源の幾つかは、TV番組などの音素材として定着しているものです。
特に美術番組や紀行番組などで、19世紀末から20世紀前半のパリ─「巴里」という表記が似つかわしかった時代─が登場する際、頻繁に耳にするアコーディオンの音色があるはず。その多くは、きっとミュゼットです。
前述のCDの場合、すべてがSP音源であるため、音質は古めかしいものばかりですが、それ故に価値が減じることはありません。むしろ、年代を経た骨董品と同質の、得難い味わいを感じさせます。
あるものは物憂く、またあるものは小粋な音楽の数々。
プレイヤーから再生されると共に、その空間を懐旧的な雰囲気で満たし、やがて淹れたてのコーヒーの香りと調和してゆきます。

たとえ生まれた時間と場所が隔たっていても、聴く人に共通の情緒を喚起する音楽が存在するように思います。今回取り上げた音源の場合は、当て所ない郷愁とでも言えばいいのでしょうか。
これが無意識のうちに刷り込まれたイメージに由来しているのかどうか、我が身に立ち返ってもはっきりとはわかりません。何を好むかも人によって千差万別ですから、ともすればわたくしの感興自体が幻想なのかもしれない。

でも、ひとりコーヒーを淹れて静かに楽しむ方には、ここにご紹介した音楽の味わいもまた、お楽しみ頂けるのではないか。
そう思いつつ、傍らのコーヒーと共にこの記事を連ねました。
 
 

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Saturday, September 18, 2004

津軽三味線(2)─よもやま話

本当につい先日のことなのですが、新星堂/歌留多レコーズから「日本のこころ─津軽三味線のすべて」というCDが発売されました。税込みで1365円という廉価です。
しかし、収録されている奏者は、木田林松栄、澤田勝秋、高橋祐次郎、市川竹女の4人に絞られていて、企画者のこだわりを感じさせます。
特に市川竹女が3トラック収録されているのが珍しい。この人は高橋竹山の弟子で、新藤兼人監督の「竹山ひとり旅」にも出演していました。訥々とした趣の裡に「間」のよさがある奏者です。
高橋祐次郎には6トラックが割かれているのですが、その中では「津軽じょんから節」の「新節」の素晴らしさに瞠目しました。
叩き三味線のメリハリ感と分厚い響きのみならず、軽妙自在な節回しを併せ持った演奏です。細やかな情緒にも不足がありません。若干の雑味はあるものの、整い尽くされた演奏よりも却って血の滾りを感じさせます。
この人の演奏については、複数のオムニバス盤で既に接していた筈なのですが、正直なところ、此度のように聴き入ったのは初めてのことです。同氏は現在も全国各地で旺盛な演奏活動を展開しておられるようですが、この「じょんから節」のような独奏が聴かれるのであれば、是非わたくしも実演に接してみたいと思います。


今回記事では「よもやま話」という表題なので、脈絡はありませんがもう一つ話題を。

今年(2004年)4月の逝去が惜しまれる津軽三味線奏者、山田千里氏、同氏の師匠はインタビューの折にも度々触れられてきましたが、福士政勝(初代/1913-1969)という名手です。
「津軽民謡の父」ともいわれた巨匠、成田雲竹は、津軽三味線の弾き手の中で、白川軍八郎を第一、続いて木田林松栄を第二、そして、福士政勝を第三の名手と格付けていたとのこと。特に戦前期、「津軽三味線の三羽鳥」と呼ばれていたのが、この三人です。
この際格付けの順位はどうでもよいことで、わたくしは今、福士政勝の演奏を是非とも聴いてみたいと念願しています。ちなみに、雲竹の格付けに漏れて四番目に評価されていたというのが、かの高橋竹山。
あくまで私見として、雲竹翁は評価の上で技巧の洗練という点を重視していたのではないか、と思うのです。そして、本当に朧気な想像なのですが、福士政勝という人は、何か野趣とも言える魅力を備えていたのではないか、と。
軍八郎、林松栄に続く三番目という位置、そして山田千里を虜にしたというエピソード、その辺りから伺われる気配のようなものが、わたくしを「野趣」という言葉に導いたわけですが、さて、実像は如何に…。
いずれにせよ、福士政勝の演奏を聴く手だては、現在のところ全くありません。これまでの記事でその名に触れてきた名手達は、いずれも何らかのオムニバス盤でその演奏に接することが可能です。しかし、福士政勝の演奏は、あらゆる現役盤を見渡しても、ただの一曲とて収録されていないのです。

音源をお持ちのレーベルさま、もしこの記事をご覧になることがございましたら、何卒CD化についてご一考下さいませ!
 
前回記事<<津軽三味線(1)─白川軍八郎
 
 

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Friday, September 17, 2004

津軽三味線(1)─白川軍八郎

昨年(2003年)の11月末にキングレコードから発売された、「津軽三味線の巨星たち」(KICX8161/2)

という2枚組のCDがあります。
収録されている奏者は、白川軍八郎、高橋竹山、木田林松栄、三橋美智也と、往年の名手四人。

津軽三味線の四大名手による歴史的な名演奏を集めた、津軽三味線の聖典とも云えるアルバム

と、帯書きにありますが、まさしくその通りです。これは素晴らしいアンソロジーです。
それにも拘わらず、このアルバム、反響らしきものを殆ど目にしません。店頭でも定番的な地位に収まっている形跡があまり見受けられません。本当に、心底からの危機感を禁じ得ません。

実は昨年の春、わたくしはキングレコードに以下のようなメールを送信しました。

初めてお便りさせて頂きます。
どうしても再発売して頂きたいCDがありますので、ご検討を頂けないでしょうか。

私は貴社から発売されている"KING TWIN BEST SERIES"の『津軽三味線』2枚組を所有しているのですが、その中に収録されている白川軍八郎の演奏にすっかり心奪われてしまいました。
<中略>
最近になって、以前に白川軍八郎の一枚物のアルバムを貴社が発売されていたことを知りました。この素晴らしい弾き手が広く聴かれる機会を、今一度提供しては頂けないでしょうか。


結果、善処して下さる旨、ご返信を頂戴しました。
そして同年11月に発売されたCDが、「津軽三味線の巨星たち」なのです。わたくしのメールが一体どの程度影響したものか、それは推し量りようがありません。それでも、CDが発売されたという事実は厳然と存在しています。
念願が叶った以上、わたくしもそれに報いねばなりません。
たとえ幾千字を連ねることになろうとも、白川軍八郎と、このアルバムに今回の記事を捧げ尽くします。

まず、白川軍八郎という奏者について、知る限りの簡単なご紹介を。その音源を収録したアンソロジーは数点存在しますが、満足できるプロフィールはなかなか見あたりません。


初代 白川軍八郎 1909(明治42)~1962(昭和37)

津軽三味線の始祖と言われる神原の仁太坊(本名秋元仁太郎/1857~1928)最後の弟子。
幼少の頃に失明し、8歳で仁太坊に弟子入りして以降、瞬く間にその天分を発揮し始め、2.3年もする頃には師自らが「将来一番の三味線弾きになる」と認めるほどの腕前になった。
一般に津軽三味線の基礎を築いたのが仁太坊で、それを完成させたのが白川軍八郎であると言われる。それほどまでに軍八郎の足跡は大きく、生前から「津軽三味線の神様」と讃えられた。弟子も多く、たとえば三橋美智也はこの人に学んでいる。
その一方で、終生座付きの雇われ芸人という境遇から脱することはできず、昭和37年5月17(18?)日に、53歳の若さで困窮の中に没した。
 
 
 

白川軍八郎は、独奏津軽三味線が全国的な人気を博す直前とも言える時期に亡くなりました。それゆえに録音は少なく、伴奏などをかき集めても74分CD1枚に収まってしまうのではないでしょうか。もっとも、その録音歴は戦前から既に始まっているので、SP録音を合わせると、どうなるかは判りません。
独奏録音の比率となると、更に微々たるものです。
確実なことは判りませんが、「~巨星たち」に収録された8トラック(うち1曲は三橋美智也との共演ライヴ)で、恐らくキングレコードに残る独奏録音の大半が網羅されているものと思われます。

それでも、白川軍八郎の名は不滅です。「津軽三味線の神様」という賛辞は、永遠のものでしょう。
誤解を恐れずに恐れずに申しますが、彼の音楽が備えている特質は、社会に於ける「芸」の在り方が変容した今、二度とは生まれ得ないものです。その点では、亡き高橋竹山も同様であったと思います。
これは現在の弾き手の責任に帰する性質の事象ではありません。ただ時代の変遷がそこにあるだけなのです。

その上で天性の超人的な技巧が加わると、どんな音楽が生まれるのでしょうか?
最たる答えは「~巨星たち」の1枚目10トラック目、SP盤から復刻された「津軽よされ節」にあります。これは撥弦楽器の演奏原理自体を遙かに凌駕した、恐るべき演奏です。殊にトラック前半、1分40秒に渡って繰り広げられる「新節」では、聴き手を完全に呪縛する凄まじいアウラが発散されています。
いにしえの人々が、深井戸の奥底、暗黒の辻の向こう側に見出した存在を、録音は確かに捉えているのです。

更に年代を下り、テープ録音に移行してからの5トラックを聴きましょう。
ステレオ録音の「津軽三下がり」 「津軽あいや節」 「津軽じょんから節」の新節と旧節は、新たなリマスタリングが施されたのか、既出のCDよりも音質が向上しています。キングレコードの担当者氏の良識と誇りを感じ、誠に頭が下がる思いです。
ここで駆使される技巧は間違いなく最高の水準であるものの、軍八郎はそれをより内面に向けているかのよう。
軍八郎の三の糸が奏でる、あの絶え入るような音色を聴くと、わたくしはいつも胸が締め付けられるような心持ちになります。命の灯火を弱めることで音を細くしているかのような、そういう趣があるのです。
そして、二の糸が奏でるのは風の音、波の音。
一の糸が奏でるのは、人の声、心象の声…。

テープ録音で残された独奏の中で、唯一のモノラル音源「津軽よされ節」は、軍八郎の芸境の究極の姿であると思います。
SP録音で顕示された天分と、恐らく歳月を重ねて深まった内観とが、ここに一体化したかのようです。
一の糸の音色は、叩き三味線の源流を示す強靱なものですが、その中には痛ましいまでに紅い、血潮の気配があります。
ひたむきに歌い、そして泣く三味線の姿というより他に、言葉は要りません。


約40年の歳月を経た今、津軽三味線は伝統芸能という枠組みさえも越えて、広く愛好されています。その潮流を支えているのは、確かな研鑽を積み、そして得難い独創性を備えた奏者の数々です。
こうした人々は、新たな表現の形を試みながらも、白川軍八郎や高橋竹山、木田林松栄といった往年の名手の演奏を研究することを決して忘れてはいません。
しかしながら、聴く側に供給される音源の在り方は、何か一面的な形態に集約されているように感じられてならないのです。
そうした状況の中で、今回ご紹介した「津軽三味線の巨星たち」が持つメッセージは、とても大きいと思います。
このアルバムを監修された斎藤幸二氏は、昭和38年に高橋竹山の独奏アルバムを企画・製作して、現在まで続く津軽三味線ブームの先鞭を付けた方です。その斎藤氏がライナーの中で、「使命として」このアルバムを作った、と仰っていることを、如何に受け止めるべきでしょうか。
単なる懐古趣味からではなく、収録されている名手達の演奏が持つ不変の価値ゆえに、わたくしはこのアルバムを強くお勧めするものです。
それも、入手が容易な今だからこそ。
カタログから消えてしまってからでは、どうしようもありませんから。
 
続編記事>>津軽三味線(2)─よもやま話
 
 

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Friday, September 10, 2004

路上の夜

前々回の記事で述べた張鋭の二胡演奏が、ずっと心を捉えて離しません。
聴けば聴く程に、昨今こわばっていた心が安らぎに満たされます。

それが呼び水となったのでしょう、暫くの間しまい込んでいた音源を、ふと聴きたくなりました。
今日は久々に聴いた音源、トルコのケメンチェの話です。

私が所有しているのは『オスマンの響き~トルコの軍楽』という、キングレコードが1991年に出したCD。
ワールドミュージックの中でも恐らくベストセラーに近いもので、何度も再発売されていますね。
現在は

という仕様で流通しています。
タイトルでも明らかなことですが、このCDのメインは17トラックにわたるオスマン・トルコの軍楽(メフテル)です。
向田邦子原作のドラマ『阿修羅のごとく』で一躍有名になった、アリ・ルザ・ベイ作曲の『ジェッディン・デデン』(祖先も祖父も)も、勿論収録されています。

今回取り上げるのは、その余白に収録されている4トラック。『古典音楽』という別括りの中に、ケメンチェの演奏が聴かれます。
ケメンチェ(写真参照)は3弦の擦弦楽器で、演奏の際には膝の上に立て、弦の横に左手の爪を当てて演奏するそうです。この奏法だと指を弦の上で自在に滑らせることで、微細な音程と自在なポルタメント(音のずり上げ・ずり下げ)を表現することが可能になります。

ここでの奏者はハルドゥン・メネメンジオール(Haldun Menemencioglu)という人。検索してみたところ、1912年生まれで、1972年に亡くなった、とのデータに逢着しましたが、CDには1977年4月の録音と記載されています。
どちらが正確なのか、わたくしには量りかねるところです。

独奏による即興演奏(タクシーム)が2曲続いた後、古典歌曲(シャルク)が2曲、ヴォーカルはハルドゥンの妻、エメル・メネメンジオール(Emel Menemencioglu )によるもの。

この歌曲に、わたくしは長年魅了され続けています。
先述のような微細音程とポルタメントを多用した音楽は、ヴォーカルにも共通したものですが、ケメンチェの演奏と絶妙に呼応しています。そこに紡がれる親密な音の彩画は、たとえ日頃聴き慣れない音楽であっても聴く人を惹きつけることでしょう。
今回の記事のタイトル『路上の夜』は、2曲のうちの後の1曲から採ったもの。奏者ハルドゥン自らが、18世紀の詩人ネディンの詩に作曲したという『バラの園』共々、歌詞が全く記載されていないのは残念なことです。

それにしても、美しい音楽です。
歌のフレーズの一つ一つが静かな余韻を残して消えてゆく有様は、昧爽の光をはらんだ巻雲を思わせます。

『路上の夜』、一体どのようなことを歌っているのでしょう。

旅路の心でしょうか、それとも、凋落の果ての嘆きなのでしょうか?

静かに聴き入りながら、想像は尽きることがありません。
 
 
 
 

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Thursday, September 09, 2004

上海セピアモダン

前回に引き続き、さる8日に到着した中国CDに関連しての記事、第2回目でございます。

本日ご紹介するのは、『上海老百樂門爵士~PBYLMOUNT JAZZ SHANG-HAI 』という2枚組CD。
pbylmount.JPG
演奏しているのは『上海老百樂門元老爵士隊』という団体です。
不正確な記憶が頼みなのですが、戦前戦後に上海のステージで活躍していたミュージシャンが集まって、ここ10年内外に結成されたバンドだったと思います。ライナーに記載されている演奏者のプロフィールから拾ってみると、1920年代前半に生まれた方が実際に在籍しているようなので、恐らくは間違いないでしょう。
NHKBS-1の番組、『上海ウォーカー』(たぶん)で紹介された筈なのですが…。

文革を経て衰退した、古き佳き時代のジャズよもう一度…という志の許、『元老楽士』が集うという経緯、実に素敵ではありませんか! まるで映画のようです。
上述の番組を数年前に観て以来、このバンドのことはずっとわたくしの心に残り続けていました。

実はこのCD、発注の時点では戦前のSP音源か何かの復刻だと思っていたのです。考えていた内容とは違っていたわけですが、結果的には非常に嬉しい巡り合わせになりました。

録音年は不明なのですが、10年以上遡ることは恐らく無いと思われます。クレジットされている発売年は、2002年です。
収録曲は、やはり戦前戦後に人気の高かったものが中心。アーヴィング・バーリンやジェローム・カーン、ジョージ・ガーシュインやグレン・ミラーのナンバーが見受けられます。その一方で陳歌辛の『夜上海』や、黎錦光の『夜来香』のような、中国ならではのレパートリーも収録。
演奏自体は凄く巧いというわけではありません。放たれるグルーヴも、ゆったりまったりとしたもの。

だけど、そこがいいんですね、この場合。

かつての愛奏曲を慈しむような演奏には、往時を知るはずのない者をも誘引する、何とも言えない懐旧的な情緒が漂っています。クリアーな最新録音であるにも拘わらず、目の前に現れるのはセピア色の音場です。

それにしても、"As time goes by"が『似水流年』となる中国語って、本当に素敵。
 
 

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Wednesday, September 08, 2004

病中吟

先日の記事で少し触れた、中国CDが届きました。『壷天路』さんにお願いしていたものです。

今回と次回との2回に分けて、届いたCDについて書きたいと思います。

今回ご紹介するのは『酔弦』という、二胡の2枚組CD。
bowstring.JPG
二胡演奏の古老、張鋭(1920-?/恐らくご健在)と、『現代の阿炳』と呼ばれている(らしい)孫宇嶸の演奏がそれぞれ1枚ずつに収録されています。
うち、張鋭の演奏は、元々『二泉映月 中国第一』という1枚ものだったのですが、長らく入手困難になっていたもの。
随分と頑張って入手を試みてきましたが、どうにもなりませんでした。
壷天路さんから代替策としてご紹介頂くまでは、『酔弦』に組み直されたことには気付かなかったと思います。
お陰様で待望久しい演奏を聴くことが出来ました。多謝です!

収録されているのは、劉天華の作品が10曲、阿炳(華彦鈞)の作品が2曲。
本記事のタイトルは、1トラック目に収録されている劉天華の名曲から。

聴き始めて即座に、『これはいい!』と思いました。
どんな弱音でも弛むことのない音と、人間の息遣いそのものを思わせるヴィブラート。妥当な喩えであるかはちょっとわからないのですが、ヴァイオリニストのオイストラフに一脈通ずるものを感じました。
張鋭の独奏を支えるアンサンブルも、実によく調和しています。

わたくし自身は二胡そのものをたしなむ機会を持ちませんが、おそらく張鋭は、昔ながらの太い絹弦を使っているのではないかと思うのです。
阿炳が死の半年前の1950年に吹き込んだ演奏(これも感動的な名演です! 折を改めて書きたいと思います。)が手許にありますが、表現上の違いはあっても、同根の音色が鳴っています。

太くしなやかで、ほんの少しかすれたような音色。今日一日、幾度ともなく繰り返し聴きましたが、聴く都度に心のより深いところへと届くようです。
よい音楽というものが与えてくれる感動に、ジャンルの隔たりは全く関係ないということを改めて実感しました。

またこうして素晴らしい音楽と出会うことが叶った、本当に嬉しいことです。

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